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【14】ある日、アヒルの日……④

「凄く不安になってしまって……すみません。もしかして、俺への気持ちは勘違いだったのかなと思ってしまって」 「そんなことは絶対にない。俺は入中だけを愛している。これまでも、これからもだ」 「そ、そうですよね。……あの、疑ったりしてごめんなさい」  陽向が素直に頭を下げると、周防は大丈夫だという仕草をした。 「お互い言葉が足りなかったのかもしれない。好きで、好きで、幸せで、問題を感じなかった。ずっと幸せだったからな」  幸せだったと感慨深げに言われて胸がキュンとなる。  それは陽向も同じだった。 「これだけ好きで、心が通じ合っていて、なんの問題もないと信じていたが、好きだからこそ生まれる不安や悩みもあるのだと分かった。これからはたくさん話をしよう。毎日、寝る前に話をして、抱き合って一緒のベッドで寝よう。毎日、想いを伝え合おう」 「はい」 「課題を感じたらすぐに報告してくれ」 「……はい」 「ピヨたんランドは永遠に完成しない。日々、愛で成長を続けるんだ」 「――え?」 「いや、いいんだ」 「はい」  すれ違いがあっても二度と離れることはない。そう思うと甘い安堵が湧き上がってきた。言葉が足りない自分を反省し、これからはたくさん話をしようと思う。話したいことはまだたくさんあった。 「お皿を――」 「あ、はい」  周防がカレーのお替りを入れてくれた。その気遣いが嬉しい。  心が軽くなって素直に思っていたことを話してみる。 「俺、日菜子さんに似てますか?」 「何を言っている。ピヨたんは日菜子に一つも似ていないぞ。唯一無二の可愛さだ。可愛いの極地だ」 「いや、そういうんじゃなくて」 「本当に似ていない。俺は似ているとは思わない。誰が言ったんだ?」 「野村さんですけど。日菜子さんの弟に間違えられました」 「とにかく似ていないし、俺はそう思わない。安心しろ」 「はい」  陽向はスープを一口飲んだ。あのことも訊いてみる。 「じゃあ、周防さんの女性恐怖症の原因は?」 「それは――」  周防はふと顔を上げると、わずかに目を細め、遠くを見るような仕草をした。大きな体の向こうに、あの遊園地で見た幼い周防の姿が透けて見える。陽向は、触れたくて触れられなかった場所にそっと手を伸ばした。 「話すと長くなる。けれど、話さないとな。いつか話そうとそう思っていた。入中に負担を掛けたくはなかったし、誤解されたくなかった。俺は過去を恨みたくはないんだ。家族や、ほんの小さなことの積み重ねで上手くいかなくなってしまったことを、いつまでも恨みたくはなかった。だからなるべく、このことは思い出さないようにしている」 「…………」 「今が一番大事だからな」 「はい」  本当にそうだと思う。今を大事にすることは、同時に過去と未来を大事にすることだ。  周防は意を決したように話し始めた。 「俺が小学生の頃、家の近所にショッピングセンターがあった。そのおもちゃ屋にはアヒルのぬいぐるみが売っていた。店の真ん中に鎮座しているような大きなぬいぐるみだ。俺はそれが欲しくてたまらなかった。だが、母親は買ってくれなかった。当たり前だよな。そのぬいぐるみは八万円もしたんだ」 「八万円……」  結構な値段だ。きっと凄く大きかったのだろう。

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