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第21話

「それに馬にしてもひとにしてもあまり多くのものがここを利用すると、ケモノ道ができてしまいます。それをこの森の精霊たちが快く思っていないようなの。馬を使っているとよく悪戯されるんですよ。ですから馬で林の入り口まで来ても、みんなそこで馬を放って林のなかは歩くのです」 「じゃあここを歩けるなんて、あんた特別じゃん。良かったね、ライラック」  結城が馬の(くび)を撫でる。  この後このなだらかな尾根を抜けた先にある麓から、神殿が見下ろせるそうだ。イアンはそこで神殿の位置を確認してから、もういちど宿場へ偵察に戻ることになっていた。 「あっ。川が見えてきたよ」 「その小川を形成している谷を登ったところで、下に神殿が見えるよ。谷の上からは一時間も歩かないで神殿に到着だ」  高い馬の背から一足はやく小川を見つけた結城がはしゃぐと、ロカイがそのように説明した。 「その川は(いも)なる川のはじめの分流(ぶんりゅう)で、十キロほど下流でふたたび本流に合流している。途中には大きなベリイという街があって、滝のある落合という舟宿場を中継地として、舟運で国の中央に位置する都と繋がっているんだ」 「なら、ここから毒を撒くと、高率よく都を痛めつけることができるな。……結城、あそこ」 「おおー! 怪しげな男、はっけーん! ライラック行くよっ!」  晶が指さすほうを確認した結城は、(あぶみ)を踏みこんで馬の腹を蹴った。駆けだした馬はあっという間に遠のいていき、すぐに彼女たちの姿が見えなくなってしまう。 「あらまぁ、頼もしい」  目を丸くするプラウダに、険しい表情を見せていたロカイもちいさく吐息をついた。 「……まぁ、あのふたりに任せておけばいいんだろうね」 「あぁ、ライラック……。イアン、ごめんな。あいつらお前の馬持って行っちゃった」 「それは構いませんが、彼女たちは大丈夫ですか?」  三人のそっけない反応に、(いささ)か眉を寄せたイアンが訝しげに問う。それにたいして宝はうーん、ふつうは心配するか、と苦笑いした。 「うん。あいつらはたぶん、殺しても死なないよ」  林を抜けた宝たちが小川のほとりにいる彼女たちとのもとへ辿りついたのは、それから半時間たってからだった。結城がロープでぐるぐる巻きにした痩せた男を中心にして、輪乗りを楽しんでいた。 「この男がこれを川に流しいれようとしていた。本人はちょっと体調を崩す程度のもので、二、三日もすれば治る軽い毒だと云っている」  晶は彼から奪い取ったという、装飾の細かな銅製の水筒を持っていた。 「誰に命じられたと?」 「左大臣と云っていたが。その左大臣とやらがどんな人物かと訊いてみれば、曖昧なことを云う」 「ほう。それで晶はどうするつもりだったんだ?」  興味深げにロカイが問うと、晶は手にした水筒の飲み口を縛られた男の口もとに当てた。 「飲んでもらおうかと」 「や、やめろっ。俺はなにも知らないっ」  顔を必死に背ける男の口に晶がぐいと水筒を傾けると、出てきた液体が男の顎を伝い落ちていった。 「うっ、ううっ」 「晶っ、やめろよ!」 「ちょっと体調を崩すだけなんでしょ? なんで飲んでくれないの? どう崩すのか見てみたいの」  宝が制すると、云うことを聞いてくれたのかどうかはわからないが彼女は水筒を手放した。 「じゃあ、かわりにこれを……」  晶は背負っていた鞄から小さなペットボトルを取り出すと、こんどはそれを男に飲ませようとする。 「晶、それはなんだ?」 「テストステロンを促進する魔法の薬よ」  ロカイの質問に男の鼻を抓みながら答えた晶の言葉に、宝は真っ青になった。 「ばかっ 晶やめろっ」  すぐさま彼女に飛びついてそのボトルを奪おうとする。 「なにが魔法だっ! おいっ! お前もさっさと白状しろっ、コイツに殺されるぞっ」  宝の必死な形相につられるようにして、男も顔色を変えた。  なにしろつい今しがた水筒の中身を飲まされかけたのだ。彼女が本気であることに気づいたらしい。  宝と晶がボトルの奪い合いをしていると彼女の背後から近づいたロカイが、ひょいと晶の手からボトルを取り上げた。そしてロカイはボトルを男の顔のまえでちらつかせる。 「そもそもお前は最近コウシンの教会から、神殿へと奉公に上がりはじめた者だろう? いちど城に挨拶に来ていたな。顔を覚えている。しかし一介の司祭が宮廷にいる左大臣と関わり合うことを考えるよりも……」 「しっ、神官長ですっ。私にそれを渡したのは神官長のアランジさまですっ!」  男はロカイにボトルを突きつけられると、あっさりと口を割った。 「アランジさまは民を騙している姫巫女を断罪しなければならないと思っておいでです。それで王が不在の今がねらい目だとおっしゃって。姫巫女に騙されている民の目を覚ますために止むを得ないと、うっ、その毒を私に泉の湧く上流部から流せと……」 「そうか」  全てを白状した男に、晶が「ちっ」と舌打ちしている。 「晶、ちなみにこれを飲むとどうなるんだ? えらく宝が慌てていたが……」 「ふん。それを飲んだらちょっと××××が×××××して、その××から×××××が大量に××出てきた挙句に××しないでもなんども××××する」 「わーっわーっわーっわーっ!」 「…………」 「‥‥……」  宝の抗いもむなしく、すべてがここにいるみんなの耳に入ってしまうと、一同と縛られた男までもが、黙りこんだ。 「……それは、すごいな」  感心するロカイの傍で、男とイアンが顔を引き攣らせていた。  結城にいたっては意味がわかっているのかわかっていないのか、馬のうえから「キャハハハ」と高笑いだ。プラウダは困った顔をして首を傾げていた。 「晶っ、お前おんなのくせして、なんてこと口にしてるんだっ!」 「あぁあ。せっかく実験できると思ったのに。残念。……また宝に使うしかないか」  羞恥で顔をまっ赤になりながら叫んだ宝だったが、それを聞いてこんどは青くなる。 「あ、晶っ。撤回する。ぜひそれをこのひとに飲んでもらえ……」 「あー。宝、悪いんだー」 「もういい。どうせここではゆっくりと記録がとれない」  やんややんやと騒ぎ出し三人の背後で、ロカイが刮目(かつもく)して晶を見つめていたこともその理由がなぜかも、宝には預かり知らぬことだ。  かくして下流地域に住む街のひとびとの危機を、未然に防ぐことができた。男はロカイに神殿に帰るように諭され、その後プラウダに祝福された男をみんなで見送った。

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