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【4】その恋はズレ漫才……①

 帰りたい帰りたい、家に帰りたい。  毎日、月曜日の朝の気分だ。いや、日曜の夜か。鬱だ。資料作成のデスロードが終わらない。  陽向はハイランド・コーポレーションのビル事業部に関する業務調査に取り組んでいた。この数日間で社員のヒアリングを中心とした現状分析の報告や、収集した情報の評価、クライアントの要望とマッチングさせた業務分析など、百ページにわたるパッケージを作成して周防に提出した。  周防のレビューはすぐに終わり、真っ赤になって返ってきた。  比喩ではない。  本当にどのページも真っ赤だった。  これだけの量の赤を入れるなら周防が書いた方が速いのではと思ったが、それでは自分が仕事したことにならない。周防も嫌がらせで入れたのではなく、自分のことを考えて入れてくれたのだと充分に理解していた。この指導は愛だ。  だが―― 「……疲れた」  陽向は広いプロジェクトルームで一人、デスクに突っ伏した。  もう何日も家に帰っていない。ほとんど寝ずに、近所にあるネットカフェでシャワーを浴び、コンビニの弁当と栄養ドリンクでしのぐ生活だ。  頭がグラグラして息をするのも辛い。眩暈がする。  それでも目の前の作業をやめるわけにはいかなかった。  周防の怒号を思い出す。  ――クライアントがどれだけのフィーを払って仕事を依頼していると思っている。コンサルタントの単価を舐めるな。クライアントがわざわざ外部にコンサルティング・フィーを支払うのは、それ以上のバリューを期待しているからだ。自分でできることを他人に頼んだりはしない。我々にしかできないことをやらなければ、やる意味がない。  ――全ての作業にバリューを出せ。ただ、情報を集めるだけならリサーチャーでもできる。おまえが作成した書類は文字と数字の羅列にすぎない。資料(パッケージ)ですらない。一からやり直せ。  確かに自分でも甘いなと思う部分はたくさんあった。けれど、持てる力を振り絞って作成したパッケージだった。それなのに一つも褒められず、全てにおいて最低ランクのレビューをつけられてしまった。特にフレームワークを使った各ビルの業務分析には自信があっただけに、バツ印をつけられてショックで倒れそうになった。  ――コンサルタントは資料屋ではない。手に入れた情報を分析・検証してクライアントの課題に対して解決策を示すことが本分だ。にもかかわらず、この資料には手にした情報から新たな価値を生み出すという、その作業の軌跡がない。ドラフトからやり直せ。どんなことが想定できるかという分析のストーリーまで提示できて初めて資料の意味を成すんだ。 「うー、正論だなー。耳が痛い」  やっぱり俺はくそ虫だ。コンサル業界の底辺でのた打ち回っている、ゆるふわ系のくそ虫だ。ああ、このままデスクに涎を垂らしながら寝てしまいたい。くそ虫としての人生をまっとうし、腐葉土の大地へ溶けてなくなりたい。オフィスにあるバリスタのコーヒーももう効果がなかった。  周防の言葉を頭の中でぐるぐる思い出していると、親しげな声が聞こえた。同期であるアソシエイトの森崎だ。陽向はサッキーと呼んでいた。 「ハイランドの資料作成、大変なんだな」 「うー」 「顔色悪いぞ。目から下がほぼゾンビだ」 「おれ……は……もう……死……んで――うおおっ!」  陽向が冗談で飛びつくと森崎は憐れむような目でこちらを見た。 「なんか買ってきてやろっか? チョコレート? 眠気覚まし? エナジードリンク?」 「サッキーは優しい。俺、泣く……」 「あはは、やめろよ」  弱ってんのか? よしよしと、森崎に慰められる。 「もう、赤いボタンを見たくない。俺のライフはゼロだ」 「ウケる」  赤いボタンとはパソコンのキーボードの中心に設置された操作用スティックのことで、忙しいコンサルのための強い味方だった。資料作成の際、マウスやタッチパネルを使うと時間をロスしてしまうが、このボタンを使うとホームポジションから手を離すことなくポインティング操作ができるので時短になる。この前時代的で特殊なキーボードは、職人的な使い方をする業界でひっそりと重宝されている。それでも一日中、クリクリして疲れてしまった。

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