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第22話
*
小川を渡ったあと谷を登って神殿の姿を目に捉えると、イアンだけが宿場へと戻っていった。彼と別れた場所から後ろ髪を引かれる思いで谷をくだっていって暫く、宝たちは『泉の湧く神仙の神殿』に到着した。
神殿は緑豊かな谷あいにあった。
『泉の流れるひとの神殿』は、柱や壁の石材に彫刻や彩色が施されとても素晴らしいものだったが、それでもテレビなどで知る西洋のきらびやかな建築物とは打って変わって、その大きさやデザインはささやかであった。
しかしこの『泉の湧く神仙の神殿』は、それよりもさらにこじんまりとしていて、とても簡素な造りだった。
神殿の左右に妹なる川とその分流がそれぞれ流れており、眼下にはふたつの川に挟まれた扇状の高原が、緩やかなくだり坂となって数キロ先まで見渡せた。さらにその前方は森になっている。
石柱の立ち並んだ柱間 二十間 ほどの神殿の内部には、外壁は正面の九間 分にしか屋根がない。ほとんど吹きっ晒しだ。
神殿内部の一番奥の壁の真ん中には、祭壇がある。そこの壁には穴が開いていて、音をたてながらきれいな水が吐きだされていた。水は水路を通って部屋の真ん中にもある円形の祭壇を巡り、そのあとは外へと排出されている。そのあたりのつくりは都にあった神殿とおなじだった。
プラウダは到着して建物に足を踏みいれるまえに、その細い水路から流れてくる水で軽く身を清めていた。それからすぐに広間の真ん中にある祭壇のまえで膝をつくと、指を組んで祈りはじめたのだ。
彼女が青い瞳を閉じると額が青く輝きはじめ、すぅっと蒼い宝石が表面に現れる。彼女は暫くここから動かないのだろう。
プラウダの傍で控えるというロカイの勧めで、宝は中学生の二人組を連れて神殿の背後に散歩にでかけた。
そこには目を瞠るほどに美しい広い泉があった。泉の一番奥、つきあたりの崖は隣国との境にあたる山だと教えられている。
宝は泉には滝でもあるのかと想像していたが、そんなものはどこにもなく、かわりに遠浅 の泉の片隅からは伏流水 がこんこんと豊かに湧き出ていた。
「うわぁぁ。きれいだね! 晶、宝、泳ごうよ!」
「うん!」
云うが早いか、結城は水を蹴りあげながら泉のなかへはいっていった。宝もすぐにあとにつづく。
アウトドアが苦手な晶も、さすがにこの美しい水面には足をつけたくなったようで、パンツの裾をまくりはじめた。
「うはっ、気持ちいいね!」
「最高っ。日本じゃこんなきれいなとこ、絶対ないよな」
宝はここ数日の不安と悩みをすっかり忘れて、祈りを終えたプラウダたちが呼びに来るまで思う存分、沢 ではしゃぎ楽しんだ。
宝が一瞬でも憂いを忘れ本心から笑って過ごせることができたのは、この不思議な土地の力のせいだったのかもしれない。
*
夜、神殿で祈るプラウダの傍にいた宝は、馬の鳴き声に待ちわびたイアンが帰ってきたことを知り急いで外へ駆けだした。
「イアンッ」
しかし神殿の正面に彼の姿はなかった。はやる気持ちを抑えるように胸に手を当てて、周囲をきょろきょろと見まわす。
(あれ、いない……。いまのライラックだよな? 小屋のほう?)
宝は月の光を頼りに神殿の脇に立つ小屋へと回ったが、そこにもライラックとイアンの姿はなかった。
(じゃあ、泉のほうかな?)
小屋の横を通り抜けようとした宝は、そこでふと耳にはいった声に小屋の窓の中へと目を向けた。
小屋はレンガでできていて、中は大きな一間 になっている。その一間は仕切り壁で五つの空間に区切られていたが、仕切り壁のそれぞれは内壁とは密着しておらず、パ―テーションみたいなものだった。
つまりこの僅かばかりのプライベート空間は孤立しておらず、左右からひとが行き来き自由だ。
各スペースごとには簡素なベッドがひとつづつ置かれていた。
ちょうど宝が覗いた窓からはベッドに座る晶が見える。
晶は今日も旅の最中で珍しい鉱物を手に入れていて、それを観察すると云ってひとりで部屋に残っていたのだ。彼女のすぐ近くにはロカイが立っていた。
結城がプラウダと宝の防護を買ってでると彼は神殿からでていったのだが、まさか晶のところへ来ていたとは思わなかった。
(ぺちゃぱいで偏屈で変人とは云え、晶だって一応女の子だし……)
中学生の女の子と成人男子を、部屋にふたりだけにしていいのだろうか。
宝は様子を確かめようとさらに小屋に近づいて、そうっとなかを覗き込んだ。
「晶は今日もつれないな」
「あんたが興味深い話だけをつづけてくれているときは、十に一度でも返事はしている」
「あぁ、そうでもなかったか。昨夜はすこしはかわいいところも見せてくれたかな?」
「……」
晶は黙っていた。
(晶がかわいい? 昨夜なにがあったって? 会話がなんかヘンなんですけど? どういうこと?)
あの偉物 でクールなロカイから発せられる甘い雰囲気に宝は目を擦ったが、それでも晶は晶だった。彼女はロカイのセリフを黙殺して、ベッドに転がした鉱物を順に手に取っていた。
顎のラインに揃えたワンレンボブの晶の長めの前髪が、さらさらと流れて俯いた彼女の顔を隠している。見えなくても宝にはわかる。晶はきっといつもとおなじつんっとした小憎たらしい表情 をしているのだろう。
屈んだロカイの手が晶のその流れる髪の一房を掴んで、口づけた。
(げぇっ‼)
「触るな」
晶が彼の手を振り払う。
「まさか、君が女の子だったとわね。すっかり騙されていたよ。なんで教えてくれなかったんだ?」
心臓が飛び出そうなほど驚いていた宝だったが、ロカイのその言葉にこんどは噴き出しそうになって慌てて口をふさいだ。
このタイミングでここにいることがバレたら、恥ずかしいじゃないか。それにしても。
(晶を男だと思っていただって⁉ なんでそんなことになった⁉ 晶がなんか企んでロカイにそう思わせたのか、それともロカイが本気で勘違いしていたのか、どっちだ? いや、ぺちゃぱいが原因かっ!)
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