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第37話

「普通の女の子と、普通に話をしてしまった」  奥手な宝は学校でさえ異性と話す機会は滅多にない。きっとこれがすこしまえの宝だったら、諸手をあげて喜んだだろう。しかしアモンに対して、宝が恋情として心をときめかすことはなかった。どうやら自分は好きなひとがいると、ほかの誰かに心が揺らいだりしないらしい。 (俺って失恋したら引きずるタイプなのかも)  明日からが思いやられる。重い溜息を吐くものの、しかし彼女と話したことで気が紛れたのか、イアンに待っていろという言葉を貰ったせいなのか理由はわからなかったが、とにかくさっきまでの胸が裂かれそうなほどのつらさは、すっかり鳴りを潜めていた。  このまま気を紛らわしておけばいいと、宝は彼女に云われたとおり、みんなの手伝いをすることにする  神殿のなかに戻ろうと身を翻した宝は、しかし、誰かに見られているような気がして、その場に足を止めた。 「……?」  あたりをきょろきょろしてみるが、特に人影はない。 「気のせい?」  毎日命を狙われつづけたせいで、神経が過敏になっているのだろか。そう思った宝は気にすることをやめて、結城たちと合流するべく神殿のなかにはいっていった。           *   広間ではまだ(おごそ)かなお祈りは行われていたが、回廊を行き来する神官たちもいたので、宝は彼らに教えてもらって食堂にやってきていた。  学校の体育館よりすこしちいさいくらいのその食堂には、たくさんのひとが雑多な用事で出入りしていた。  テーブルを整えたり料理を運び入れたりしているものがいれば、何人かで集まり話しこんでいるものたちもいる。どうやらここは食事のとき以外は集会所としての役割もはたしているらしい。  案内してくれた男はよほどこの国とこの神殿に誇りをもっているらしく、テーブルを移動させる手を休めることもなく、たくさんの自慢話を宝に聞かせてくれていた。 「ここの神官は男女含め百人ほどだよ。でも常に地方の教会や他国からの長期滞在者も十人くらいはいるからね。聖職者だけでもざっと百二十。そこに一般労働者と警備兵を入れると百四十か?」 「みんなここに住んでいるんですか?」 「ああ。ほかにも通いで働きにきてくれているものがいるよ。料理長とかね」 「アモンも?」 「彼女と話したのかい? そうだよ。彼女はこの近所に住んでいるからな。とてもいい娘だっただろう?」  彼の目の色からするに、それは男として彼女を見てどうかという意味で訊いているらしい。とんだ聖職者だ。  宝は彼女にイアンとのことを冷やかされたことを思い出し、顔を赤くした。そんな宝をいい具合に勘違いしたらしい男は「ふふん」と楽しそうに笑っている。  彼の話から、じゃあアモンは一般労働者の部類に入るのかと納得した宝は、気づいて「あれ?」と声をあげた。 「警備兵ってなんですか? それっぽいひとはどこにも見なかったんだけど」 「それがさ、王が国を留守にした途端、国の方針とやらでみんなここから引きあげてしまったんだよ」 「へぇ。でも神殿って警備がいるほど危険なんでしょうか?」 「んー。もともとは国の重要人物にあたる姫巫女や祈り手などに、なにかがあってはいけないだろうってことで、ちゃんと神殿にも騎士が派遣されていたんだよ。昔はな。ところが実際は平和なもんなんで、ここの騎士団はもう何年もまえに解散になってたんだ」  騎士といえばイアンだ。そういえば彼は第三騎士団と云っていた。この国にはいったいどれだけの団体があるのだろう。 「で、わずかに残された騎士による警備要員も、この間とうとう城に戻されてしまったんだよ」  その警備要員がちゃんと残されていたのなら、いまプラウダに付き添うのは彼らだったのだろう。かわりにいま彼女につきっきりなのが結城だ。 「おや、宝。ほらあのひと、きみを呼んでいるようだよ?」 「へ?」  彼が指さした食堂の戸口にはロカイが立っていて、こちらに手を振っていた。「ここはいいから、行っておいで」と云われ、男に頭を下げると宝はロカイのもとに走った。 「宝。ひとりにして悪かったね」 「神官長さんのことはもう大丈夫なんですか?」 「ああ。一昨日の昼に襲ってきたふたりのことが気になっていたんだが、どうやら彼の差し金ではないらしい。ただ彼も相談した伯父が関わっているかもしれないと云っているので、私は明日にでもコウシン領の侯爵と話をするよ」 「じゃあ、まだギアメンツとプラウダは危険なの?」 「アランジがさっき伯父を呼びにコウシンへと出かけたからね。もしその侯爵が差し金だったんだとしたら、彼が話をつけてくれるんじゃないかな。まぁ、神殿内は大丈夫かと思うんだが、左大臣のことがあるので街なかや宮殿は充分に気をつけないといけないだろう」 「ギアメンツ、大丈夫かな?」  そして彼を警護するイアンは怪我などしないだろうか。宝は宮殿に向かった彼らを案じ、押しつぶされそうな胸をぎゅっと握りしめた。 「おや、宝。その指輪はどうしたんだ?」 「あ……」 「イアンか」 「えっと……はい。預かりものです」  宝はうっすらを頬を染めて答えた。アモンの話を聞いたあとでは、この指輪のことを指摘されるのが妙に恥ずかしい。これはイアンにあげると云われたわけではないのだ。うっかりうぬぼれてしまって、あとでがっかりしないためにも、宝にはしっかりと「預かりもの」と自覚しておく必要があった。 「そうか」  ロカイは深く追求してくることはなかったが、そのかわりアモンとはまた違った話を教えてくれる。 「それを身に着けてからなにか気持ちに変化はないかい?」 「変化?」 「キアルは心を伝える能力のある特殊な石だよ。代々の持ち主の心を含めてね」 「あっ……」  そういえば、宝がくよくよせず心が落ち着いたのはこの石をつけてからだ。アモンと楽しく話ができていたし、いまここで気分よく手伝いができていた。ほんとだったら地にのめりそうなほど、宝は陰鬱になっていたのではないだろうか。 (イアンの気持ち……?)  それは、なに?

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