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第13話

                    *  その後二時間もしないうちに、一行は宿に入った。  自分がみんなの足を引っ張るようなことをしたから、ロカイは先に進むのを断念して宿に入ることにしたのだろうか。  しかしここが峠の手まえにある最後の街であり、このつぎの街を目指すと日付がかわってしまううえに目的の場所に行くのに少し道を戻ることになるのだとロカイに説明され、落ちこんでいた宝はほっと胸を撫でおろした。  今夜も部屋はふたつに別れることになり、宝はまた結城と晶と一緒の部屋だった。タフな結城と途中から彼女に負ぶわれてラクをしていた晶は、とても元気にしていて暫くは眠りそうにない。  宝は本当は疲労困憊ですぐにでも寝てしまいたかったが、寝ているあいだにまだまだ元気な彼女たちにトドメを刺されてしまってはいけないと思い、ひとり部屋を出て宿の庭を散策することにした。  昨夜と違って今夜は(れっき)とした宿だ。  庭は宿泊客たちに喜ばれるように、きれいに手入れされていた。宝はいくつかあるベンチのひとつに座って、しょんぼりと肩を落とす。  今日はたった六時間の道中に、二度も殺されかけた。  こんな旅をするくらいならたとえ悪魔のような幼馴染に恐怖する日々であっても、昨日までの日常のほうがまだマシだ。 (明日も襲われるんだろうか? いや、もしかしたら明日こそ本当に殺されてしまうのかもしれない)  重い溜息をついて明日を憂慮する宝だったが、しかしその憶測はあまく、次の危機はもう宝のすぐ目のまえに差し迫っていた。 「あれ? なんだろう、あそこ……」  パティオをでたところの、向いの棟の近くに変わった建造物がある。小さな屋根がついているが、その下にはなにもないように見えた。宝は月明かりだけを頼りに、じっと目を凝らしてみる。 (あっ、井戸だ)  レトロな雰囲気を醸しだす大きな井戸を見つけた宝は、物珍しさにそれに近づいていった。  井筒の縁に手をかけて、そっとなかを覗きこむ。井戸のなかは、なぜかうっすら明るい。月明かりが入りこむのだろうか。 「すごい。これどれくらい深いんだろう? 現役で使っているんだよな?」  目のまえに垂れるロープを見上げると、屋根に吊り下げられた滑車につづいている。ぐいぐい引っ張ってみると重い手ごたえがあり、井戸の底に確かに桶が存在しているのがわかった。  能登(のと)の祖母の家でも井戸水を使っている。手押しポンプからでる地下水は季節を問わず一定した水温で、夏は冷たく冬は暖かく感じられるのだ。  ――ちょっと水に触ってみたい。  宝はきょろきょろ周囲を見渡してひとがいないことを確認すると、わくわくしながらロープを手繰(たぐ)っていった。 「よっし! 桶が見えてきた。あとすこ、――ぅわぁっ‼」  ふいの背後からの衝撃に、バランスを崩して叫ぶ。 (――なに⁉)  驚いて振り返る間もなかった。背後から何者かの手が宝の首にまわってきて、ぐっと力が加えられたのだ。 「うぐっ!」  ぎりぎりと絞めつけられ、息ができなかった。 (し、死ぬっ! 苦しい……、息っ……、だれか助けて!)  痛みと苦しさで、じわりと涙が滲んだ。  知らない暴漢の手を引き剥がそうとするが、首に食いこむ指の力はつよく――。もう喉が潰れてしまうと思った刹那、ドンッ! とさらに宝の身体に負荷が掛かった。  しかしそれからすぐに伸し掛かっていた重みも、首を絞めていた手もすっと消えてなくなる。足もとではドサッとひとの倒れる音と「うぐぅ」と低いうめき声がした。 「げほっ、……うっ、はぁっ、ごほっげほっ!」  宝はやっと取りこめた酸素に噎せかえった。  失神寸前だったのだ。頭のなかがぐらぐらと揺れる感覚に天と地の判断もつかない。前のめりに大きく(かし)いだ宝の身体は井筒にぶつかって弾むと、ずるりと滑ってそのさきの井戸へ向かって倒れてしまう。 (落ちる!) 「危ないっ‼」  覚悟した宝は、庇うようにして自分を抱きしめた知らない誰かとともに、深い井戸の底に落ちていった。  やっぱり、俺、死ぬんだ。  そして童貞の遺体になるんだ。  きのうあれほど、とっとと童貞を捨てておくって反省したというのに……。  ああ。死んでもあいつらちゃんと、俺を連れて帰ってくれるかな。っていうか、死体すら見つけてもだえないかもしれない。  父さん、直子ごめんな。  意識を手放しそうになる短いあいだに感傷で胸がいっぱいになったが、不思議と恐怖はなかった。それは、宝を守ろうとしてくれる誰かが、一緒にいてくれたからかもしれない。  長いようでいた一瞬間後、バシャン! と水面に打ちつけられて潜水した宝は、じきに強い力に引っ張られて、水のうえに顔を出すことができた。 「ゲホゲホッ、ゴホッ」 「大丈夫ですか? ギアメンツさま」 「?」  名まえを呼ばれて宝は驚くが、その男の声は咄嗟に思いついたロカイのものではない。自分を水面に抱き上げてくれているのがだれなのか見当もつかないし、咳がひどくてで問うことも叶わない。  絞殺されかけたすぐあとに水中に落ちたので、宝は僅かな間にでもけっこう水を飲んでしまっていたのだ。 「ゲホッ、エッ、ケホッ」  苦しさのあまり目のまえにある誰かの胸にしがみついて、激しく咳きこみつづける。 「はぁ、はぁ、ぇほっ、……はぁ、はぁ、はぁ」 「ギアメンツさま? 落着きましたか?」  ようやく覗きこんでくる男の顔を見上げられたとき、宝ははっと息を呑んだ。  暗がりではあったが水を滴らせた顔がとても丹精で、短く刈りこんだ髪の色がすてきなプラチナブロンドをしているのがわかったからだ。  彼の逞しい腕は井戸の石壁を掴んでいて、それでふたり分の体重を支えてくれていた。 「ごめ――、」  慌てて「自分で……」と石垣を掴もうとしたが、軟弱な宝ではうまく石を掴むことができず、するっと指が剥がれてしまう。 「うわっ」  バランスを崩して背後に倒れそうになった宝を、さらに彼は支え治してくれた。宝がたてた水の音が井戸の中に反響する。  いびつな硬い石で痛めた宝の指を取った男は宝を抱いたまま泳いで移動すると、井戸の内壁に施されている段差に、宝の足を掛けさせてくれる。  宝はやっとなんとか水中でも自分で立つことができて、はじめてそこが階段らしいと気づいた。

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