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【14】ある日、アヒルの日……③
「あの……周防さんの元婚約者のことなんですけど」
言った瞬間、周防は何か悟ったような顔をした。ふうと大きな溜息をつく。
「野村だな?」
「はい」
「あいつは……全く」
「いい人でしたよ」
「まあ、そうだが」
周防とはタイプが違うがユーモアのセンスがあって仕事のできそうなエリートに見えた。
「入中がこのところおかしかったのはそのせいか」
「……はい」
「一人で考えて、ピヨピヨしていたんだな。可哀相に」
「ピヨピヨはしていませんけど」
「ちゃんと話そう。入中に話さなければならないことが、たくさんある」
「はい」
「本当のことを話すから、誤解せずに真面目に聞いてくれるか?」
「もちろんです」
陽向はスプーンを持つ手を止めて頷いた。
「入中が今、言った彼女――日菜子は確かに俺の婚約者だった。昔でいうところの許嫁だ。親同士の仲が良く、一族が代々行っている会社経営の利害もそこにはあった。会社は実質的な支配権を行使しているという意味だけでなく、五十パーセント以上の出資比率を株主として持っている、真の意味での同族 企業で、父親の権力は絶大だった」
陽向が知らなかったことの輪郭が見えてくる。
周防は不動産業を家業としている創業者一族の家系に生まれ、中でも周防の父親はグループ内で人並み外れた手腕を発揮していたようだ。豪胆な性格でビジネスセンスに長け、早くから海外、特にアジアの都市開発に投資を続けてきたという。
「日菜子は明るくて前向きで素敵な女性だったが、二十四歳の時、亡くなった。転移性乳がんだったんだ。確かに色々あった。俺は彼女のことを大切に思っていたし、彼女も俺のことが好きだった。でも、それだけだ」
「それだけ?」
「婚約者というのは形だけのもので、仲のいい親友や兄弟みたいなものだったんだ。俺と野村と日菜子は保育園の頃からの幼なじみで、本当の兄弟のように仲良く育った。もちろんそういう関係でもなかった。だから、心配しなくていい」
「そう……だったんですね」
「確かに、彼女は俺にとって特別な女性ではあった。辛かった時期を陰で支えてくれた太陽のような存在で、彼女や野村に助けられたこともたくさんあった。けれど、そこに恋愛感情はなかった。恋愛感情だけでいえば本当に入中だけなんだ。人や物に対して、可愛いとか愛でたいという気持ちはあったが、好きだとそう思ったのは初めてだった。こういう気持ちなんだということも、入中と出会って初めて知った」
周防は以前、自分の人生で一度くらい本当に好きな相手と恋愛したいと言っていた。その相手が男でも女でも着ぐるみでもなく、自分だけなのだとしたら本当に嬉しい。これまで周防がしてくれたことの一つ一つが宝物のように思える。
そして、陽向も確かにそれを手に入れていた。
気づくのに時間は掛かったけれど、夏の夜空に突然打ち上げられた花火のような、パチパチと弾ける激しくも美しい感情の証を。
「野村は本当のことを言わなかったのか?」
「詳しいことは全く。ただ、周防に可愛がられてるのかって訊かれた後、からかうような感じで笑われました」
その笑いの意味に、はたと気づく。
「野村は俺の女性恐怖症を知っている。だから、そう言ったんだ」
「そうみたいですね」
なんだかホッとする。そんなふうに思うのも違うけれど、とにかく安心した。
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