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第10話

   うっとり目をハートにした宝がボケっとしている間に、ことの重大さを理解できないのであろう結城が「まかせて!」としゃきんと挙手して了承の旨を告げていた。 「期待していますよ、結城」 「あ、こらっ結城、お前勝手に――」 「だってかわいそうじゃん。宝だって見たでしょ? 妹を守ろうとして王子様、お腹ざっくり刺されちゃって血ぃダラダラだったんだよ? 宝だって、直子ちゃんがいるじゃない。だったら妹を守ろうとする兄の意志を継いでやれないのかいっ!」 「――うっ」  びしっと指を突きつけられ、青天霹靂のような結城の正論に宝はぐぅっと押し黙った。 「それにしても、お兄さんのことといい、お父さんのことといい、可哀そうだったわね、プラウダ。あたしたちがその悪い左大臣ぎゃっふん、って云わせてあげるからね、安心してね!」 「ありがとう、結城。でも、それらもすべて必然です。私が悲しむことはありません。兄の怪我も父の亡命も、なるべくしてなったのです。それらは彼らにとってはいらない体験でありません。王も兄も自分たちに必要な(ゴウ)を果たしているのですから」 「へ、へぇ……」  顎を引いた結城に、毅然な態度を見せる彼女は続けた。 「さて、これからのことですが。私は『泉の流れるひとの神殿』を追われてしまいました。そうすると国と民と自然を祈ることが、すこしたいへんなのです。このままではそれらが徐々に蝕まれていき、いつかは神の使いの声が神官たちにすら届かなくなってしまいます。ですから私たちは『泉の湧く神仙の神殿』に向かうために、今日もここまで歩いてきました」 「そこに行くとすべてが解決するのですか?」 「天使が云うには、あなたが皇太子としてそこに辿りつくと、四日で解決できるそうですよ」 「じゃあ、俺は三日後には、無事に家に帰れるんですね?」 「なにをもって無事と云えばいいのかわかりませんが……」 (ひぃぃっ、なんでソコ、ちゃんと肯定してくれないの⁉) 「だって、ギアメンツは刺されたって! 命を狙われているんですよね?」  ここにきてはじめてプラウダが、困ったわね、といったふうに一度きれいな弓なりの眉を顰めた。 「宝。すべては必然ですよ。たとえあなたが怪我をしようが命を落とそうが、それは今生(こんじょう)、あなたに必要な経験なのです」  きれいな微笑みをつくって放った彼女のセリフに、宝はがっくしと肩を落とした。                       *  そして翌日。  もとの世界とうってかわり、こちらの世界は昨日とひきつづきとてもいい天気だった。  現実として受け止めるには理解の範疇を越えている目のまえの光景を、宝は半分夢心地でやり過ごしている。踏みしめる大地の感触も、耳に届く結城の高い声も、青い空も、それだけを感じていたならば、宝はなにも誤魔化す必要なく安心できるのだ。  しかし、ちょっと五感を広げてしまうと、本来の生活圏ではありえない見渡すかぎりの緑や、広い高原にぽつりぽつりと建っている珍しい建築物が目に入る。そして聞きなれない鳴き声に顔をあげると、そこにはおそらく地球上にはいない生物が空を飛んでいたりして――。 (うん。やっぱり夢を見ているのかもしれないな……)  そうやって、宝はあえて意識を移ろわしていた。  そうでもしないと、ただでさえ日ごろから結城と晶に痛めつけられて脆くなっている精神が、崩壊してしまう。  宝はなだらかな上り坂道を、どんどん先に進んでいく彼女たちの後ろについて歩いていた。ふたりともロカイの用意してくれたこの国の服を着ている。宿場でみた街のひとたちとおなじ装いだ。  ところが宝に用意された服はというと、他には見ないドレスシャツと装飾のあるボトムの、いかにも『王子さま』な服だった。  隣には外国人のような風体のロカイが歩いている。彼は昨日は下ろしていたアッシュブロンドの長い髪をひとつにまとめて、幅のある髪留めで縛り編んでいた。  そして数歩前を歩くのは白い簡素なワンピースを着た、まるで西洋人形のように可愛らしいプラウダだ。  彼女は道中たびたび足をとめてはお祈りをはじめるのだが、そのときには額にきれいなサファイア色の宝石が現れる。その宝石は大きさや色を変えて輝き、さまざまな光を発していた。そのことも今、宝がいちばん身近で信じがたいと思っている現実のひとつだった。 (俺はピーチなハートをしてるんだぞ。こんなんじゃ、そのうち狂ってしまうじゃないか……)  いや、もしかしてこれは本当に長い夢の最中なのかもしれない。だとすると、昨日のどこまでが現実で、どこからが夢の始まりだったのか。 (もしかして俺は昨日のラボの爆発で重体にでもなって、病院のベッドで寝ている最中なのかもしれない。あの時救急車で運ばれていった自分そっくりの青年は、実は意識が離脱した自分が見ていた本物の自分だったとか⁉) 「あり得る!」  ちょっと痛い思いでもすれば、目が覚めるのではないか。そう思って頬をぎゅっとつねった宝は、「いたいっ‼」と悲鳴をあげて、その場にうずくまった。  結城が立ち止まって、くるっと振り返る。 「宝、どうしたのっ⁉ お腹が痛くなっても、こんなところにトイレなんてないわよっ」  おなじくこちらを見て「あらまぁ」と首を傾げたプラウダと目があうと、宝は顔を真っ赤ににした。 (なんてことを云うんだ⁉ こんなかわいい子のまえでっ) 「あっ、でもそこの倉庫のうしろに隠れてやっちゃえばいいか? 待っててあげるよ、はやく行っておいで」 「ち、ちがうっ!」  宝がいきおいよく立ちあがった反動で、頭に載せていた王冠がぽろりと落ちた。 「おっと」 「あっ――!」   すかさずロカイが、それを受け止めてくれる。 「けっこうすぐに落ちるもんだな。やはり偽物の皇太子じゃだめなのか」 (――うぐっ!)  当然、宝はなにも悪くない。ロカイが声を潜めて『偽物の皇太子』と云ったのも周囲を憚ってのことであって、宝に聞かれたくない非難ではないのだろう。  

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