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第39話「特別」

3限が始まる少し前、義人は片岡と共に9号館の自分達の教室に現れた。 「待ってやれっての。イライラしすぎ」 その2人のにこやかなやり取りを見て隣の男が異様な雰囲気を放った事を見逃さず、入山は藤崎の肩にゴツ、と拳をぶつけた。 「ん、、あはは、わかる?」 この男がここまで取り乱すのは珍しい事だった。 入山からすれば驚く程に貼り付けた笑顔の取れないイケすかない男として藤崎は認識されている。 友人として大切に思うが恋人には絶対にしたくないタイプだった。 腹の底、頭の中が読み取りづらく、女子達の前では一歩引いた風に関わってくるところがある。 彼は、自分が周りに及ぼす影響がときに害悪である事も、自分に寄せられる軽率な眼差しにも痛い程良く気が付きいつも警戒している。 それが佐藤義人の前だとなくなる事も、この1ヶ月の間に見慣れていた。 良かったな、と思っていた。 だからこそ、藤崎が自分から義人に近づく事を止めず、逆に義人が藤崎を見つめる様になった事も何とも思わなかった。 ただ最近は少し性急に事を進めすぎている藤崎が目に余っていた。 「険悪なオーラ出さないでよ。チームの雰囲気が悪くなる」 「ごめん」 学業をしに来ているのだから、それが1番優先されるべきと言う考えは曲げる気がない。 「俺さー、告白するとすぐさまオッケーもらえるタイプだから、慣れてないんだよね」 「自慢かこの野郎!」 「けっ!」と言いながらまた肩を殴られ、藤崎は笑いながら教室の端に置いてある荷物を持ち上げる。 揃った班から各々の展示場所に行って良いと、教卓で待機している助手から指示が来ていた。 「よーし、みんな行くよー」 入山の号令でチームうな重は歩き始める。 藤崎がちらりと視線を送っても、義人はワイヤーの入ったトートバッグを肩に掛けながら片岡と笑い合っていた。 確かに、焦っても仕方のない事だとは分かっている。決めるのは義人で、藤崎ではない。 もしも迷ってくれているなら、希望を捨てずに1週間程は待とう。 作業が始まっても、義人と藤崎は互いに必要な事以外、喋る事は無かった。 「、、、」 4階での撤去作業が終わった。 藤崎は義人を責める事はなく、淡々と隣で作業をこなし、ただ黙って片付けを終えた。 課題の確認点は全て全員の納得いくように修正されており、ひとまず固め終わった。発表形式も決まり、用意したプレゼンボードも完成した。 残すは明日の発表のみだ。 照明を使用する為、日の落ち切った時間からの講評になる。必然的に明日の帰りは遅くなるのだ。 義人は片付け終えた道具やワイヤーをトートバッグにしまい、藤崎も随分軽くなった段ボールを持ち上げた。 「よーし!帰ろう!」 明日の1、2限で設置作業を終え、4限後に一度教室に集まってクラス全員でそれぞれの作品を見て回り、教授の評価で作品全ての順位が決まる。 結果発表は全ての作品を見終わった後だ。 片付けが済んだ義人達はまた自分達の教室へ帰って行く。その間も、2人はひと言も話をしなかった。 「お疲れ様でしたー!じゃあ、明日、最後がんばろう!」 片付け終わった教室で入山が言う。 皆んなに合わせて義人も藤崎も「おー!」と声を上げたが、無論、いつものように隣に並んではいなかった。 他の班も続々と教室へ帰還し、連絡事項を伝え終えるとどんどん解散していく。 「佐藤くん佐藤くん」 「ん?ああ、そっか」 そんな中、片岡が教科書とノート、筆箱を持って駆け寄ってくる。昼休み前に教えきれなかった部分があと少し残っていた。 雨はまだ降ってはおらず、義人は自分の勘が当たったな、と思い片岡にニコリと笑いかけた。 「やろっか」 いつも通り窓側の席の後ろから2番目につき、片岡は今日は義人の隣の席に座った。 「佐藤くん」 「っ!」 ビク、と肩が揺れる。 それはとてもぎこちなかった。 声の主は藤崎であり、それくらいもう声で判断できる義人はいつも通り後ろの席にいるだろう藤崎を振り返りもせず口をつぐむ。 