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【10】ズレた分だけキミがスキ……②
もちろん、PMの周防と、自分の仕事のフェーズが違うことは理解している。
PMの仕事は本当に大変だ。課題解決以外にも、クライアントとのやり取りはもちろん、相手の期待値を維持しながらプロジェクトが確実に黒字になるよう予算の管理もしなければならない。多くのファームでは、一定額以上の粗利を達成することがマネージャーの評価基準になる。それはEKも同じだった。
マネージャーはコンサルタントよりも仕事がハードで責任も重い。
毎回毎回が戦争なのだ。
勝たなければ負けるだけ。負ければ次のプロジェクトが来ないかもしれないのだ。
「どうした?」
「いえ……」
「お腹が空いたのか?」
「いえ」
「やっぱり、疲れたんだな。タクシーを止めよう」
「大丈夫です。駅まですぐですし」
断るより先に周防が大通りに向かって手を上げた。タクシーがゆっくりと減速する。黄色い車体が目の前で止まり、ドアが開いた。
「俺はこれからクライアントとの接待がある。今日は自分の部屋に帰って、ゆっくり体を休めてくれ」
「え? じゃあ、わざわざこのためにここへ?」
「そうだ。……嫌だったか?」
「いえ」
タクシーに乗り込む瞬間、手を取られた。
あっと思うより先に、引き寄せられて口づけられる。
柔らかく触れて、すぐに離れた。周防の匂いと体温だけが唇の上に残る。
あまりにも自然な行為で普通にお疲れ様と言いそうになった。
「ぶつぶつにならないだろう?」
「え?」
確かに周防の体に変化はなかった。
今日の陽向は完全な女装姿でメイクもしていた。当然、ウイッグも着けている。それなのに蕁麻疹が出なかった。
「入中、聞いてくれるか?」
「はい」
急に真面目な顔で見つめられる。行き交う車のヘッドライトを反射しながら、その瞳は真っすぐ陽向を見ていた。
「自分の人生で一度くらい、本当に好きな相手と恋愛して、精一杯楽しんで、悩んだり苦しんだりしても構わないから、自分の気持ちに素直になりたかった」
「あの……」
「ずっと不可能だと思っていた」
「周防さん?」
「それが今、叶っている。俺はこの未来を信じてもいいだろうか?」
これはどういうことだろう。
女装姿の陽向にキスをして症状が出なかった、つまり治療が一定の効果を見せたということだろうか。もう自分は必要ないと、陽向が傷つかない形でそう言いたいのかもしれない。
治療はもう終わってしまったのだろうか?
「あ、あの――」
「車が出る。行かないとな」
周防がタクシーの中へ促してくれる。陽向が頭をぶつけないように手でガードしてくれた。
周防が運転手に一声掛けるとドアが閉まった。
何も訊けないまま、車が発進する。視線を合わせたままガラス越しの周防が徐々に遠ざかった。真摯な顔の周防が夜の街に溶けていく――。
陽向は何も考えられず、しばらくの間、放心していた。
周防と自然なキスをした。
挨拶ではなく、額や頬にでもなく、見つめあって唇にキスをした。
けれど、これは周防と女装したピヨたんとのキスだ。陽向とのキスではない。
男の姿でした、あの日のキスとも違った。
違う? 何が違う? 同じ行為なのにどうしてこんなにも落差を感じるのか。
――苦しい。
胸が苦しかった。
俺は周防に男の姿のままでキスされたかったのだろうか?
変装も何もしていない、ありのままの姿で。
あの日、リビングで腕をつかまれてしたキスのように、今日のキスを……。
考えて、息が止まった。
訳が分からない。そんなことをして一体、なんになるのだろう。男である周防にキスをされて、それがなんになるのだろう……。
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