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第36話「困惑」
「今、、本気で向き合う、、」
揺られながら、電車の中で自分の靴を眺めていた。
黒い本革のショートブーツ。高校3年の誕生日に母親と弟が急に買って来た、ずっと欲しがっていたものだった。父が男がこう言ったものを履くのか、とぶつくさ言いながら書斎に入って行ったのを覚えている。
隣にいる入山に先程、携帯電話に保存されている彼氏の画像を見せてもらった。
陸上部だったろう、と言う爽やかさとスラっとした体型の男で、入山と同じ犬の耳のついたカチューシャを頭につけ、一緒に画面に写っている。
和久井英治(わくいえいじ)はその画面の中で、入山と頬をくっつけながら笑っていた。
「、、、」
「お節介で悪いけど、もっと自信持ったら?」
和久井に連絡を返し終わった入山は、隣に並んで座っている義人の顔を覗き込む。
電車の中は少し混んでいたが、座れない程でもなかった。
「自信?」
「佐藤くんて自信ないなー、ってたまに思う。藤崎くん相手のとき特に」
「そう?」
確かに自分と藤崎を比べるときが多々あった。それも、藤崎が「佐藤くんは魅力的だ」と言ってくれたあの日から回数は減り、自分は自分だと思えるようにもなって来ている。
(考えてみたら本当に、色んなこと、言ってくれたなあ)
藤崎がくれた色んな言葉達。それらは全て、大切に胸にしまってある。
「私は別に、男が好きならそれで良いと思うよ。藤崎くんが佐藤くんを好きで、同じように佐藤くんが藤崎くんを好きなら。何の問題も無いじゃない」
「いや、うーん、、」
「私の彼氏みたいに、遊ばれて、傷ついて。それで恋愛できなくて苦しむってのは、いやなのよ。君がそうなるのは見たくない。でも藤崎くんは本気だし、君は遊びとかできる人じゃない。万々歳じゃん、って外野的には思っちゃう」
確かに、当人ではなく外野からすればそうだろう。
少し眠いのか、ふあ、と一度小さく欠伸をする入山。その欠伸の仕方が、何故か少し猫の欠伸のときの顔に似ていた。
「あ、ごめんごめん」
「そう言うの、和久井くんにも見せる?」
「あくび?普通にする、、おならとかも気にしない」
「ええっ?!」
また活発そうな入山の笑い顔が見えた。
肌で感じる程リアルな入山と和久井の「付き合い方」に、義人は驚きつつも少し胸が躍った。
「それが嫌になって別れるなら、それまでなんだよ。そう言うさ、、ノリ?と言うか、反り?も合うか確かめないと、ずっと一緒にいるとか、愛し合ってくとか無理じゃない?」
「、、、」
「自然体でいられないとか、駆け引きしないといけないなら、私はそんな恋人いらないな」
自然体。
思わず、藤崎の前にいるときの自分を思い出していた。
普段の悪態をついても、素直じゃない顔を見せても藤崎は動じない。ヘラヘラと笑って交わし、1枚上手な事を言っては義人を怒らせている。何も言えなくなって足を蹴っても、痛いと言いながらどこか構われたのが嬉しそうにこちらを振り向くばかりだった。
義人が泣いても、馬鹿にせず抱きしめてくれる。コンプレックスを話しても、受け止めて大丈夫だと言ってくれる。
(強いんだよな、あいつ)
誰よりも器用で優しく、芯のある性格。触れる度に深まって、分かっていく藤崎の中身。
(見た目だけじゃないんだ)
藤崎久遠が本当に格好いいところは、外ではなく内側だ。人と接するときの丁寧さや、優しくできる器の大きさだ。
「その点、藤崎くんもあれだけ君にうざ絡みして、君もあれだけ藤崎くんを振り回してる。お似合いに見えるけども、どうなんだい?」
「俺振り回してるか!?逆だろ!」
「振り回してるよー。側から見てると結構君の反応に一喜一憂してるもん、藤崎くん」
面白い場面でも思い出したかのように、入山はどこかを見ながらフフ、と笑う。
義人はそれだけは否定したかった。あのよく分からない性格をした不思議な奴に振り回されているのは自分の方なのだ、と。
「君といるときは、ありのままの藤崎久遠って感じがする」
入山の言葉に、胸が温かくなる。
「私達がいると、ちょっと営業入ってるし、若干距離取られてるから」
「そうなの?」
「結構あからさまだよ。敬子とは仲良さそうだけど、あれはアイツが女って思えないからだろうし。何かほら、顔が良すぎるから、あまり深く関わると勘違いさせるって自分でわかってるっぽい」
「何だそりゃ、、やなやつじゃん」