「、、なに」 振り返らない義人を、片岡は隣から複雑な表情で覗いている。 「また、明日」 「、、、」 それだけ言うと、足音は遠ざかって行った。 「大丈夫?」 飲み物を買いに出て、隣を歩いている片岡が義人の方を覗き込みながら聞いてくる。 「大丈夫大丈夫」 「何があったの?」 「いや、たいした事じゃないから」 先日から義人は片岡に嘘をついている。 これは、3つ目の嘘だ。昨日藤崎は購買に行っていないし、2人は喧嘩をしていない。そして、たいした事じゃない訳がなかった。 「そっか」 「ありがとな」 「ううん」 購買でそれぞれお茶を買って教室に戻る。 「佐藤くんばいばーい」 「おう、お疲れ」 峰岸がご機嫌で帰って行った。今日は班員同士の喧嘩もなかったのだろう。 義人は、そういえばとうとう斉藤は来なかったなと思った。もともとサボりがちな性格ではあったけれど、藤崎との確執で更に拍車がかかったように思えた。 「さっきのとこは全部終わったな。あとどこ?」 片岡は覚えが早くて助かる。義人のペースで教えていても追いついて来てくれている。 (そうだよなあ、、藤崎は、興味のない奴には興味がないんだ) ぼんやりと頭に浮かぶ、藤崎の顔。 相手の事を心配していても、その人間の選択を優先し、ああしろ、こうしろとは言わない。ついてこないならついてこないで、呼び止めるまでの興味がない人間は、藤崎は見捨てるのだ。 (、、俺には、興味があったんだ) 昨日、藤崎は義人に対して必死だった事を思い出す。腕を掴み、あの整った顔を歪めて義人に言っていた事。 『違う!!聞けよ、そう言う事じゃない!!からかってない!!』 (ああ、、からかってなかったんだ) 昨日の帰りに入山に言われて少し納得はしていた。あの告白は、決してからかいやおふざけではなかった。 藤崎の中の本気だったのだと、義人は納得する。 「あ、あとここ分からない」 「ん?」 黙々と勉強を教えて小一時間くらい経った。周りの班も全て帰って、教室には義人達以外誰もいなくなっている。 分からないと言われた教科書のページを見下ろし、義人は確かな発音で読み返してからひとつずつ解説していく。 けれど頭の中では、藤崎の事を思い出していた。 「あ、そっか、わかった。うん、ありがとう。あとはまだやってないから、大丈夫」 「ん、わかった」 ちょうどよく、授業でやった範囲が終わったらしい。片岡は満足げに笑むと教科書を閉じ、グッと背筋を伸ばして大きく伸びをする。 「ん、あーっ、、!」 同じように義人も伸びをした。 ボキボキ、と右の肩甲骨の辺りが鳴る。時刻は19時を過ぎていて、学内も既に色々な教室の電気が消されて暗くなっていた。 「あの、」 窓の外に視線を移していた義人に呼びかけ、振り向いた彼の席の隣で、片岡はふるふると小さく唇を震えさせている。 「ん?」 「あ、あの、佐藤くん」 「うん」 あまりにも小さい声で聞き逃しそうになった。 何故か緊迫した顔の片岡が教科書やらを胸に抱え、椅子を机にしまいそこに立ち上がる。 「え、どうした?」 帰り支度をしながら義人も立ち上がり片岡を見下ろす。本当にチワワ、または小動物のようだなと彼女を見つめる。 どこかで人の声がしない程、今日の大学はこの時間で静まり返っていた。 「もう、班、終わっちゃうね、、」 「あー、そうだね。何か寂しいなあ」 リュックを背負うと、片岡がこちらへ一歩詰め寄る気配があった。 「?」 不思議ともう一度見下ろした彼女の表情を見て、義人は一瞬固まる。 この妙に甘い雰囲気と、シンと静まり返った無音の教室が少し不気味にも思えた。 「だから、あの、、一緒に作業できて、嬉しかったし、楽しかった!」 「は、はい」 まさか、と唾を飲んだ。 「私、佐藤くんのことが好きです!」 突然の告白に、義人の反応が遅れる。 また一歩と近づいた片岡が何もしていない義人の左手に触れると、彼の左手の小指がピク、微かに動いた。 「え、、?」 カチ、カチ、と微かに、黒板の上の壁に掛かっている時計の音がする。 「か、彼氏に、なって、、、下さい」 語尾がどんどん小さくなっていって、最後の方は聞こえなかった。 