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第36話
「ところで、お願いがあるの」
アモンは顔のまえでバチンと拝むように手をあわせた。
「なに?」
「その指輪みせてちょうだい!」
「え? これ?」
宝は彼女に見えるように左手の甲を閃かせた。
「うんうん、それそれ! それってキアルでしょっ」
きゃーっと悲鳴をあげながら宝の手をがしっと掴んだアモンは、食い入るようにイアンの指輪を眺めはじめた。
「すごい興奮のしようだね……」
「あったりまえよ。キアルなんて夢見る乙女の憧れじゃない。いいなぁいいなぁ。素敵な色のキアルだわぁ。あたしもほしいなぁ」
「これは人気がある石なの?」
(ダイアモンドみたいなものかな? そんな高価なものだったら荷が重いかも。やばい。なんか落着かなくなってきた)
アモンの熱狂ぶりが尋常ではない。宝は彼女が指輪を抜き取って逃げたりしないだろうかという酷い想像をして、落ち着きをなくす。
「ねぇさっきのひとはあなたの伴侶? それとも兄弟? いや、さっきのあの甘酸っぱい雰囲気はやっぱ婚約間近の彼氏かな?」
「そ、そんなっ。い、いやいや。えと、知りあい、かな……?」
イアンのことを彼氏だとか、云えるものなら云ってみたい。そんな恥ずかしいことを考えて宝は自分の乙女脳ぶりに冷や汗をかく。
(ってか伴侶ってなに? この国じゃ男同士の結婚がありなのか? しかも甘酸っぱい雰囲気ってなに⁉)
そして漸 くさっきの感傷的な自分を彼女にすべて見られていたことに思い当たった宝は、盛大に動揺しだした。
いい歳した男がシクシクやっていたことを恥じた宝は、今更なのにそっと片手で顔を隠す。
「なに云ってるのよ。そんなわけないじゃない。わたしはちゃんとこの石のことを知っているわ。せいぜい命をかけてもいいくらいの親友ってならわかるけど、この石は普通は血肉を分けてもいいぐらいの相手にしか渡さないものでしょ?」
(ひえっ。顔、ちかっ)
真実を探るかのように、アモンがじっと宝の目を覗きこんできた。慣れない女の子との接近に宝はにわかにどきどきしはじめる。
「え、えっと、俺はあのひとのこと、す、好き…‥だけど」
ひとまえで彼を好きだと口にしてしまい、かぁぁぁぁっと顔を熱くする。
「おお! じゃあやっぱ恋人かぁ。いいねぇいいねぇ」
「それはどうかと。……あっちはそんなんじゃないと思う」
「宝? あんたこの石のことナメて考えちゃだめだよ? みんなが憧れる石なんだってわかっているの? 私だってすっごく欲しいんだよ?」
「そんなに高価な石なの?」
宝は指輪に右手を添えてぎゅっと握りしめた。
イアンがずっと身に着けていたものだと思うと、宝にはもうこの指輪は彼の一部みたいなものだった。それにこれは彼が自分の指に嵌めてくれたのだ。
(ちょっと返し難いなって思っていたのに……)
でも高価なものだと知ってしまえば、なおさらこれはイアンに返さなくてはならないだろう。
「そりゃ普通のキアルならそのへんにいくらでも転がっているだろうけど、やっぱり受け継がれてきたものはちがうでしょ?」
「あの、俺宝石とか全然詳しくなくて……」
ふぅ、と大げさに溜息を吐いたアモンは「そりゃ彼に失礼だよ」と厳しい表情 をつくった。
「私んところは亡くなった母が持っていたわ。そのキアルは父が母に与えたもので、父は曾祖父に譲られたって云っていた」
「……」
「つまりキアルはね、大切なひとに想いをこめて贈る石なの。あんたは彼に彼の宝物を貰ったってことよ」
大切なひとに贈られる――。
その言葉はずっと不安に揺れていた宝の心をやさしく包みこんでくれた。
(イアン……)
こみあげてきた彼への愛しさが、宝を甘く暖かい気持ちに満たしていった。胸に過 った懐かしい感覚は、まるで幼少の頃にぎゅっと抱きしめてくれた母のぬくもりに似ている。
(おかあさん……?)
「母のキアルはね、姉に受け継がれたの。でも姉には子どもがいるんだけどさ、自分が死んだらそのキアルを私にくれるって云ってくれているのよ。でもそれって宝はどう思う?」
「それは複雑な心境だね」
いくらキアルが欲しくったって、アモンは姉の死を望みはしないだろう。
「まったくよ。だから欲しいって気持ちは今は封印中よ。ねぇ、なんとなくわかった? そのキアルがどれだけ貴重かってこと」
「うん。なんだか俺、あ、愛されているって勘違いしてしまいそう」
胸はどきどきするし、目のまえはちかちかする。
「違うでしょ、宝。愛されているんだよ。彼に待っていろって云われてたじゃない」
アモンはにやにやしている。
「今夜はきっとプロポーズよぉ。あぁ、いいなぁ」
「そんな、まさか!」
「だから、そのまさかだよ。彼が肌身離さず身に着けていたキアルをあんたにあげたってことは、つまりそういうことなのよ」
(うそうそうそ。そんなこと云って、俺に期待させないでくれよっ)
とどめに「おめでとう!」とウインクを投げられて、宝はいよいよ羞恥と動揺にじっとしていられなくなってその場に腰を下ろして丸くなってしまった。
云うだけいって宝を舞いあがらせたアモンは、涼しい顔で「うん」と背伸びをしている。
「あー。厩 荒らされて朝からむしゃくしゃしてたんだけど、とてもいい気分になれたわ。ありがとうね。……? あんた、なにそんなところでしゃがみこんでるのよ」
そのとき、リンゴン。リンゴン。と大きな鐘が鳴りはじめた。
なんの音だろうと、宝は両手で隠していた赤くなった顔をあげる。音は神殿の鐘楼からしているようだ。
「ほら鐘が鳴ったわ。もうすぐお昼だね。じゃああたしはもうひと働きしてくるよ」
「アモン、俺暇だし手伝うよ」
慌てて立ちあがって、去ろうとしていた彼女に声をかける。
「厩の片づけはあと少しで終わるからひとりで充分よ。それよりも昼食の手伝いをしてあげたらよろこばれるわ。あなたもここで食べて行くんじゃないの?」
「そうなのかな?」
プラウダかロカイに訊いてみないと、宝にはなにもわからない。
「ほら、見なさいよ。ここに食べにくるお客さまたちがこっちに歩いてきてるでしょ? はやく中に戻って、当番の神官たちといっしょに準備してあげて。じゃあね!」
「うん。ばいばい」
彼女に手を振り返した宝は、興奮の熱を冷ましがてらアモンの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
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