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第15話

 とっさに腕を回してくれた男に支えられて、彼の腿に尻をつく。体力と気力の消耗からか怯懦(きょうだ)が過ぎたのか立ち上がれなくなってしまった宝は、男に横抱きにされて宿の廊下を運ばれた。 「どちらの棟にお泊りですか? どの部屋に?」  どこもイヤだった。自分の家以外に運ばれたいところなどない。 (帰りたいよ……)  この世界にきてから時間も場所も関係なく、ひとときも安心できないでいる。  宿の部屋に帰ったところで、そこには結城と晶がいるのだ。たとえ慣れ親しんだ幼馴染とはいえ、彼女たちになんどもひどい目にあわされてきた宝は、怯える気持ちのほうが大きい。 「あの部屋には戻りたくない」  宝はぎゅっと男の胸に縋りついた。  昔から結城にはプライドをずたずたにされていたが、今日、女だてらに襲ってきた暴漢を撃退する彼女の姿を見ていて、宝は彼女にはなにも敵わないと心が折れてしまった。  晶にしてもそうだ。力がなくたって、晶はいつも頭脳で勝負に挑んでいる。  自分が立派な人間であるのなら彼女たちを賞賛し幼馴染であることを誇るのだろうが、それができないで嫉妬してばかりだ。自分はなんの能力もないうえに、清い心さえ持ち合わせていない。 (俺ってほんとうにドクズだな) 「ギアメンツさま?」  黙ったままでいると溜息をつかれ、びくっと肩が竦む。しかしそのあとに、 「では、私の部屋にお連れします」  と、云われてうれしくなった。  目的が決まったせいか、彼は今まで以上に確かな足取りで歩きだす。結城にはお姫様抱っこをされるたびに悔しい思いをしてきたが、彼にこうして運ばれるのは悪い気がしない。  こんなに逞しい腕に抱かれているのなら、結城の細い腕よりもいくらも安心できる。それに彼は男だ。抱かれて運ばれたとしても、なにも自分が恥じることはない。  そう思うと疲れていた身体と心が解放されるようで、うとうとしてくる。  顔を寄せた男の広い胸から、トクトクと心臓の音が聞こえてくる。頬に触れる温もりと穏やかな身体の揺れが心地よくて、宝の重くなった瞼はそっと下りていった。 「ギアメンツさま……ギア?」  心音だけでなく声すらやさしく鼓膜に響いている。意識が落ちる間際、宝はとても甘い気持ちに満たされていた。  頬をペチぺチと叩かれて目を覚ました宝は、見知ぬ部屋のカウチに寝かされていた。 「……ううん?」 「ギアメンツさま。起きましたか? それならまず着替えて下さい。濡れたままの服では風邪をひいてしまいます」 「くしゅんっ」  云われた途端、身震いして宝はちいさなくしゃみをした。 「ありがとう」  パンツ以外の服を全部脱ぐと、あたりまえのように彼が身体を拭いてくれる。いい歳してそんなことまで面倒を見てもらうのは気が引けたが、宝はいまはギアメンツの代わりなのだ。  彼がギアメンツのことを知っていて、しかも下手(したて)にでてあたりまえ、という接しかたをしてくるのであれば、宝はそれに従うほかない。なにしろ自分はいま、この国の皇太子なのだから。 (皇太子らしく、皇太子らしく……)  泰然自若(たいぜんじじゃく)に振舞おうと心がけた宝は、着替えを渡され「うむ」と頷き、浴衣のような服を羽織った。しかしたくさんの穴とところどころについている紐の使い道が分からず「はて?」と首を傾げる。 「あのぅ。これ、どうやって着るんですか?」  訊ねると男はなにも云わずに、丁寧に服まで着せてくれた。 「下着も脱いでください。それじゃあ、服もベッドも濡れてしまいますし、身体も冷えます」 「えっ? は、はい……」  それについては云われるかもしれないと思ったが、やはり云われてしまった。でも年頃の宝は恥ずかしくて、ひとまえで下着を脱ぐなんてことはできない。 「ちょっとあっち向いていてください」  照れながらそう告げると、彼が背を向けるのを確認してからカウチの後ろにまわって、こそこそとパンツを脱ぐ。  彼が宝の服を部屋に干しはじめたので、宝もそれに倣ってパンツを部屋の隅っこに隠すようにして干しておいた。しょせん一朝一夕で人となりは変えることはできないものだ。 (立派なのは服だけだな)  部屋にぶら下がった服を眺めて、宝はうむ、と頷いた。  それにしてもロカイの用意してくれた服は、品はあるが装飾の派手なものだ。刺繍やフリルが多く、生地も厚い。 「ねぇ、この服は朝までに乾くの?」  宝のために(こま)やかに動いてくれる彼に訊いてみると、彼はまた一呼吸おいてから言葉を返した。 「……よく見て下さい。ちゃんと(はり)にはコルゴの石が使われています」 (コルゴの石? わからない)  わからないけど、当然でしょう? というふうに云われたのだから、宝としては「……はい。そうでした」と返すほかない。 「ギアメンツさま。なにか温かいお飲み物はいかがですか?」 「じゃあ、なんか甘いのをお願いします」 「……はい」  ここでもまた、彼の返事には一呼吸の()があいていた。  宿に用意してもらったお茶は、とても甘くさわやかな味がした。  彼は宝がお茶を口にするのを待ってから、ようやく濡れた自分の服に手をかけた。ずっと宝のことを優先してくれていたのだ。彼に風邪をひかせてしまったら申し訳ないな、と思う。  宝の目など気にせずばさばさと服を脱ぎ捨てた彼の裸は、滑らかな筋肉がついていてとても男らしくきれいだった。下着を脱いだときに、思わず見てしまった彼のソコには、ちょっとぎょっとして慌てて目を逸らす。 (あんな立派なものがついているのなら、コソコソしなくていいよな。どこもかしこもうらやましい)  恥ずかしさと疚しさは、宝を饒舌(じょうぜつ)にした。 「ねぇ、この飲み物なんて名まえなの、とってもおいしいよね。えっと‥‥…。そういえばあなたの名まえも、まだ訊いてなかった」 「それはチャイです。モヤイの濃いめの茶にウコンとミルクが入っていますが……」 「へぇ。そっか。これがチャイかぁ。で名まえは?」 「イアスソッン=バード。十九歳。王宮に遣える貴方の騎士です」

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