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第25話

 「待てっ!」  神殿の正面へと走っていく男はイアンの声に振り返ると、その後ろにいた宝に視線を移した。 「皇太子ぃぃっ!」  男の恐ろしい形相に、足を止めた宝はぷるぷると首を横にふる。 (俺、皇太子じゃないっ) 「死ねっ!」  男が振りかぶって投げたナイフが、宝目がけて飛んできた。 「ギアッ!」 「やだっ!」  すかさず宝を庇ったイアンの肩にナイフが刺さる。正面から覆いかぶさったイアンの肩くちから鮮血が噴きだすのを目の当たりにして、宝は闇を引き裂くような鋭い悲鳴をあげた。 「うっ……」 「やだやだっ、やめてっ俺なんかのためにっ‼」  激しく首を振る宝を体から引き離した彼は、腕をしっかりとつかんで目をあわせてきた。 「ギアメンツさま、落ち着いてください。皇太子を守るのは当たり前のことです。それよりもプラウダさまは?」  ――ちがう。俺、皇太子じゃない。 「し、神殿にいる、はず。で、でも、結城が……」  戦慄きながら答えた宝にここにいるようにと指示すると、イアンは肩に刺さったナイフを引き抜いて消えた男を探しに神殿へと走っていく。 「やだ、い、行かないで……ひっく……」 (俺が本物の皇太子じゃないって知っていたら、きっとイアンは俺なんて庇わなかった)  そしたら怪我などせずにすんだのに。  どうして彼に云っておかなかったんだ。自分は皇太子なんかじゃないって。  いや、でもそうしたら――。 (俺が皇太子じゃないってイアンが知ったら、彼は自分の傍にいてくれなかった)   こんな平凡でダメな自分になんて、彼は見向きもしないだろう。  足もとに落ちているナイフは、細い柄のついた刃渡り十センチほどのスローイングナイフだ。その長さの半分ほどが、イアンの身に刺さっていたのだ。怪我は大丈夫なのだろうか。  侵入者を追いかけ神殿に向かったイアンが心配だ。すぐにでも自分もあとを追いたかったが、皇太子である自分がそこへ行ってしまうと、彼の足手まといになる。さっきロカイが自分を止めた理由が、いまになってわかった。 (俺、またとんでもない失敗をした。どうしよう……)  じっと血のついたナイフを見ていると手が血に濡れていく錯覚がして、恐ろしくて身を震わせた。立っていられない。震える指先を握りしめ、宝がその場にへたりこんだとき、背後から地面をける音が近づいてきた。あっという間に後を追ってきた晶とロカイがそばを走り抜けていく。 「宝、行くよ!」 「あ、あきらっ」  晶の声に後押しされてなんとか立ちあがった宝は、勇気を出して彼ら追うようにして神殿へむけて走った。       *  神殿のなかに駆けこんだ宝が目にしたのは、ナイフを持った男が広間の中央祭壇の前に立つプラウダに、飛び込んでいくところだった。 「民を誑かす悪魔めっ!」 「プラウダっ!」  とっさに結城がプラウダに飛びつくようにして抱きつき、そのままふたりで床に転がる。なんとかナイフの切っ先をよけることはできた彼女たちに、男は追い打ちをかけて跨った。 「うわぁっ!? 」  プラウダにナイフが振り下ろされるすんでのところで、追いついたイアンに男が蹴られてふっ飛ばされた。重量のある蹴りだったのだろう。男は二メートルほど吹っ飛んだがそれでもすぐに機敏な動きをみせた。床に膝をつけることもしないでそのままさらに背後に飛んで体勢を持ち直すと、懐に手を挿しこんだのだ。ナイフでも忍ばせているのか。飛び道具ならイアンが不利だ。イアンと男との距離がありすぎる。 「誰も動くな!」  宝がひゅっと息を詰めたとき、神殿内にきつく響いたのは晶の声だった。叫んだ彼女が銃のトリガーを引いたのと、男が懐から出したナイフを投げたのは同時だったか。  次の瞬間、銃口から放たれた光線がプラウダに向かって飛んだナイフを、見事にはじき返していた。  カチャン!  しかしこの場で床に跳ねたナイフを確認できたものは何人いただろう。