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第4話 【本編】 ぼくはもう偽物の皇太子だってバラしたい!

【本編】 ◇ ぼくはもう偽物の皇太子だってバラしたい!                   *             上杉(たから)が大学二年に進級してほどない四月のある日曜日。  この日は昼ごろから次第に天候が悪くなっていき、三時のおやつだと妹から与えられたスナック菓子の封を開くころには、すっかり外は嵐になっていた。  窓の外は薄暗く、大きな雨粒がガラス窓に叩きつけている。  ゴロゴロと不穏な音を鳴り響かせる空に目をやった宝は、折り重なる雲の合間に稲光を見つけて、嫌な予感に眉を顰めた。 (……アイツが来てしまう)  まるでしゃべる猪かと錯覚する、災いの塊のような『アイツ』が。 「どうしよう。結城(ゆうき)が来るまでにこれ全部食べられるか?」  それともこのままどこかに隠してしまおうか。  まだまだ十九才。限りあるお小遣いのなかでやりくりしている宝には、家で与えられるカロリーはとても重要なものだった。  そこにさらに育ちざかりの筋肉馬鹿である燐家の女子中生(ちゅうがくせい)が乗り込んできたら、あっというまに非力な宝はおやつを奪い取られてしまうだろう。  しかし宝がいそいそと机の引き出しを開けたときには時すでに遅し。ガラッ! バンッ! っと、大きな音をたて、窓が壊されるんじゃなかろうかという勢いで開けられた。  びくっと背中を弾ませておそるおそる振り返ると、そこには予想にたがわず乗りこんできた結城が部屋のなかで濡れた身体を拭いている。  華奢な少女はしかしその胸だけは豊満だ。長い髪をタオルで拭きながら、丸い瞳を宝に向けていた。 「あっ、おい、それ俺のタオルっ」 「いいじゃん、洗濯すれば。うっわー。なにこれ、男の枕にのっていたタオルがいい匂いだとか、あり得んわ」  くんくんとタオルを嗅いだ結城は、それをぺっと床に放った。 「なにすんだっ、そういうならコレ洗濯機に入れて()――」  来い、というまえに空に走った稲光に、めっぽう雷が苦手な結城が飛びついてきた。  ゴロゴロドカーン! 「ぎゃぁあぁーっ‼!」 「うあぁぁっ!」  すさまじい雷鳴に飛び上がって叫んだのはふたりしてだが、そのあとに続いた情けない声は宝だけのものだった。 「うわぁぁっ やめろって、はな、はなせっ! こらーっ」  雷にびびった結城が、いつまでもしがみついて離れないのだ。 「い、息がっ、苦しっ、ゆうきっ 息ができないぃっ」  彼女のでかい胸が宝の顔に押しつけられて、息も絶え絶えに「助けてぇ」と命乞いをする。 「いやぁ。怖い怖い。宝ちょっと、雷なんとかしてよっ」 「死ぬ死ぬ死ぬっ。この怪力女っ、腕どけろぉ」 「なんで雷とか存在するのよっ。ありえないっ。地球だからかっ⁉ どうなの、宝?……宝? あれ?」  結城のあり得ないほどのバカ力に、呼吸も叶わずついに意識が遠のきかけると、やっと異変に気づいてくれた彼女の細い腕から解放された。 (俺、いつかこいつに殺される) 「げほっ、ごほごほっ」 「いや、ごめん、ごめん。一応宝も年上の男だからってことで、思わず頼っちゃって。宝はこんなにヘタレなのに、ごめんね」 「来たところすぐにで申し訳ないけど、もう帰ってくれ……」 「うっわ。怒っちゃった? ごめんってば。そんな子ども相手に本気にならないで」  頭に手を当て、てへっと笑ってみせる世間ではかわいいと評価されている幼馴染を、宝は簡単に赦しはしない。  例え中学の文化祭で美少女ランキング一位であろうが、Fカップの胸にくびれたウエスト、すらりとした細い脚、しかも色白とかであろうが、絶対に甘い態度など、とれはしない。  なぜなら、宝は彼女にたいして積年の恨みとコンプレックスを多大につのらせている。  そうこうしているうちに、またもや空がぴかっと光る。「ひゃぁ」と目を瞑って肩を竦めた結城に再び抱きつかれるまえに、宝は指を窓に突きつけた。 「ほら、もう帰れって。いくら幼馴染だからって年頃の女の子が男の部屋に入ってくるな。しかも窓から!」  この部屋は二階だ。ベランダごしで互いの部屋が向かい合っていた。 「いや、まだ人類の、じゃないや。地球の謎は解けていないわ。宝、(あきら)のところにレッツゴーよ」  地球上にもうひとり存在する、宝のコンプレックスを刺激する人間の名まえを口にされ、宝はぎくりと身体を強張らせた。 「いや、待て、‥‥…待て待て待てっ」  結城はずいずいと詰め寄ってくると、制止の声も聞かず「よっこいしょ」と掛け声ひとつで簡単に宝を抱き上げた。しかもお姫様抱っこでだ。 「ぎゃぁ。やだっ、降ろせっ」 「じっとしてて! 落としちゃうよ」 「いやだいやだ。頼むから放してくれ。ひとりで行ってくればいいだろっ」  おなじ年齢の男子の平均よりやや小さいかもしれないが、それでも百六十七センチ、五十五キロの宝を、身長百六十センチにも満たない小柄な中学生が運ぼうとするのだ。 (落ちるっ、こわい、こわいって!)  彼女は勝手知ったる部屋のドアをあけるとそのまま隣の部屋に移動し、そこの窓を開けた。ザッと雨が部屋に入りこんできて、あっという間にふたりをびしょびしょにする。  相変わらずの彼女の粗暴ぶりに宝の目に涙が浮かぶが、幸いにも降りかかる雨のおかげで彼女にはバレずにすんでいた。 「ほら、飛ぶよー。宝しっかりしがみついていてね」 「へ? え⁉ う? うわぁぁぁぁぁっ‼」  宝を抱えたまま窓から隣家(りんか)に飛んだ彼女は、トンと身軽にバルコニーに着地すると、そこに宝を下ろした。  やっと解放されたときにはもうへろへろで、そのまま雨で濡れている足もとにへたりこむ。  彼女はバルコニーの手すりに乗り上がるとちゃんと宝の家の窓を閉めていが、すでにあの部屋の絨毯はびしょびしょなのだろう。 (あとで俺が直子に叱られるんだ、ううっ) 「あきらーっ。いるかーいっ。おーいっ」  ガラリと引き戸を開けて他所(よそ)の家に勝手に上がりこむという結城の犯罪行為に、無理やり加担させられる。手を引っぱられ、しぶしぶとではあるが宝は彼女について歩いた。 「ほら、宝、しっかり歩いて。晶はラボだね、きっと」 「いてっいてっ」  ぎゅっと手に力をいれられて、引き摺られるようにして階段を下りていった。 「あそこなら完全防音だし、雷なんて怖くないもん。こういう日はあそこが一番よ」  シンと静かな家のなかはまるで留守宅のようだったが、こういうときは結城のいうとおり大抵、ここの家のひとり娘である晶は一階の研究室にいる。 (もう、いやだ。なんでこんな目にあうんだ。俺は部屋で平和にポテトチップスを食べていたいだけなのに)  この家は宝にとって鬼門だ。  くすんと洟をすすりながらてくてくと廊下を進んでいくと、宝は次第に自分の手足の先が冷たくなっていくのがわかった。研究室に行くのが怖いのだ。

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