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第32話

 ふたりの話が終わるころには、ギアメンツの傷跡はあとはきれいになくなっていた。ヒーリングを終えたプラウダが立ちあがり、金に輝く長い髪をうちはらう。 「さぁ。お兄さまもきちんと間に合いましたね。それではみなさん、『泉の流れるひとの神殿』に帰りましょう」    研究室にあるクリーンルームはジョウアン国の首都にある神殿と繋がったままらしい。ガラスで設えた個室のなかは三日まえと変わらずに輝く光が渦巻いていた。  このなかを抜けると王の不在に動揺する民や、国政に不満をもち皇太子や姫巫女を亡き者にしようと考えているものたちの住む世界に辿りつく。  その世界で今日はいったいなにが起こるのか、どんな一日の終わりを迎えるのか、いまはまだ誰にもわからない。  それでも結城は相変わらず楽しみだと云って目を輝かせていたし、晶にいたってはいつもと同じおすまし顔。ギアメンツもロカイもプラウダもあの世界特有の物腰なのか、とても悠然としていた。  そしてイアンはいま、どんな顔をしているのだろうか。  宝は彼の表情(かお)だけは見ることができなかった。だからいま彼がどのような態度や気持ちでいるのかはまったく想像がつかないでいる。  しかし光のなかに身を投じるときに、そっと宝の手を取ってくれたイアンからは怒りは感じられず、宝はすこしの可能性に勇気を与えられたのだ。だから――。 「――嘘、吐いていてごめんなさい」  光にとりまかれ目が眩む寸前に、ひとことだけ彼に謝ることができた。                 *  光のトンネルを潜り抜け神殿内部のプラウダの部屋に辿りつくと、彼女は「まずはお祈りを……」と広間につづく扉を開けた。すると回廊を歩く神官たちにすぐに見つかってしまう。 「プラウダさまっ」 「姫巫女!」 「あぁ、それに皇太子も」  わらわらと駆け寄ってくる彼よりもさきに、結城とイアンがさっとプラウダのまえに足を踏みだしていた。なにかあったら盾になるつもりなのだろう。その警戒ぶりと素早さに改めて宝は彼らのことをすごいと思った。 「結城、イアン。大丈夫そうよ。彼らには善意しかないようです」  プラウダはふたりにそう声をかけると部屋を出て、群がる神官たちの間をこともなく進みだす。彼女が目指すのは広間中央の、聖水の張り巡らされた祭壇だ。  プラウダにつづいた宝たちの後ろを、神官たちは口々に話しながらついてきた。 「おお。プラウダ、みんなあなたのお帰りをお待ちしていました」 「ああ、やっと帰ってきてくれた。私たちだけの祈りでは、あなたの足もとに及ばないんです。心が折れそうでしたよ!」 「そうです。一昨日(おととい)なんて神の声が聞こえませんでした。でも昨夜になってやっと――」 「みんなーっ。プラウダさまがお戻りだ」  神官たちはみんな彼女にたいして、とても好意的だった。  初日にこの神殿にやって来たときにには、ひと目を忍ぶようにしてあっというまにここをでていた。だから宝が実際に神官たちを見るのははじめてだ。 (けっこういいひとたちばっかりなんじゃ?)  ほんとうにこのなかの一部のひとたちが、自分やプラウダに危害を加えようと暗躍しているのだろうか。 「だれかはやく神官長をお呼びしろ。彼は姫巫女さまの帰りを待ちわびていた」   ――神官長。  首を捻ったと同時に、知った人物の名まえが出てきたので、宝は俄かに緊張しだす。  ほどなくして、中央祭壇で膝をつき指を組んでいたプラウダのもとに、数人の従者に引率された男が現れた。 (この男が、神官長……)  ひとを使ってプラウダが民衆を騙しているという噂を流させ、街に流れていく大切な生活用水に毒を流そうとした人物。振る舞いに落ち着きのある彼は四十に届くかどうかの年齢にみえる。そしてほかのものが纏うゆったりとした衣服とは異なった、立襟の祭服を身に着けていた。  宝は張りつめた面持ちで、彼がプラウダに近づいていくのを見ていた。 「プラウダ……。まずはこれを。お元気そうでよかったです」  彼がプラウダに差しだしたものは、白銀のサークレットだった。一見地味なサークレットだったが、よく見ると透明に輝く小さな宝石がいくつも散りばめられている。それを受けとったプラウダは、彼に微笑みかけた。 「ありがとう、アランジ。…‥あなたは、辛そうですね。気持ちが楽になるのでしたら、どうぞ、あなたの胸の裡を話してください」  彼女の言葉に、(かたわ)らに立つギアメンツやロカイをはじめ、周囲に集まった神官たちは静かに耳をすました。なかには指を組んで祈りはじめるものもいる。  その重々しい空気に飲まれて、宝と中学生ふたりもじっとしていた。 「プラウダ。……私の信じていた神は偶像でした。ずっとそれを皆も私と同じなんだと、これが神というものだと信じて、私なりに真剣に仕えていたのです」  ゆっくりと話しはじめた神官長はそこで言葉を切って、悔しそうに顔を歪めた。 「そして(みな)が神が見えるというのも、天使の声が聞こえると云うのも、言葉の(あや)だと思っていました。そして疑わずに皆も私と同じだと信じていました。姫巫女もです。…‥でも実は違ったんですね。この中にいる神官や街の司祭のなかの多くには、そしてプラウダには、実在する宇宙なる神が本当に見えていたんです。そして本当に聞こえていたんです。……私はあなたたちの言葉も、自分の言葉も同じ次元で交わされているという思い違いをしていました。だから、私があなたでもいいと考えてしまったんです。私のほうが姫巫女の位置に立ったときに、よりよい(まつりごと)が行えると思いこんでしまいました」  神官長が項垂れると、結城がわかったふうな顔をしてうんうん、と縦に首を振っていた。  相変わらずこの世界のひとの話は宝にはさっぱりだったが、この間のことといいいまの素振りといい、もしかして結城には彼らの話が本当に理解できているのかもしれない。女の勘、もとい、野生の勘であろうか。

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