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第32話「疑問」

直した部分の色を確認し、それぞれがパーツを設置していく。7号館4階は今日も暗い。 「佐藤くん!引っ張って!」 「あ、、おー!行くぞー!」 グイ、と。藤崎が吹き抜けの向こうで止めたワイヤーを自分の方へ引っ張る。キリ、とたわんだワイヤーが張って、吊るした飾りが綺麗に一直線に並んだ。それをキープしたまま、ワイヤーを引っ張りつつ後ろに下がり、重りのある位置まで移動する。 「んっ、、と、」 「置くよ?」 「えっ!?」 不意に耳元で声がして、ビクリと肩が揺れた。いつの間にかすぐ隣にいる藤崎が手に持った重りを義人の持つワイヤーの輪っかを作っている先端に乗せる。ワイヤーの輪っかが重りに引っかかり固定された。 「おし、終わりだな」 「、、ん」 「?」 思わずふい、と顔を背けた。 (苦しい) そばに藤崎がいる事を変に意識した義人は、歯切れ悪くそう返事を返すと俯いて手にはめている軍手をいじり始める。 「佐藤くん」 「、、なに」 顔を合わせたくはないのだ。 4階で1人で作業している内は作業に集中できて藤崎の存在を忘れ没頭できたのだが、3階の手伝いを終えた藤崎が4階に上がってきてからはもうダメだった。 こちらを見ていないと分かると隙をついて藤崎を見つめてしまう。目で追う事をやめられず、それがまた義人の罪悪感を刺激していた。 「、、、」 「、、何だよ!」 何も言わない藤崎を不審に思い、バッと視線を上げる。ここにいると、この間自分がしようとしていた事や言おうとしていた事が頭の中に蘇ってしまい、義人の体温を上げていた。 見上げた先の藤崎は何と思って自分と作業していたのだろうか。あの事は、思い出さないのだろうか。やはり、からかわれたのだろうか。 「な、、なに、」 茶色の瞳は怪しく揺れる。藤崎は至近距離からじっと義人を見下ろし、義人はそれを見上げて戸惑っていた。 「ふ、藤崎、、?」 「、、綺麗だよね」 「え?」 するり、と。 「っ!?」 頬に触れてくる藤崎の手。何度か触れられた事のあるそれが、優しく撫でてくる。 「っぁ、」 キスがしたいと思ったときも、義人は藤崎に同じ事をされた。それが思い出されて途端にビク、と肩が揺れる。 「何だよ、気持ち悪い、から、、離れ、」 「佐藤くんて、目が綺麗だよね」 ズイ、と近づく藤崎の顔。また、あの目が怪しくゆっくり煌めいて義人を見ている。 「ふじ、さき?何言ってんの、ど、どした?」 「あのさあ、佐藤くん」 「だから、なに。早く離れろよ、こないだもからかってきて、お前そう言うの多いって」 払い除けようと振った腕を、グッと藤崎に掴まれる。 この雰囲気が嫌いだ。 逃がしてもらえないと本能が言っている。 「キスしたい、って言ったら、、させてくれる?」 「えっ?」 驚いて、逸らそうとしていた視線を、逆に魅入るように見上げた。藤崎の濃い茶色の目に、呆気に取られた顔をした義人が映り込んでいる。 「この間の事言ってるの?からかってなんてないよ」 「お前、何言ってんの、、やめろよそう言うの」 「冗談言ってない。からかってない」 強い言い方だった。 「佐藤くんとキスがしたい」 「ッ、そう言うのいいから!!」 嘘だ。 恥ずかしくなって、泣きそうで、訳が分からなくなった義人は、ドン、と力一杯に藤崎を突き飛ばす。 高鳴った胸は下手な期待を抱えてしまっていて、それに対してすら嫌悪感を覚えた義人はギッ、と藤崎を睨みあげた。 「からかうな!!」 少し痛そうな顔をして体を離した藤崎が、俯いていた視線をこちらに向ける。引き結ばれた口が、はは、と小さく笑いを漏らした。 「調子、乗りすぎたか」 へらりと笑ったその顔に、義人の怒りが一気に沸点を過ぎた。 「人の事馬鹿にするのやめろ」 低く落ち着いた声。鋭い視線が藤崎を射抜いて、義人は奥歯を噛み締めた。 「佐藤くん、、?」 「、、、」 眉間に皺を寄せた藤崎が、不安げな声を出す。怯まない義人は手のひらに爪が刺さる程、拳を強く強く握りしめた。 まるで、藤崎に散々言いたい台詞を飲み込み、その力を痛みで誤魔化すように。 (嬉しいとか、悲しいとか、寂しいとか、キスしたいとか、全部、どれだけ俺が苦しんで、悩んで、どうしたらいいか分からなくなってるか、何ひとつ知らないくせに!!) こんなに誰かに怒った事があっただろうか。人に深入りしない、させない人間だった彼が。 (そばにいたいのに、他に好きな子がいるとか、勝手に知らない女の子に告白されてたり、それどう思ったって、そりゃ、嫌に決まってるだろ、気持ち悪いなって思ったよ、やめてほしかったよ、でも、) どうしてそこまで思うの? 「っあ、、?」 どうして藤崎のそばにいたかった? どうして藤崎が断ったとき嬉しかった? 何故そこに疑問を持たなかったのだろう。義人はTシャツの襟を右手で掴み、胸の中心を擦る。 分かってはいけない何かが、すぐそこまで来ている。 (違う、違う違う違う、俺と藤崎は友達で、、俺が分からなくなってるだけでちゃんと、友情があって、だから、、、だって、いやだ、、いやだなあ、藤崎が、俺達より他の子と一緒にいるの) 苦しい。 寂しい。 本当に嫌な事は何だったろうか。 「佐藤くん」 「あ、」 胸を擦り続けていた手を掴まれ、止められる。 「それやると痛くなるから、やめろ」 「、、、」 優しい声と、右手をさすってくれる大きな手。あったかいなあ、優しいなあ、と呑気な事を思った。 「ねー!」 「ッ!?」 吹き抜けの下から、遠藤の声が上へと響いてくる。地声が大きい事もあり、やたらと大きい声に義人は驚いてバッと吹き抜けの方を向いた。 「え?遠藤?」 「なにー?!」 藤崎が吹き抜けに向かって返してくれる。視線は義人を見たままだ。 「写真取ったから、片付け開始ー!!」 「わかったー!」 言い終わると一度階段の方を眺め、誰も来ていない事を確かめるともう一度義人に視線を戻した。 怯えたようで、緊張しているようで、微かに小刻みに震える義人の手を握ったまま、さするのはやめてギュッと掴む。 「佐藤くん」 「なん、だよ、、」 義人の胸の中のわだかまりは、下手に絡まってしまっていた。考えないようにしたくて、藤崎への罪悪感も消えなくて、苦しいまま申し訳なさそうに彼を見上げて立っている。 「後で、聞いてほしい事があるんだ」 藤崎のできる限りの優しい声だった。 「え、、?」 見上げてくる義人の目が、一瞬きらりと揺らめいた。 「俺に、時間をください」 いつもと違う、藤崎の真剣な目。整った顔の硬い表情で、藤崎は静かにそう言った。

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