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【14】ある日、アヒルの日……①
それから数日後、周防はナレッジグループとハイランドレディの癒着の現場を押さえたデータをマスコミに流した。朝井の噂話の様子のオマケつきだ。世間はその情報に食いついた。特に朝井の噂話の様子は相当キャッチーだったらしく、おばちゃん特有の語尾を伸ばした喋り方の真似が一時期SNSで流行ったほどだった。
EKではM&A専門の戦略チーム――新たなプロジェクトが立てられ、周防もその中に三割担当で参加していた。
忙しくなった周防と陽向はオフィスでもプライベートでも会えなくなっていた。
周防は普段も小まめに連絡してくれる。自分のことはもちろん、陽向がどうしているかも気に掛けてくれた。愛しているの言葉も添えて。
メッセージや通話で二人は繋がっていたが、陽向はちゃんと会いたかった。
周防に会いたい。
会って声を聞きたい。
匂いを嗅いで抱き締めて、好きだとそう言いたい。
周防がたまに見せる、あの優しい笑顔が見たかった。
夜九時。オフィスのエントランスを出て歩道を渡り、一人でとぼとぼ歩いていると、道の向こう側にタクシーが停まった。背の高い男が降りる。すぐに周防だと分かった。
「周防さん」
陽向が手を上げる。周防も手を振り返してくれる。そのままオフィスに戻るのだと分かった。
陽向は周囲に誰もいないのを確認して、大きな声を出した。両手を高く上げて腰を左右に振って見せる。
「フレー! フレー! 周防! フレフレ周防、フレフレ周防! がんばれー!」
応援のつもりだった。スーツ姿で軽く踊りながらエールを送る。
しんとしたビジネス街に陽向の透き通るようなテノールが響いた。
最初の頃は手も振り返せなかったのに、今はこんなこともできる。応援と激励のダンスだ。
周防は道路の向こう側で驚きながらも、柔らかく微笑んでいた。そのままゆっくりと両手を上げた。
「フレーフレーピヨたん、フレフレピヨたん、頑張れー!」
周防も返してくれる。輪郭のはっきりしたいい声だ。一生懸命な姿に胸がキュンとなる。
踊って、応援して、手を振って。けれど、一番応援されたいのは自分だった。
周防に愛されているとそう思いたい。
今も過去もこれからも、ずっと愛されるとそう思いたい。
他に何もいらない。
――それだけで俺は幸せだから。なんでもできそうな気がするから。
手を振る周防が小さくなる。背中を見せながらオフィスのエントランスに入っていった。
寂しい。せめて周防の手を触りたかった。体温を交換したかった。
これが今の二人の距離なのだと思うとたまらない気持ちになった。
あれ? なんで俺、また泣きそうになってんだろ……。
彼女のせいだ。
元婚約者の亡霊はなかなか陽向から離れてくれなかった。
――いや、本当は自分のせいだ。
あんなに応援されたのにと思う。
忘れよう。忘れてしまおう。女装していた日々も、彼女のことも、残酷すぎる青い空の幻想も。
信じたい。
信じるというのは、相手を盲信することではなく、端から疑わないことだ。
周防と未来を作りたいと思う。
そう、二人で頑張って作るのだ。
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