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【10】-1
帰宅すると、珍しく母に出迎えられた。
「おかえり、和希。ちょっといい?」
なんだろうと思いながらリビングに入ると、「家が売れそうなの」と母は言った。
和希が小学校に上がる年に買った一戸建ての建売住宅は、今年で築二十二年になる。何年か前に外壁と水回りをリフォームしてクロスを張り替えたので、築年数の割には綺麗だ。
中古で売るなら今が売り時だと不動産屋に言われて、父と母は手放すことを決めたようだった。
自分たちの稼ぎで家を買った二人に、それを子どもに残すという発想はなかった。
姉たちも自力で家を建てたし、和希もいずれそうするだろうと思っている。
結婚して子どもを作って、その時々の家族構成に合った家を買うなり借りるなりして、生きていけばいいと思っている。
4LDKの一戸建ては一人で住むには広すぎる。
思い出のためだけに和希が住むという選択肢は、初めからなかった。
母は駅前の中古マンションを、釣り好きの父は海辺のリゾートマンションをすでに購入済みで、引っ越しもほとんど終わっている。
何もしていないのは和希だけだった。
「住むところ、見つかった?」
母に聞かれて曖昧に首を振った。
「和希も二十八でしょ。誰かいい人を見つけて結婚でもしたら?」
「家の話じゃないの?」
「それによって、住むところも変わってくるじゃない」
婚活サイトや見合いの話が出はじめたところで「住むところの候補は考えている」と会話を断ち切って、ソファから立ち上がった。
「今月中に決めてほしいんだけど……」
カレンダーに目をやり、すでに月末だと気づいた母は「五月中には決めてね」と言い直した。
和希は、ただ「わかった」と答えてリビングを後にした。
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