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第16話

「イアッソス? イアッソン? えっ?」  宝が名まえを上手に発音できなかったせいだろうか。彼は気分を害したのかすこし投げやりな物云いで「イアンでいいです」と云った。 「……ギアメンツさま。どういうおつもりですか? 記憶喪失にでもなったふりですか? 揶揄うにしては、そんな稚拙で迷惑な方法はあなたらしくもない」 「あっ」  男にきつく云われて、宝ははっとした。彼は怒ってるのだ。しかも彼は皇太子と面識があると云った程度ではない。もしかしてもっとずっとギアメンツと親しかった? (そう云えば「ギア」って、なんどか呼んでいた) 「えっと、その……。俺、そういうつもりじゃなくて……。ごめんなさい」  宝はしゅんとして謝った。 「……いいです。飲んだならはやく眠ってください。お疲れのようですので。ロカイさまといっしょですよね?」 「あ、うん。部屋は違うけど同じ宿にいるよ?」 「では、明日の朝には部屋に戻ってください」  その時、部屋にノックがあった。 「宝ーっ。いるのー?」  イアンが剣を片手に慎重に扉に近寄ったが、聞こえた声が結城と晶のものだったので、「物騒なことはしないでね」とさきに彼に伝えておく。 「イアン、その子、俺の知りあいだからドアを開けてあげて」 「あーっ! ほんとにこんなところにた、もがっ」  宝の名まえを出しかけた結城の口を、賢明にも晶が塞いだ。  かくして知らぬ間に晶に取り付けられていた発信機によって簡単に発見されてしまった宝は、イアンとともにロカイの部屋に連行されてしまったのだ。  宝がイアンの部屋にいたあいだに、庭で倒れていたふたりの男が宿泊客に見つかり、宿は一時大騒動になっていたそうだ。  ふたりの怪我はプラウダが治癒してあげたらしい。 「逃がして大丈夫だったんですか?」  そいつがまた自分たちを襲ってきたり、ここに泊まっていることをほかの悪人にばらしたりしないかと宝は心配だ。 「ああいった(やから)は、たいてい、今生(こんじょう)で神との繋がりをまだ見たことがないものたちなんだ。プラウダに治癒してもらったことで神の力を()のあたりにすることができたのだから、今後は考えも改まるだろう。そうなるとそうそう過ちは犯しはしないさ」  ロカイの説明に宝はなるほどと納得したが、自分たちのやりとりに納得できずに眉を顰めていたのはイアンだ。 「ロカイさま。どういうことですか? ギアメンツさまに今更なんの説明を?」 「ああ。イアン。君はギアメンツの幼馴染だったね。だったら彼の不調に気づかなかったか?」  彼とギアメンツが幼馴染だと知って、宝は冷や汗が背中を伝った。 (俺、へんなこと云ってないよね? 大丈夫だよね? バレてないよねぇ⁉) 「……どういう意味ですか?」  どきどきしながら、イアンの一挙手に固唾をのむ。 「ギアメンツさまはいま、すこし記憶が混乱しておられるんだよ。連日なんども危険な目にあわれてね」  ロカイの説明にナイスフォローだと宝はぐっと手をグーに握ったが、イアンは非常に不納得な表情(かお)をしていた。だ、だめか……? ダメなのか?  宝は皇太子として『泉の湧く神仙の神殿』にプラウダを送り届けるという約束なのだ。もし本当のことがバレてしまったら、どうなるのだろうか。 (もう、もとの世界に帰れなくなるのかな)  不安に眉を寄せてイアンの真意を推し量るべく、宝は彼をじっと見つめる。 「姫巫女のヒールはいらない程度らしいから安心してくれ。ただ気は配って欲しい」 「……承知しました」 「それではイアン、君に訊きたいことがある」  そろそろひとが寝静まろうという時間である。そんな夜の遅い時間から次期王の参謀と一騎士の、国に牙をむく官僚たちの画策を阻止せんがための密談がはじまった。                    *  発光する石に淡く照らされたロカイの部屋で彼の低い声と、イアンの男にしてはソフトで甘い声が交わされるのを宝はカウチで黙ってきいていた。  結城と晶はロカイのベッドに夢心地に転がっている。プラウダは窓から差し込む月明かりのもとで、祈りをささげていた。 「今、宮廷にいるべき君がこの宿にいて、しかも皇太子に挨拶もなかったということは、君が左大臣の命令で内密に動いているということでいいのかな?」 「……」 「左大臣の命令の内容は話せるか?」 「――皇太子と姫巫女をなんとしてでも連れ帰ること。多少手荒になっても構わない。下手に動いて国境を越えられてはならないので、失敗は許されない。必ず援軍を呼べ」  ロカイの質問にイアンは簡潔に答えた。 「ありがとう。では君はここから皇太子と姫巫女を連れ帰らなければ、おそらく左大臣の怒りを買う。どうするつもりだ?」 「今夜、いくつか気になることがありましたので、皇太子と姫巫女を連れ帰ることはやめておきます。暫く左大臣の動向を窺いながら皇太子を見守ろうかと」 「一介の騎士が団の命令を(ないがし)ろにしてか?」 「はい。私は団に属していますが、それは王に雇われた騎士だからです。目のまえの皇太子を危険から守らなければ本末転倒でしょう。結果、左大臣の命に逆らうことになってしまいますが(いた)しかたありません」 「私たちを見逃すと左大臣はお前を国を裏切ったとして処罰するかもしれないが、いいのか?」 「左大臣の思わくを知らない限りは、私がすることが国を裏切ることになるかどうか私には判断ができません。ただ彼が正しくあるのならば私のすることは正しくあるでしょう。私のしたことが裏切りだと思うのであれば、彼自身が国を裏切っています」  宝にはイアンの云っていることが、まるで言葉遊びのように聞こえた。意味がさっぱりわからない。しかし、ロカイにはちゃんと理解できていたようだ。 「つまり、君は自分のすることに間違いがないと自信があるんだね。……まぁ、そうだな。ギアメンツさまを助けた君は正しい。――君は若いのに頭がいいな。腕も優れているようだ。井戸のまえで倒れていた男の傷は見たよ。きちんと訓練を受けているね」  ロカイのイアンに向けられた評価は高く、宝はうれしくなってしまった。しかしイアン自身はそうでもないようで、表情も変えずに黙っている。

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