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【10】ズレた分だけキミがスキ……④

 朝起きてもキスの余韻が消えなかった。  とりあえず報告書を作成して周防に送る。今後の潜入の計画もきちんと見直した。噂の出所が分かった以上、放っておくわけにはいかない。ホテルを誘致するより前に変な噂は消しておきたかった。プロジェクトチームは誘致提案を終え、いよいよホテルグループの優先交渉権者を決定する段階に入っていた。この段階で例の噂が耳に入り、外資系ホテルの誘致計画に遺恨を残すようなことは絶対にしたくない。陽向は朝井をはじめとする、おばちゃんグループの動向を注視していた。  報告書を上げるとすぐに周防から連絡が入った。急遽、調べなければいけないことがあるという。何かあったらすぐに連絡するようにとあった。やり取りはビジネスライクで、この間のキスを連想させるものは一つもなかった。  もう、終わってしまったのだろうか?  コンサルらしい切り替えの速さだと思った。  ――この前の電話の時みたいに……優しくしてくれないんだ……。  恨みがましい言葉は言いたくなくて、口にする前に呑み込んだ。  周防のことが理解できない。  本当に分からない。  陽向はどこか腑に落ちない気持ちを抱えながら潜入調査を続けた。  女装して出勤する。このスキルももう必要ないのだと気づき、可愛い洋服や違うウイッグを買おうとワクワクしていた以前の自分が馬鹿らしくなった。 「あーあ、なんか疲れたな……」  オフィス街を歩きながら溜息がこぼれる。  すると目の前を大きな馬車が走り抜けて驚いた。思わず後ろを振り返る。  やって来たのは騎馬警官に警護された儀装馬車の列で、朝の丸の内が一気におとぎ話のような空間に変化した。  いつもは下向き加減で行き交うサラリーマンやOLも馬車列にスマホを向けている。紋章のついた絢爛な馬車だけではなく、皇宮警察騎馬隊や警視庁騎馬隊も隊列しているのが分かった。 「宮内庁の行事かなんかかな。はあ、カッコいいな……」  陽向がいつもの素直さで感動していると、騎馬隊に次々と追い抜かれ、乾いた蹄の音が耳に残った。騎馬隊の視線は一様に高く、制服もお洒落だった。色んな職業があるのだなと感心する。 「んー、俺も頑張るか」  落ち込んでいないで、やるぞやるぞと己を鼓舞する。たとえアソシエイトでもバリューを生み出す仕事をしているのだ。  今日はハイランドのビルに現場視察が入る。絶好のチャンスだった。何があっても逃せない。  ICレコーダーを準備し、スマホで録画ができるように作業着に細工もしてある。動作も確認済みだ。朝井たちのグループに接触しつつ、ハイランドの営業マンと顧客がフロアの中を見学する様子を眺めた。  内見が終わり、顧客の一人がトイレに入ったところで朝井たちに動きがあった。清掃カートを押しながらトイレの周辺で噂話を始める。井戸端会議のように笑い声を上げ、この前撤退した企業の業績悪化についてや、建物が風水的によくないというデマなどを話す。かつてここが刑場であったという本物の史実も交えながら、借主を不安にさせる絶妙な話術が続いた。  慣れてるなと思う。流れるような会話だった。  企業はこういった噂には敏感だ。  特に商業施設の場合、イメージは最も大きなバリューになる。ブランドイメージ確立のために企業が広告やオペレーションに多額の費用を掛けるのはそのためだ。形のないもの、目に見えないものに価値を付けるために最も必要なものがイメージだからだ。  陽向はICレコーダーとスマホを操作し、現場の状況を全て記録した。  動作を確認して安堵した時、突然、朝井がトイレの角から飛び出してきた。驚きつつ、慌てて置いてあった清掃ボックスの陰に身を隠す。バレないかとヒヤヒヤしたが、朝井はこちらをうかがうような仕草を見せてから、何もなかったように廊下の奥へ消えた。

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