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第34話「逃走」
「ここで、会った、、?」
トクトクと波打つ心臓。掴まれた腕を通して、この音がバレないか心配だった。
太陽の沈み切った世界で、この部屋に電気を灯して、2人は見つめ合っている。
どうして出会ったんだろう、と義人は思った。自分の世界を乱す藤崎と、自分の世界を認めてくれる藤崎と。
「受験のとき、ここでデッサンの試験受けただろ?」
「、、あっ」
ゆっくり思い出すとその瞬間は確かに鮮明に思い出された。まだ寒い時期、マフラーを忘れたせいもあって縁起の悪い日だなあ、と考えていたあの日だ。
隣に座った他校の男子生徒がデッサンセットを忘れている事に気が付いて、この人にとっても縁起の悪い日だなあ、とぼんやり考え、そして自分が余分に持っていた道具を貸した日だ。
「貸してくれたよね。デッサンの道具、、俺、全部忘れてさ」
「えっ?」
今まさにその事を思い出していた義人はまん丸な目で藤崎を見上げる。
窓の外から誰かの騒ぐ声が広場に響くのが聞こえた。もう、ほとんどの学生が帰り道についている。
「う、うそ、あれお前!?」
海苔をつけてきたかのような染めたての長い黒髪しか思い出せない。顔は緊張で忘れてしまった。
焦った声だけはよく覚えていて、その声の震えを聞いて思わず声をかけたのだ。
「予備が、、あったから、」
「そう。俺、佐藤くんに全部借りたんだよ」
そう言った藤崎は、少し恥ずかしそうにはにかんでいる。
「あの時は髪長かったから、多分分からなかったんだろうな」
「全ッ然分かんねえよ!!」
「ははは」
「っ、、、」
ふわ、と楽しそうに笑ったその顔に、また胸が締め付けられた。
(あかりさんの前でも、そんな顔見せるのかな)
胸のつかえは消えてはいなかった。
こんな風に笑うところを、義人は班でいるときは見た事がない。自分だけのものかもしれないと淡く高揚したときもあったけれど、それもすぐに周りの色んな話に惑わされ、分からなくなってしまっている。
「だ、、だから何だよ。お礼ならあんとき言ってもらったし」
「ああ、言ったね。そうだった」
「だったら、」
何だ、その程度の話を今更、こんなところで披露するために自分を呼び出したのか。
「、、君と初めてここで出会って」
「?」
真剣な目が真っ直ぐと、義人を捕らえて放さない。腕を掴んでいた手はスル、と肘を撫で、義人の手を握った。
「ん、?」
暖かくて優しい、この1ヶ月で何度も触れた手のひら。少し高い体温が、冷たい義人の手を温めていく。
「、、、」
心地が良かった。
「ここで、俺は君を好きになった」
聞こえた言葉に耳を疑い、握られた手を見つめていた義人はゆっくりと顔を上げる。
聞きたかった。
そんな台詞を。
藤崎の口から言ってもらえたら自分はどんなに幸せだろうと、考えないようにしながらいつも考えていたんだと、今更ながらに理解した。
「佐藤くんが好きです」
一歩、藤崎が踏み出す。
「、、、」
すぐそこにある綺麗な顔を、ただただ見上げる事しかできない。
(好き、、?)
藤崎が自分を好きだと言った。逸らす事のできない程真剣な瞳で、2度もそう告げられた。
「な、なに、言ってんの?」
強張った唇は震えながら悪態をつく。
「俺と付き合って下さい」
心臓はうるさく、冷や汗にも似たような汗が一気に噴き出してくる。目の前がチカチカして、どうしてだか泣きそうになった義人がいた。
藤崎はキュ、と手を握る力を少しだけ強める。
「お前が、、俺を?」
「俺が、佐藤くんを」
好き。
そんな言葉が心に響く。
それは形を見せてと言われても、証拠を出してと言っても証明できない、けれど確かなもの。
義人の中では重たく、まだ少し歪な形をしている言葉だった。
「、、、ぁ」
苦しいくらいに胸が鳴っている。血が沸騰しそうで、手が震えている。自分がどうしてこうなるのか分からない。
藤崎相手のときだけ、何もかもが乱されていつもの自分でいられなくなる。
好き。
好き。
好き。
「、、、っ、」
それって、どんな感じ?
「わ、」
それって、どう思ったらいいの。
「わから、ない」
どれが、好き、って事なの?
「っ、、佐藤くん」
(分からない、俺には分からない、好きってなに、どうしたらいいの、だって藤崎は男で、俺も男だ、それで好き?それって変だよな?またからかわれてる?何でそんなひどい事するの、何で俺のこと、)
焦ったような藤崎の声が聞こえたが、義人はそんなものも頭に入ってこない。
誰の真意も分からず、自分の中の感情と藤崎の突然の告白に混乱していた。
「何で、俺にそんなこと言うの」
からかっているだけ?
「何で分からない俺に言うの、またからかってんの?知らねーよ、好きって、なに、」
友達として信用していた。友達として仲良くなりたかった。それだけの筈だ。
怖い。
この胸の高鳴りや、藤崎に左右される自分の体温も、追ってしまう視線も。
感じた事がない激しい心の動き、動揺、そんなものが全て、煩わしい。
(だって藤崎には、好きな人が、いるんじゃなかったのか、、?)
それが自分なのか。それとも他の誰かなのに、からかいで自分に言っているのか。
何人もの人にこう言う事が言える人間なのか。
「佐藤くん」
「やめてほしい、こういうのは、もう」
友達のままでいたい。
乱されたくない。
けれど誰より近くにいて欲しい。
頭が混乱して、誰が言っている事が本当なのかが分からなかった。
「佐藤くん、好きだよ。なあ、こっち見て、」
「分からないって言っただろ!!からかいたいだけなら他の奴でやれ!!」
「ッ、違う!!聞けよ、そう言う事じゃない!!からかってない!!」
バッと、藤崎の手を振り払う。今度は義人の力の方が強く、藤崎の手は彼から離されていく。
「逃げんなよッ!!」
詰め寄った藤崎が放った言葉は、義人の胸に鋭く刺さる。ギリ、と歯を食いしばって、義人は藤崎を睨みつけ、口を開いた。
「逃げてなんか、」
「逃げてるだろ!!俺から!!自分から!!」
確かにその言葉は義人を追い詰めた。
藤崎の言っている事が、事実だったからだ。
「うるせえな!!何も知らないくせにッ!!」
「っ、佐藤く、!」
涙が溜まった黒い瞳を見て藤崎は怒鳴り返せず、走り去っていく義人の背中を呆然と見つめる。
伸ばされた手が掴む体温はなく、虚しく空を切って下に下ろされた。
ガタ、と脱力して机に手をつくと、足元を見つめてポツリと口から溢れて行った。
「、、やっぱ、ダメ、、か」
1人残された教室で、その独り言は床に落ちて消えた。
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