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【7】恋はセラピー? ピヨたんを懐かせるための100の方法……②
「入中のために焼いたんだ。食べてくれ」
「え? 俺のためって、本当ですか?」
「ああ、好きだろ?」
「忙しいのに……嬉しいです」
周防が説明してくれる。体のことを考えてか、ほうれん草やニンジンを生地に練り込んだ野菜のスコーンが並んでいた。パンやスコーンは大好きなので凄く嬉しい。メイクが落ちるかもと思いつつありがたく頂くことにした。
ソファーに並んで座ると、周防がサワークリームを塗ったスコーンを手渡してくれる。礼を言って受け取った。
「潜入の計画はどうだ?」
「うーん、なかなかいいタイミングがつかめずで」
「そうか。無理はするな。何か危険なことになっても困る」
「危険なんて、そんな」
「入中に何かあってからでは困る。できれば俺も一緒に潜入したいが、それは不可能だ。この見た目と身長ではハイランドレディにはなれない。本音を言えば……ずっと一緒にいたいが」
「ずっと一緒に……」
その言葉が何かの約束に思えて心の端に甘く引っ掛かる。
「コンサルタントはプロジェクトを離れれば顔を合わさなくなる。同じ会社に勤めていても知らない人間もいるし、一年以上、会話をしていない者もいる。入中とそうなるのは寂しいな」
「確かに。でも、今は一緒ですし、また次のプロジェクトも同じになるかもしれませんよ」
「だといいがな」
周防はふと視線を前に向けた。相変わらずのポーカーフェイスだったが、いつもより表情が穏やかで、その素に近い横顔に胸が騒いだ。こんなふうに素直に好意を見せられると、治療で会っていると分かっていても心がときめく。何かを期待してしまいそうになる。甘えられるのが嬉しくて、自分も甘えたくなる。あの大きな手でよしよしされたくなる。
周防といるようになって、人から頼りにされることや求められることが、この上ない快楽なのだと知った。きっと、仕事でもそうなのだろう。陽向はコンサルタントとしてまだその位置まで達していなかったが、いずれはそうなりたいと思っている。人に必要とされたいし、誰かの役に立ちたい。
「入中は、恋人はいないのか?」
「え?」
「好きな人とか、そういう相手だ」
「今は……いません」
「そうなのか?」
「はい」
そもそもいたらこんなことはしていない。恋愛という意味でなら、もう何年もしていなかった。
陽向は友達が多く、明るく素直な性格なので男女関係なくモテる。これは恋愛でモテるという意味ではなく、人としてモテるということだ。どちらかというと弄られキャラで、男からも女からも可愛がられ、よしよしされることが多い。祖母はもちろん、両親と二人の姉からも溺愛されて育った。
それでも恋愛となると途端に上手くいかなくなる。告白すると女の子からはそんなんじゃなかったと言われ、頑張って付き合ってみても友達の頃の方が楽しかったと落胆される。大学時代に付き合った彼女は十歳以上年上の美人で、遊ばれて揉みくちゃにされて終わった。
――なんか愛玩物っぽいのかな、俺。
とにかく愛とか恋とかいう前に、揉みくちゃにされて、何かを吸い取られて終わる。穏やかな愛や与えるような愛を、陽向は恋愛では知らなかった。
オスとしての危険な魅力に欠けるせいかもしれない。コンサルに昇格したら少しは男としてモテるようになるかもと期待を抱きつつ、今は仕事が忙しすぎて何も考えられない。
周防なら間違いなくモテるだろうと思い、はたと女性恐怖症のことを思い出す。周防はこんなにも完璧で仕事ができる男前で、最高にイケてる優良物件なのに、女性恐怖症のせいで恋愛ができない。
難しい。本当に難しい。
人生、そう簡単にはいかないものだ。
思い通りにいかないのが人生だ。
皆、迷ったり苦しんだりしながら、小さなことに喜びを見つけて日々、頑張っているのだ。
――ああ、俺も頑張らないとな。
考えに沈んでいると周防が声を掛けてきた。
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