ハハ、と義人は目を細めて笑った。
けれど何となく分かるのだ。自分に見せてくれる顔と、彼女達といるときの藤崎の顔の違いが。
「好きって思わないの?藤崎くんのこと」
「、、分からないんだ、俺」
一瞬だけ麻子の顔が脳裏に蘇って、滲むように消えた。
「好きって言うのが分からない」
自分と、先日まで付き合っていた彼女との事を入山に話した。彼女はただ黙って聞き、聞き終わると向かいの窓に写る自分達を見つめ、それからまた義人の方を向いた。
「聞いている限り、確かに好きではなさそう」
「、、うん、もうそこは、そうだと思ってる」
少なくとも、彼女が求めた「好き」ではなかった。答えることは出来ていなかった。
「藤崎のことは、考えると苦しくなる」
カタン、と車体が揺れる。
「見てたいけど、見たくない。話したくないしムカつくのに、話しかけられると嬉しくなる。そばにいると心臓が痛いって、いつも思う」
今だって、彼の事を考えるだけで、この心臓は痛んでいる。
「頭から離れてくれない」
ただずっと、生活が藤崎で回っているように思えていた。自分の幸福が、彼が笑いかけてくれるかどうかで上がったり下がったりするのだ。それはとても苦しくて、同時にとても心地良い。
「恥ずかしいんだけど、俺、セックスした事ないんだ。キスも、したことはあるけどあんまりしたいと思ったことはない」
「うん」
「でも、初めて、藤崎相手にはしたいって思ったんだ。あの、入山に、その、」
「あー、、私が思い切り邪魔したときか。ごめんあれは、襲われてる!!って思っちゃって」
「いや、いい、ありがとうアレは。どうかしてたから助かった。事故るとこだった」
クス、とお互いに笑い合う。
「でもさあそれが、好き、なんじゃないの?佐藤くんはちゃんと、藤崎くんが好きなんだと思うよ、私。まあ聞いてる限りはね?」
段々と人が減って来て、向かいの席に座っていた男性が止まった駅で降りると、入山はグッと足を伸ばした。すぐに畳んで、今度は上半身の伸びをする。ボキ、と背中から痛そうな音がした。
「でも、これでもし好きじゃなかったら、藤崎に申し訳ない。付き合ったのに、キスもセックスもできなかったら、また悲しむだろうし傷つけるし」
コツコツ、と両足のブーツのつま先をぶつける。
「あいつも相当怖かったろうなって思うんだ。男に、、俺に、告白するの。でも、ちゃんと言ってくれた。でも俺は、好きか分からない。俺自身が分からない」
傷つけるのが怖い。
付き合うのが怖い。
そう思う自分が情けない。
「いいじゃん。藤崎くんのこと、真剣に考えてるってことじゃん」
ポンポン、と肩を軽く叩く入山の小さな手。
「、、いいのかな、よく分からない」
「だーかーら。自信持てって」
それはいつだか、藤崎にも言われたような気がした。
「じゃあ、私の彼氏が、私を好きだと確認した方法があるので」
「え?」
「それを教えよう」
「うん、、あ、え?なに?」
にっこりと、笑う入山。
車両には離れた席に座っているカップルがいる。
「藤崎くんで抜いた事ある?」
「はあッッ!?」
声を荒げると、カップルは一瞬こちらを向いて迷惑そうに小声で何か言っている。
そんな事は気にも留めず、義人は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせた。
まるで池の鯉のように。
「ほら、どうなの?しちゃったの??」
「え?え?え?」
冷や汗が浮かんで来た。明らかに動揺している義人に、ニヤリとした入山の顔が近づいてくる。
「ふ〜〜ん?、、あるんだあ」
「ち、ちがッ、あれは、!」
「佐藤くんみたいに性に興味ない男子が、抜いちゃったんだよ?よく考えてよ、好きじゃなかったら勃起なんかする?」
AVすら怖いと思う自分が欲情するなんて、と確かに驚いた事を思い出す。
迫って来ている入山の顔を押し返し、はあ、と息を吐いた。
「ふーん、、じゃあ藤崎くん以外の男で抜いたこ、」
「ない!!」
「ははーん」
「、、、」
黙って下を向き、何か思い詰めるような顔をする義人を見つめ、安心したように微笑んで入山は前を向いた。
「自信持て、佐藤」
入山の最寄駅まであと2駅。
彼女はそれ以降何も言わず、義人は低く唸ってから、背面にある窓にコン、と後頭部を預けて背もたれにもたれた。
(好き、、、好き、って)
一体、何だろう。
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