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第41話「交際」
温まった身体に、藤崎と同じ匂いがする服を着て、貸してもらったタオルで頭をガシガシと拭きながらガチャ、とドアを開ける。
まさかこのタイミングで、気になっていたシャンプーを使う羽目になるとは思わなかった。
(、、、CMやってるやつだった)
顔が熱くなるのが分かった。こんな事を知ったくらいで嬉しくなるなんてとうとう頭がおかしくなったのだろうか、と。
義人の中での藤崎に対する「好き」は想定できない程大きな感情として、どっしりと心の中に居座るようになったらしい。
(迷惑、、面倒くさい、、キモい)
まだ慣れない初恋が気恥ずかしくて、素直に認められない彼としてはそう思わずにはいられなかった。
「藤崎」
キッチンに立ってフライパンを振るっていた藤崎に呼び掛けると、1回カチン、と火を止めて彼はこちらを向いた。
「風呂、先、もらった、、ありがとう」
先程、雨に打たれてずぶ濡れになっていた義人が心配でならず、とりあえず藤崎は自分の欲求を抑えて風呂場に彼を押し込んだ。
自分のズボンとTシャツを替えとして脱衣場の隅にある洗濯機の上に乗せて置き、無心になる為に料理をし始めていた。
(一緒に入りたい、、)
などと言う邪悪な感情を振り払う為だ。
数日前に近くの銭湯に行ったときですら、藤崎はあまり義人の方を向かず近くにいた少し太った中年の男性をジロジロと見ていた。そうでないと下半身に熱が集まりそうだったのだ。
正直ここまで自分に耐性がないとは思ってもいなかったが、やたらと白い義人の肌が気になって仕方がなかったのは事実だ。
(あー、これ彼Tシャツじゃん、可愛い)
「んー、あったまった?」
自分の下心を隠しながら、少しダボついたTシャツを着ている義人を見つめる。
「うん」
「、、あはは。同じ匂いするね」
ふわふわと香ってくる自分と同じシャンプーの香りに、つい頬が緩んで藤崎がだらしなく笑った。
それを見た義人は口をへの字につぐみながら、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「しっ、シャンプー借りたんだから当たり前だろうが!」
怒ったように言ってはみたものの、鼓動が早くて舌を噛みそうになった。
お互い、いちいちこんな反応をしてては心臓がもたない気もしている。
「何作ってんの、飯?」
「うん。食べてないだろ?佐藤くん」
「ああ、うん、、めっちゃお腹すいた」
「一緒に食おうよ。俺もまだだから」
「、、ん」
21時過ぎ。
脱衣場で脱ぎながら無事か確認したパーカーのポケットに入れていた携帯電話は、ちゃんと機能していた。
親に遅くなると連絡はしたが、夕飯の事までは言っていない。今からメールしても、多分怒られるだろう、と義人は携帯電話を見ながら顔をしかめる。
「ダメそう?無理しなくていいよ、すぐ帰る?」
「いや、、食べたい、から」
(と言うか、帰りたくもないし)
歯切れの悪い義人の台詞に、藤崎は首を傾げる。
「ん?どした?」
「ぁ、な、何でもない!食べる、大丈夫!」
数秒で「ご飯食べて帰ります」と連絡を打ち、通知ボタンをOFFにする。
何となく、今この時間だけは誰にも邪魔をされたくなかった。
「もう少しでできるから座ってて。テレビ見てて」
「ん、わかった」
この前の泊りで、義人が料理がダメな事はバレている。これ以上迷惑をかけない為にもここは大人しくしておこう、とカウンターを超えてソファに座った。
「あれ?佐藤くん、嫌いなものとかあったっけ?」
「いや、基本、平気」
「ん、わかった」
藤崎はそれだけ聞くとニコリと笑ってフライパンに視線を戻し、カチンとコンロに火をつける。
チチチチ、と音がしてからボン、と小さい音が続いて聞こえた。
「、、ん?あれ?」
「え?」
急に、間の抜けたような声を出し、またカチンと藤崎が火を止める。
「佐藤くん」
眉間に皺を寄せ、不安げな顔がこちらを向いた。
「っ、、なんだよ」
視線が混ざる度にドキドキと胸が鳴る。そちらを向いたままテレビのリモコンの電源ボタンを押すと、また何かのドラマのチャンネルがついた。