それでも、付き合いたいという言葉なのは義人にも理解できた。 (女の子に告白された) 久々のそれに驚いている。 喜べばいい。はしゃげばいい。受け入れればいい。 けれど、それができない。 そう、驚くしか無かった。 「、、、」 無理だ、とポツンと頭に浮かんだ。 『佐藤くんが好きです』 その瞬間、あの声が耳元に蘇る。 「ッッ、、!!」 恐ろしい程の速さで、強さで、体温が上がり鳥肌が立った。 腕の皮膚がピリつき、義人の目が見開かれる。黒く暗い瞳に写っているのは確かにそこにいる片岡だったけれど、彼女自身が分かる程、その目は彼女を見つめてはいなかった。 (あ、れ、、?) 「佐藤くん?」 絵に描いたように可愛らしい女の子。 いい匂いがして優しくて、守ってあげたいと思ってしまう。 その筈なのに、それが普通なのに、片岡は見れば見る程魅力的なのに。 義人の心はほんの少しも彼女の「告白」にときめかなかった。 『俺と、付き合ってください』 迫ってくる事実に、またバクバクと心臓が反応する。思い出されるその光景とあの目の色が今はやたらとそばに感じられた。 (嬉しかったんだ) 目眩がしそうな程、胸は高鳴って息は苦しかった。 味わったことのない高揚感に足がすくんだ事も、逃げ出した事も覚えている。 (藤崎に告白されたとき、俺、嬉しかったんだ) 足が震えそうだった。 それを何とか堪えて片岡を見下ろす。 「ごめん」 「あ、、」 入山が言ったように、何もかもなくして考えてみた。 藤崎と付き合いたいか、そうでないか。 いつもどうして藤崎のそばにいると苦しかったのか。 当たり前じゃないか、それくらいに好きだったんだ。 形なんてない、自信なんてない。 でも、これがきっと義人の「恋」だった。 誰よりも藤崎のそばにいたいと思った事、自分だけに笑いかけて欲しかった事。 この独占欲が義人は怖かった。 誰にも依存した事のない彼が、初めて喉から手が出る程欲しいと思った人。その人が自分の方を向いてしまった事。 全てが初めてで、義人には恐ろしく思えたのだ。 (逃げたくない) 今日、目が合わないのが寂しかった。 本当は振り返って「一緒に帰ろう」と言いたかった。 自分でも驚く程せこく逃げて、藤崎に対してまったく素直になれていない。 いつも、いつもそうだった。 (もう逃げたくない) 藤崎は向き合うと決めてくれた。 藤崎久遠と言う人間が軽い気持ちで人に告白しない事も、自分をよく知って好きでいてくれる事も義人にはきちんと理解ができていた。 理解できる程に、藤崎が義人に自分は誠実であり、本気で義人が好きだとずっと教えてくれていたからだ。 『君はすごく魅力的な人間だよ』 ずっと、ちゃんと見ていると言ってくれていたのだ。 「俺、他に好きな人がいるんだ」 義人は誰から見ても特別な藤崎に告白されたからときめいたのでも、優越感を感じていたのでもない。 義人が好きになった藤崎に、義人が告白されたから、両思いだったから、嬉しかったのだ。 「、、、そ、っか。うん、ごめんね、急に、、ありがとう」 片岡が少し泣きそうな顔をして、パッと左手は放される。 「こちらこそ、ありがとう」 「その、、が、がんばって、ね!」 「うん。友達として、これからもよろしくな」 「うん、、うん!ありがとう!」 今更に気がついた。 背負ったリュックの他に荷物はない。義人は自分達以外誰もいない教室から足早に廊下へ出ていく。 引き戸を開けて半身外に出たところで、後ろから泣き声が聞こえてきて、急いでドアを閉めた。 (、、、会いたい) 歩き出した足は段々と速度をあげていく。 片岡に対する少しの罪悪感はあるけれど、それよりも、気がつくきっかけをくれた事に感謝していた。 (会いたい、、、藤崎に会いたい!) 走り出した学内の木々が強く吹いた風で揺れる。 「会いたい」 保っていた筈の空はとうとう崩れ始め、見上げた先からポツ、と一粒鼻先に水滴が落ちた。 雨が降り始めていた。 「藤崎」 駅まで走り抜けようと腕を振る。

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