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【5】秘密と決意……②

 二十二時、ハイランドの本社を出て、地下鉄の駅まで歩いていると急に雨が降り出した。  突然の雨に驚く。  夏にふさわしいスコールのようなどしゃぶりだった。 「あー、ついてないな」  陽向の鞄は防水のためパソコンやその他は無事だ。  けれど、自分はパンツの中までびしょびしょになった。  もう雨宿りしても仕方がない。このまま帰ろう。  のんびり歩いていると急に雨が止んだ。  あれと思って上を見ると大きな黒い傘が広がっていて、真ん中に心配そうな周防の顔が見えた。 「ピヨたん!」 「ピヨたん? ……あれ、いますかね?」 「そんなに濡れて、風邪をひいたらどうする!」 「大丈夫ですって。家まですぐですし」 「タクシーを呼ぼう」 「こんなにびしょびしょだったら乗せてくれませんから」 「それも……そうだな」  周防はわずかに考えるような仕草をした。 「あの……このままだと周防さんも濡れてしまいますよ」 「だが、その姿では地下鉄も乗れないだろう。近くのホテルに入ってシャワーで体を温めて、部屋着(ローブ)に着替えるといい。ホテルのクリーニングに出せば、スーツは明日の朝までに乾いているだろう。下着とTシャツは今、コンビニで買っておけばいい」 「ですけど……」  話している間にも周防のスーツの色が肩から変わっていく。クリーニングのサービスを受けるにはそれなりのグレードのホテルに入らなければならないが、周防は慣れた様子で傍にある外資系のフラッグシップホテルに入った。商談でも何度か使ったことのあるサービスの行き届いたラグジュアリーなホテルだ。 「ダブルの部屋しか開いてなかったが構わないだろう。俺はもう帰る。領収書は後で俺に回してくれ」 「あ、でも――」  陽向ほどではなかったが、途中から二人で傘に入っていたせいで周防のスーツも濡れていた。 「周防さんも濡れちゃいましたよね。俺のせいで……すみません。よかったら部屋で乾かしていきませんか?」 「だが――」 「仕事の話もありますし」 「そうか……」  周防は少し迷う仕草を見せたが、陽向が促すと頷いた。  エレベーターを降りて二人で長い廊下を歩く。このホテルは高層ビルの二十七階から三十五階までが客室になっている。最上階にあるフロントは天空のロビーとして有名だ。  部屋に入るとそれほど広くはなかったが、調度品とファブリックが白と茶色で統一されていて、落ち着いた雰囲気があり、何よりも窓から見える夜景が綺麗だった。 「ここから、EKのビルも見えますね」 「そうだな」  日本橋といってもほぼ丸の内だ。東京駅の向こうに暗い場所が見える。皇居だ。他は煌めくような夜景が広がっていてテンションが上がった。 「あー、やっぱり高層階って意味がありますね。三百六十度、綺麗だ。って、裏側は見えませんけど。ああ、東京っていいですね。昼も夜も色んな顔がある。やっぱり好きだ」 「このホテルは所有と運営の分離が上手くいっている、いい例だな」 「あ、確かにそうかもしれません」  日本のホテルは所有と運営が一体のケースが多いが、世界的なホテルグループは海外へ進出する際、所有と運営を分離するのが一般的だ。たとえばマリオット・インターナショナルが運営する六本木のリッツ・カールトンは、東京ミッドタウンの所有者である三井不動産と賃貸借契約を結んでテナント入居している。 「そう考えると、やっぱりおかしいですよね。都内の一等地にあるビルの借り手がいないなんて……。ハイランドタワーの呪いの噂は、やっぱり競合している企業の仕業かもしれっ……はっくしゅん!」  話の途中でスピーディーなくしゃみが出た。わずかに体が震える。寒い。 「早くシャワーを浴びろ。その間に下着を買ってきてやる」 「でも――」 「いいから早くしろ」 「はい」  周防の剣幕に押されて浴室に向かう。中に入るとガラス張りのシャワールームと簡素なバスタブがあり、そのままパウダールームへと繋がっていた。とりあえずスーツを脱いでいる間に浴槽にお湯を溜める。溜まったところで、髪と体を洗い、バスタブに浸かった。 「あー、マジで天国ー」  体が解れていくのが分かる。社畜の日々にふと訪れた神の御加護に感謝する。  手足を伸ばすと指先までとろけるように温まった。  夏とはいえ、濡れると震えるような寒さを感じるものなんだなと実感する。寒さだけではなく、蓄積した疲れもあってか、温かい風呂が最高に心地よかった。バスソルトも入れて充分に楽しんだ後、バスローブに着替えて部屋に戻った。 「あー、いいお湯だったな。……う、こっちはちょっと寒いか」  部屋の空調が利きすぎている。陽向は適当にパネルの数字を弄った。  ベッドに入るとマットがもちもちで柔らかくて溜息が洩れた。シーツも清潔で気持ちがいい。さすが五つ星ホテル、どこも天国みたいだ。ごろごろしているとすぐに眠気がきた。髪を乾かさないと、と思いつつ、気がついたら眠っていた。

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