「付き合ってくれるんだよね?」
「はいッ!?」
音につられてテレビ画面を見ようとした義人の視線は一瞬で藤崎へと戻る。舌を噛みそうになった。
「え、だって。そうだよね?」
「い、いや、その、なんと言うか、、え?え?」
付き合う。
藤崎は義人を好きで、義人は藤崎が好きだ。まだそんなに大人でもなく、汚れ切ってもいない2人の思考回路は同じで、キスも告白もしたら付き合うのが当たり前だと言うのは浮かんでいる。
「ははは、顔真っ赤」
「うっせえな!!」
断られないだろうと余裕のある憎たらしい藤崎の態度に、ソファの肘掛けを掴みながらそちらへ身を乗り出し、義人は強気を込めて彼を睨む。
「お前、覚悟できてんだろうな」
「はあ?」
振っていた菜箸を止め、藤崎が片眉を上げる。
映画のワンシーンのように見えた。
「お、男同士なんだぞ!?」
顔を真っ赤にしたまま、義人は藤崎に噛み付く。お互い最大に考えなければいけないだろうその点を義人の方から話に持ち出していた。
「いやいや。佐藤くんの方が大丈夫?」
「えっ、、いや、うん、、うん」
正直、大丈夫な訳が無い。
「うん、、ん?付き合う、付き合う、付き合う、、付き合ってどうすんだ?子供できない、結婚できない、親に言えない、周りにも言えない、付き合う意味あるか?むしろ付き合っていいのか?老後とかどうすんだ?子供いなかったら2人で施設入るとか、それとも養子縁組、、?」
「佐藤くん佐藤くん」
「え?なに」
「ぜーんぶ声に出てる」
「ッえ、うそ、うわ、忘れろ!忘れて頼むから!」
ブツブツと呪文のように呟き続けていた義人を止め、その慌てように笑いながら、コンロの火が止まっている事を確認した藤崎はキッチンからゆっくりと義人の方へ歩み寄る。
「あー、もー!!」
ソファの上で両手で顔を覆いながらまた何か言っている義人の前まで来ると、テーブルを少しテレビ側に押し、義人の前に跪いた。
「そうだよな。付き合うなら、結婚まで考えないと」
「え?」
膝立ちして義人の両腕を掴み、顔から剥がして膝の上に置く。握った手は玄関で触れていたときよりもだいぶ暖かくなっていた。
「佐藤くん」
「っ、、ん、なに」
ギュッと握られた手から義人も藤崎の体温を感じていた。暖かくて、近くにあるだけでホッとするそれを、今度はためらいもなく握り返す。
「結婚を前提に、俺と付き合って下さい」
いつからか2度目のその言葉に、義人の胸が躍る。トクントクンと波打って、そこに幸せに響いている。
「で、でも」
「ん?」
「男同士だろ?結婚とか、無理、だし。お前だって親がいるんだし」
「ああ、俺は平気」
「、、は?」
ニコッと久々に胡散臭い笑みが見えた。
「さっき佐藤くんが風呂入ってる内に、男の子と付き合います、めっちゃ可愛いですって、言っといた」
「はあ!?」
その言葉にまた胸ぐらを掴み、今度はガクガクと前後に藤崎を激しく揺らす。
「お前分かってる?ホントに分かってる!?親にそんな事言って、こ、この親不孝もの!!」
「ちょいちょいちょい。落ち着けよ、佐藤くん」
あまりにも頭が揺さぶられ、流石に酔ってきた藤崎は胸元にある義人の手を再度握り直しそこから離れさせる。
予想通りの慌てように少し笑いながら、またゆっくりと義人を見上げた。
黒い目は不安そうにこちらを見下ろしている。
(そんなにならなくても、絶対放さないのに)
クス、と小さく笑った。
「大事な息子が、本気で好きになった人と一緒にいられる。これ以上に、親が喜ぶ事なんてある?」
「う、、うーん」
義人の母親はただでさえ息子の恋愛事情への干渉が多い。弟があれだけ感情豊かであり、尚且つ母親に恥ずかしげもなく彼女との話をよくするのだ。兄であり、彼女の前で無表情が多いと弟からですら言われた義人の事は誰よりも心配している。そして父親は頭が固く考えが古い人だ。
受け入れらる訳がない。
そう考えると、義人からはあまりいい返事を返せなかった。
「俺の親、許容範囲広いから」
落ち着かせるように義人の手を撫でると、俯きかけていた視線が返ってくる。
