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第31話
プラウダとの約束は果たした。きっと今日にはジョウアン国の問題も、解決に向けてのなんらかの進展をみせる。無事にいけば今日のうちのいずれの時にか、世界の違う彼らと宝は別れることになる。
イアンと情を交わしたことでより一層悲しい気持ちを抱えての別離になってしまうが、それも承知のうえで昨夜宝はイアンに抱かれたのだ。だから後悔はしていない。
たとえ住む世界が違っても、彼は生きていてくれる。それが自分の最たる望みだと、宝は彼と関係を持つまえに答えをだしていたのだから――。
プラウダに気づかれたことが恥ずかしくてとりとめもなく視線を泳がした宝は、今度はイアンとバッチリ目があってしまった。彼はこういうシチュエーションに慣れているのか、顔色ひとつ変えなかったが、宝はそうもいかない。とたんにかぁっと顔に血がのぼる。
(だめだ、照れくさい……恥ずかしい……)
「おっはよー、みんな。サンドイッチいっぱい買ってきたよ。食べて食べて」
居たたまれなくて困っていると、いいタイミングで結城が部屋に飛びこんできてくれた。
「いまね、隣に寄って直ちゃんに聞いてきたよ! ギアメンツ今日退院するんだって。これから直ちゃんが迎えに行くって云っているから、あたしもついて行ってくる‼」
「えっ⁉」
「えっ、ってなによ? 宝」
「……結城のバカ」
宝に文句をつけようとした結城は、晶にバカと云われてイアンの存在を思い出したらしい。彼女は「あっ」と叫ぶと、慌てて自分の口を手でふさいだ。
「た、あ、あぁあ……。ギアメンツ。? っていうか……、あんたなんか顔色悪いよ? どうしたの?」
「ギアメンツさま、大丈夫ですか?」
すぐさまイアンが宝のもとにやってきて手を取ってくれた。宝は「なんでもない」と彼に笑いかけたが、それはぎこちないものになった。
(本物の皇太子が帰ってくる)
せつなくなってしまい、目のまえにある彼の逞しい胸にぎゅっとしがみつきたくなってしままった。しかし自分はもうその権利をなくしてしまったのだ。
(いや、もともと権利なんてなかったんだけどさ。……そっか本物の皇太子が帰ってくるのか……)
宝は添えられた彼の手を離すと、彼の胸へと伸ばしそうになっていたもう片方の手を戒め、下ろした。
(それとももうすこしだけ、本物のギアメンツがここに帰ってくるまでは許してもらえるのだかな)
宝は目のまえの恋しい彼の胸に、未練がましい瞳を向けた。脚に添えている手が、彼を求めてしまいそうになるのをぎゅっと握りしめることで堪えた宝は、まだもうすこし、せめて半日ぐらいは自分を偽ったまま彼と恋人同士でありたかったなと思った。
ロカイはいまからすべてをイアンに話すのだろうか。それともイアンが真実を知るのは本物のギアメンツが帰ってきてからなのか。宝はロカイがつぎに口を開くのが怖かった。
昂る感情を押さえつけるように唇を噛みしめたとき、イアンがぎゅっと抱きしめてくれた。
「――っ⁉」
彼のぬくもりと匂いに包まれるとたまらず涙がぼろりと零れてしまう。ぎょっとした宝は誰にもバレないうちにイアンの衣服でこっそりそれを拭うと、まったくひと目を憚らない彼から身体を離した。
イアンはさっき結城が云ったことを聞いていたのだろうか――。
宝はもうその胸にいることはおろか、彼の名まえを呼ぶことすら赦されない気さえしていた。
*
午後になるまえに、結城といっしょにギアメンツが晶の家に帰ってきた。
宝の様子に思うところがあったのか、面々のだれもがギアメンツ本人がここに戻ってくるまでのあいだに、イアンになにも話さないでいたのだ。
だからいざギアメンツがこの場にやってきたときには、イアンはとても驚愕していた。そしてそんなイアンにギアメンツはにやっと笑ったのだ。
「イアン久しぶりだな。結城に話は聞いていたよ。たいそうな働きだったようだな」
「ギア……⁉」
しかしイアンがなにかを云うまえに、結城に傷口を突かれたギアメンツは「いてっ!」悲鳴をあげた。
「ねぇねぇ、云われたとおりちゃんと家まで我慢したでしょ? はやく傷口見せてよ」
しかも結城は云うだけじゃ足りず、晶とふたりして「やはくやはく」とギアメンツの衣服を引っ張りだした。
「わかった! わかった、脱ぐからっ。ふたりともやめないかっ!」
「うっわー。えぐいね。けっこう傷あと残ってるよ? プラウダに比べると日本の医療はダメダメね」
「なんか魔法の薬品使ってもいいいか?」
「一国の皇子さまにお薬! 晶もう宮廷医師ってやつ⁉」
「あー」
中学生二人にワイワイ絡まれて、当の一国の皇子さまは苦笑する。
「プラウダ。この傷痕をよろしく頼むよ。……そしてイアン、宝を支えてやれ。今にも倒れそうだ」
プラウダが翳 した手のひらはやわらかく発光して、ギアメンツの腹部に残った手術痕をみるみるうちにきれいにしていった。なんど見てもその工程に飽きないのか、結城と晶は彼女のヒールをへばりつくようにして観察している。
ギアメンツの身体は若々しく美しい。見た目はそっくりな自分たちだが、もしかすると彼のほうが宝よりも筋肉がついているのかもしれない。きっと知性も彼のほうが優れているのだろう。
宝はソファセットから彼らをぼんやりと眺めている。ソファーではほかにロカイとイアンが向かい座っていて話をしていた。宝がイアンの隣に座ったのはロカイに促されたからだった。
結城に連れられて本物の皇太子がこの家のリビング入ってきたとき、イアンは目を瞠っていた。それもそうだろう。同じ人間がふたりならんだのだから。ギアメンツと自分はそれくらいにそっくりなのだ。
イアンが傍で委縮していた宝と、扉のまえに立つギアメンツを交互に見比べて溜息をついたとき、宝の心臓は凍りついた。
聡明な彼のことだ、きっと一瞬ですべてを察しただろう。自分の隣に立っているのが、ギアメンツの偽物なのだと。
そして記憶の混乱のせいだと誤魔化していた、皇太子の言動の怪しさの理由にすべて得心がいったたようだった。
イアンはとてもすっきりとした表情 をしていた。
ロカイに今までのすべての経緯 を説明され、宝を皇太子だと謀 っていたことを謝られているあいだ、イアンは顔を蒼くしている宝の手をぎゅっと握りしめてくれていた。
その与えられた手の温もりが、だれでもない他人を心配して施されているものなのか、それとも一夜を共にした相手へかけられた情なのか、宝には見当もつかなかったし、怖くてそれを訊いて確かめることもできなかった。ただ宝は間違っても彼のその手を握り返さないように、努めた。
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