それよりも電磁気力によって打ち出された弾丸は電荷(でんか)を含んでいて、それがいっきに周囲に放電したことがすさまじかったのだ。  放たれたエネルギーは蝋燭の明かりだけの薄暗い神殿内部だけではなく、天井のない部分からは天にも駆けていきそうな勢いで閃光を発し、同時にナイフと弾丸がぶつかった地点を中心にして無数の稲光を発生させた。目が開けていられるものではない。  ビシビシビシッ!  ガシュッ! 「ぎゃっ」 「うっ」  生まれた稲妻の近くにいた、男とイアンが感電したらしく悲鳴をあげた。 「結城行くな!」  いちど膝をついた男が()()うの体で、奥にある小さな戸口に向かおうとする。それを追おうとした結城を、宝は呼びとめた。 「なんでよっ!」 「お、お前までっ、怪我してほしくないからぁっ」 「……宝」  涙声で叫んだ宝に、男を追うのをあきらめた結城が引き返してきた。放電は終わり、静けさを取り戻した神殿には宝のすすり泣きだけが響く。 「宝、そんな泣かなくても」 「ん……」  珍しく自分の云うことに従ってくれた結城に、宝はほっとした。結城がびしょびしょになっていた顔を、服の袖でごしごしと拭ってくる。 「ありがと……」  結城が無茶をして怪我をしなくてよかったと、このとき宝は心底ほっとしたのだ。あんな男なんてもう知らない。自分の大切なひとたちには追いかけることすらしてほしくなくて、もう関わりなんていらないのだと、強く思った。  しかしあとになってから、宝はここでこの暴漢を捕まえておかなかったことを、深く悔やむことになる。 「イアンッ」  宝はイアンのもとへ駆け寄った。膝をついた彼は先ほど受けた肩の傷口から(おびただ)しい血を流している。 「イアン、イアン……」  彼の傍までやってきても彼の痛みを想像すると、自分がその身体に触れてもいいのかどうかがわからない。差し出そうとした手を中途半端なところで止めた宝は、濡れた瞳で彼の名を呼ぶだけだった。 「ギアメンツさま、大丈夫ですよ」  イアンが安心させようと笑いかけてくれるが、その口もとは苦痛に歪んでいる。 「イアン……っ」  どうすればいいのかわからず唇を咬む宝の肩に、ほっそりとしたプラウダの手が乗せられた。 「……プ、プラウダ?」 「お兄様。大丈夫ですよ。私がいますから」 「プラウダ!」 (プラウダならイアンの怪我が治せる!)  力強く頷く彼女に宝が安堵の息を吐いたとき、 「なにこれっ⁉」  結城が突拍子もない声をあげた。みんながそちらを振り返る。  祭壇の手前。結城が指さした空中の一点に、光り輝く大きな円が幾重にも重なって浮かんでいたのだ。  大きさを変えながら回転する光の環は、大きいときには二メートルほどに膨れあがっている。まるで光の環の形をした生き物のようだった。  弾丸を撃ったときに反動で後ろに吹っ飛んだのだろう晶に手を貸していたロカイが、光の環に歩いてくる。晶も目を輝かせて後ろにつづいていた。 「プラウダ、これは見事な中空魔法陣だね」 「あらまぁ。あちらと繋がってしまったようね」  ロカイが感心したふうに云うと、プラウダもきょとんとした顔で宙に浮いた光の環を見つめる。 「プラウダ、あちらって、あたしたちの世界のこと?」 「ええ、そうよ。兄の様子を窺おうと(しゅ)を描いていたところだったんですが……」  結城の質問に、彼女は顔を晶をに向けた。 「どうやら晶の使った力が、作用したようですね」  ふふふ、と楽しそうに笑う彼女に、宝は訊いてみる。その声はまだ涙に濡れていたが。 「じゃあ、もしかして、俺たちの家に帰れるの?」  ぱちりと瞬いた宝のまつ毛に、残っていた涙の粒が光った。 「そのようね。今夜のお祈りは終えましたし、ここではまた襲ってくるものもあるでしょうから、いちどあちらにまいりましょう。そのあとのことは、また天使が囁いてくれるでしょう」  そう提案した彼女に、結城が茶目っ気たっぷりのウインクを投げた。 「これも必然ってヤツだね!」

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