藤崎は何となくではあるが義人の家族には自分達の事が言えないのも理解できていた。これだけ真面目できっちりした人の親が、自分みたいな見た目の男と息子が付き合う事を簡単に許すとは想像し難かったのだ。
それも分かった上で、それでも義人といたかった。
「え?」
「写メ送ってって言われて、メールで送ったらすぐに返信きてさ。早く会いたいって。息子が増えた〜って」
「うわ、本当に心広い、、え?待った」
ネガティヴになりかけていた頭の中がぐるっとそれを消し、ひとつの疑問が浮かぶ。
「俺の、写真、、何であんの?」
チームで記念撮影すら撮った事がなかった筈だ。撮られていたとしても入山か西野が作業風景を撮っていた記憶しかない。それを配られた記憶はない。
なのに何故、藤崎の携帯に義人の写真があるのか。
「あるよー。俺、隠し撮りしまくってたから」
彼はにこやかにそう説明してくれた。
「あるよー、じゃねえよこの変態!!どんな写真送ったんだよ!変なのじゃないだろうな!!」
「えー?そりゃもう俺の自分を慰める会の為の写真だから、めちゃくちゃギリギリのショット」
「ふざけんなどういうつもりだ!!」
「冗談だって」
どうどう、と義人を落ち着かせる。また胸ぐらを掴まれそうになり、流石の藤崎でもそれは制止していた。
義人はクッと歯を食いしばり、藤崎を睨んでいる。
「可愛く笑ってる写真だよ。里香ちゃんといるときの」
クスクスと笑う藤崎に、更にイライラが増す。けれどそれよりも「可愛い」と言われた事の方が義人には大きなダメージだった。
「そんなもん撮ってんのかよお前、、っつーか、可愛いはねえだろ」
「何言ってんの。可愛いよ、佐藤くんは」
「っ、、」
ニコ、と完璧な笑顔。
不意に義人の両手を持ち上げると、藤崎は自分の頬にそれを添えさせる。
「俺、佐藤くんの事ずっと好きだったから、いっぱい撮ってるよ」
藤崎の顔は思ったより暖かくて、義人は自分の手が少し冷たい事に気がつく。いや、藤崎の体温が高いのだろうか。
「何してんの、ほんと」
呆れたようにそう言うと、藤崎が手のひらにチュ、と小さく口付けてくる。
ピクン、と左手の小指が反応した。
「照れてる?」
「照れてねえ!!」
むかつくのも、性格が悪いのも、この先きっと変わらないのだろう。
義人はそれを見ながら息をついて、キスをされていない方の右手で藤崎の額をゆっくりと手の甲で撫でていく。
(いちいち親に言わないといけない訳でもないし、藤崎の親が分かってくれてる分過ごしやすいかもしれない)
サラ、とミルクティベージュの前髪で遊ぶ。
くすぐったそうに藤崎が目を細めるのが見え、またそれが、愛しくて堪らなくなる。
「俺と付き合って下さい」
藤崎はしつこいぐらい手のひらにキスをしながら、しつこいぐらいに言ってきた。
(そのときが来たら、今より強い俺がいるのかな)
輪郭をなぞって、頬を撫でて、そっと唇に触れる。先程のキスで何より分かったのだけれど、改めて触れると形がよく血色の良い、柔らかい唇だった。
(誰にも触らせたくない、、親に反対されても、友達が居なくなっても)
これが自分のものでないと、そっちの方が気が狂いそうだ。
「付き合う、から」
「ん?」
唇に触れていた手がするんするんと顎を滑って、首に触れる。
「付き合うから、浮気したら本気でブチ殺すからな藤崎!!!」
「ッ、ぐ、苦しい!!何で急にそうなんの!!マジで苦しいから!!」
本気で首を絞めながらそう言った。
『今本気で向き合わなきゃいけないことって、きっとあるよ、佐藤くん』
(あれは、こう言う意味だったんだ)
入山の言葉を思い出しながら、静かに藤崎の頬を両手で包んだ。首を絞められて少しむせた彼が、涙目でこちらを見上げる。
何度も何度も悩むことになるだろう、と頭で理解できている。
自分がまだ子供だと言う事も、初恋にはしゃいでいる事も。誰かに馬鹿にされたら、きっと面と向かって怯えてまた苦悩する事も。
けれど見つめたその茶色の目はキラキラしていて、義人は何より、それが好きだった。
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