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【12】-3

「俺の大事な人……? になるかもしれない人? だから?」  ビミョーな疑問形で言って、にっと笑ってみせる。岩田は「へ?」と間の抜けた顔をした。それから突然「おお。そうかそうか」と激しく頷いて、和希から手を離した。  カウンターの女性が、甘えた声で「慎一くぅん」と呼んだ。戻っていく慎一の背中を見ていたら、なんだか胸が痛くなった。 「……帰ろうかな」 「何言ってんだよ。そういうことなら、今日は俺の奢りだ。こっちで飲みな」  岩田に腕を掴まれて、またビクッと身体が強張った。岩田はウキウキした足取りで、和希を奥のボックス席まで引っ張っていった。 「お、和ちゃん、来たのか」 「座って、座って」  岩田の連れに歓迎されて、通路側に小さいスツールを引いてきて腰を下ろした。「こっちに座りなよ」と岩田がソファをポンポン叩いたが、「大丈夫です」と、顔に笑みを貼りつけて断った。  建築会社を経営する岩田は、たいていこの席で二、三人の仲間と飲んでいる。大工の田中とクロス職人の鈴木は常連で、この日も三人で飲んでいた。 「和ちゃんが、慎一の恋人になってくれるかもしれないぞ」  上機嫌で岩田がほかの二人に言った。和希は水を噴きそうになった。 「な、何言ってるんですか?」 「え、違うの?」 「だって、慎一も僕も男ですよ?」 「うん。だから?」 「だから……」  何かおかしくないですか、と聞くと、岩田は心底不思議そうな顔をした。 「別に何もおかしくはないだろう。男が男を好きになっちゃいかんという決まりは、ないだろうし……」 和希は思わず岩田の顔を見た。なんでもない様子で枝豆を口に放り込んでいる。  確かにそうだ。  岩田の言うことは正しい。正しいけれど……。 (それって……、そんなに、普通のこと……?)  二十八年かけて和希の頭の中に出来上がった「常識」という名の氷が、カランと音を立てて見る間にとけていった。

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