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第33話 

 そこまでひとつの相づちすらうつこともなく、静かに彼の話を聞いていたプラウダが口を開いた。 「それでアランジはこの四日の間に、実在する神に出会えましたか?」 「はい、と云ってもいいのでしょうか。あなたがこの神殿から姿を消してまもなく、神官たちの幾人かが神の声が遠くなったと云いはじめました。そこで私は実際に神の声が聞こえ見えているものがいることに気づいたのです。そして、あなたが泉の湧く神仙の神殿に到達しただろう日から、また皆が神の声が届くようになったと……。私は皆の言葉を信じることにしました」 「プラウダ、私は昨日初めて神の声が聞こえました」  割ってはいってきた神官が、夢中になって話しだす。 「私だけではありません。ここにいる神官のなかには、私たちと同じように今まで偶像を神だと思って仕えていたものが多くいたのです。そんなものたちや都の人々のなかで、昨夜(ゆうべ)から神の御業(みわざ)を見たと云いだすひとがたくさん現れました」  嬉しそうに報告する男に、プラウダが「それは素敵なことですね」と微笑んだ。彼女のさらりと揺れた金髪がきらきら光る。  神官長が深く頷き、また話をつづけた。 「街でヒーラーと名乗る治療者たちも本物だったのですね。あなたがここから去ったあと、能力が薄れたと相談に訪れるものが後を絶ちませんでした。そのこともあなたに猜疑を向けていた私の目を冷まさせました。力を失くしたと云いながらも、彼らは私の汚れた魂を癒していったのでしょう。プラウダ。私はあなたと、皇太子にひどい仕打ちをしました。ひとを雇ってあなたがたを追い払おうと……」  苦渋に満ちた声で呻き、神官長が崩れ落ちるように床に跪くと、どこからか彼にきつい言葉を浴びせる者がいた。 「それにしたって、聖なる川に毒を盛るとは。あの川は多くの生命を育んでいるというのに。あまりに酷い‥‥…」 「くっ」  ざわめきだした一同の話から、小川で捉えた男があの場から解放されたあと、この神殿に帰ってきてすべてを暴露していたことがわかった。非難の声が多数あがるなか神官長の懺悔はつづく。 「あれは数日体調を崩すだけの軽い毒です。それで苦しむ民には神の怒りだと(そそのか)し、そして回復するころに私が祈祷したのだと騙すつもりだったのです。そして私のことを皆に信じさせて(まつりごと)を乗っ取るつもりでした。本当に愚かなことをしました」  うぅっと呻いて深く頭を下げた神官長に近づいたプラウダが、彼に身体を起させた。 「私の祈りは神を通じて都のひとびとにも届いたしょう? あなたはもう充分に反省ました。これ以上嘆くのは止めて、せっかくですから今日のうちに街を散歩でもしてきてください。そして溢れんばかりの神の御業を見てきなさい。気分が晴れますし、いろいろ学びがありますよ。一日のおわりには、すべてがあなたの成長のために必要だったことだと、理解できるはずだわ」 「おお、プラウダ……」  そして彼の肩を元気づけるようにとんとんと叩いたプラウダは、顔をあげると周りに集まるみんなに笑顔で云った。 「さぁ、私はお祈りの時間です。みなさんもそれぞれの仕事に戻ってください」  ざわめきと安堵の声が起こるなか、宝もほっと胸を撫でおろす。これでこの神殿には平和が戻ったのだ。もう神官長が自分たちに危害を与えるとは考えられない。きっとここはもう安全だ。  宝は無意識にイアンの姿を探した。気が緩んだことでうっかりとしていたのだ。 (イアン……)  見つけた彼はロカイとともにギアメンツの後ろに控えるようにして立っており、宝のことなんて視界にもはいっていないようだった。 (そっか。もう俺なんて、彼には関係ないんだ……)  まるで自分のことなんて忘れてしまったかのようなイアンにひどく傷ついた宝は、昏い翳りを宿した瞳を誰にも気づかれないように、そっと伏せておいた。  プラウダの言葉で場は解散となった。 それからは祭壇のまえに跪き彼女と同じように祈りはじめる神官や、急くようにしてこの場から離れていく神官で広間はひとの流れが大きく変わりざわついていた。  イアンは宝から少し離れたところにいるギアメンツの背後に、ずっと立ちつづけているようだ。ようだ、としか云えないのは、宝が実際に彼の場所を自分の目で確かめていないからだった。  宝はイアンの顔を見るのが怖い。それに彼がギアメンツに寄り添っているところも見たくはなかった。 (イアンはギアメンツのことが好きだったのかな……)  彼はギアメンツが別人に入れ替わっていることに気づかないで、自分を抱いたのだ。いままで見ることしか叶わなかった想い人をやっと手に入れたと思ったらそれが偽物だった。それを知って、彼はいまごろ愕然としているのではないだろうか。 (俺のこと恨んでいる?)  顔をあげることができず、じっと下を向いたまま悔悟する。 「さぁ。では、ぼくはもう城に戻るが……、ロカイ、お前はなにか気にかかることがあるようだな?」  ふいに耳に届いたギアメンツの言葉に、宝の胸が騒いだ。 (いやだ。イアンがいなくなってしまう。ギアメンツについていってしまう) 「ああ。今回の件で急ぎ神官長に確認したいことがある」 「わかった。ぼくも彼とは話したいことがあるのだが……。んーやはり城のほうが先だな。よし、ロカイ。ぼくのほうからまたこちらに来ると、そうアランジに伝えておいてくれ。彼とは今後のことで話し合いたい。責めてはいない。協力してくれとつけくわえておいてくれ」 「わかった」 「ではロカイ、お前はもう彼のもとに行っていいよ。城へはイアスソッンについて来てもらう」 「では、のちほど城で」  ロカイはそう云うと踵を返し宝のまえを通り過ぎていった。彼を視線で追ったあとそのままぼんやりと回廊を見つめる。ギアメンツの朗々とした声はさらにつづいていた。 「イアスソッン。……ふん」  ギアメンツが口にした、愛しいひとの名に宝は肩を揺らした。

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