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第38話

   イアンは自分のことをいったいどう思っているのだろう。 (きっとそんな悪いものじゃないんだ、たぶん)  晶のラボで最後に手を握ってくれたイアンは、決して怒ってはいなかった。きっと自分のことを好きではないとしても、嫌われてはいないし恨まれてもいないはずだ。  宝のなかにそんな自信がわずかに芽吹いていた。    彼がはやくここに帰ってきてくれるといい。残り僅かな時間、一分一秒でも彼の隣で過ごせたらいいなと願いながら薄紅の石を撫でていた宝に、不粋(ぶすい)な声がかけられた。 「宝っ。どこにいたのよっ!」 「わっ、結城。びっくりするだろ」  朝のお祈りが終わったらしい。昼食をとりにプラウダと結城はここに来たようだ。 「もう、ちゃんとあたしの近くにいなよっ! 弱っちいくせになんかあったらどうすんの!?」  腰に手を当て偉そうにふんぞり返る結城に、宝はかっとなる。 「えらそうに。おまえたちの近くにいたら余計に寿命が縮まるんだよ。いくら幼馴染でも歳の差考えろよな。すこしは俺から離れてくれっ」 「だって宝が泣き虫なんだもん。だからうちらが面倒みてあげてるんだよ⁉」 「はぁ⁉」  俺がいつも泣くハメに陥るのは全てお前らが原因じゃないか。そう云い返しそうになった宝は、そのセリフの不甲斐なさに直前で気づいて、なんとか言葉を呑みこんだ。 「結城も晶も宝のことがよっぽど好きなのね」 「プラウダ、なに云ってるんだよ。そんなわけ――」 「そんなわけあるわ。とても元気になってよかったわ、宝」  プラウダの言葉に宝ははっと口を押えて周囲を窺った。子ども相手にしかも公共の場で大きな声を出したことを反省する。 「結城の存在もそうだけど、これね」  優雅な所作で宝の左手をとったプラウダは、イアンの指輪を軽く親指のさきで(さす)った。 「イアンがいてあなたは心強くなれているのね。本来のあなたらしさがひきだされているのよ」 (俺らしさ?)  それってどういうことだろう。彼女に詳しく訊いてみたかったが、結城にあいだに割ってはいられて断念する。 「宝、それなぁに?」 「内緒だよ」 「むっ! あたしだけ除け者!?」 「ふふふ。宝、そのキアラはあなたから数えて三代前の持ち主の想いが特に深いわよ。いいものを頂いてよかったわね。おめでとう」 「お、おめでとうって。だからこれは……」 「今日はひとが多いわ。天気もいいし、外で食べましょう。ところで晶はどこに行ったの?」  預かりものだ、というチャンスは与えられずプラウダに話を変えられてしまった。 「まだ探検しているんじゃないかい? 私が探してくるよ」 「えっ!」 (ロカイが?) 「どうした? 宝」 「あっ、いや。……お願いします」  昨日の小屋でのふたりのことを思うと平静(へいせい)でいられなかったが、しかし自分がこの広い神殿のなかで彼女を探すとなると、きっと迷子になる。しぶしぶ彼に任せることにすると、ロカイはさっさと身を翻してひとごみみの中に消えていった。  ついさっきイアンたちを見送った外には、いくつかのテーブルやイスがあった。プラウダはそこで食べようと云っているのだろう。今日なら春の陽気がポカポカと身体を温めてくれる。食堂よりも温かそうだ。  プラウダに教わりながら人数分の食器を揃えてトレイに持つと、スープなどの料理はあとでとりにくることにして、席を確保するために一度外にでようということになった。  プラウダの護衛のために手ぶらでいる結城を従え、ひとの流れに逆らいながら食堂の外へでる。回廊にも広間にもたくさんのひとがいた。 (百人以上いるっていってたもんな。こんなんじゃ、スープなんて持って歩いているとたいへんだ)  宝がそう思った矢先、背後で「あぁっ!」と女の悲鳴があがった。「うわっと、大丈夫⁉」と、結城の声もそれに重なる。  振り返るとおおきな篭を持った女がバランスを崩したのを、結城が助けているところだった。彼女の抱えた篭には大量のバケットが詰め込まれていてとても重そうだ。  転びかけた彼女が結城にぶつかったらしいが、彼女はごめんなさいと頭をさげながら「今、後ろから誰かに押されたのよ」とちょっと悔しそうな顔をしていた。こんなにひとが多くては、それも仕方ないだろう。 「あたし手伝うよ。ついでにみんなのパンも貰ってくるから、宝たち先に行っておいて。すぐに追いつくから」  云うが早いか結城は篭についた片方のハンドルを握って、女がバケットを持つのを手伝ってやってる。 「うん、わかった」  親切な幼馴染に素直に頷いた宝だが、しかしつぎに結城が加えた言葉にはかちんときた。 「ああ、心配だわ。あたしがいなくても宝は大丈夫かしら」 「どういう意味だよ」  結城はさっき指輪の件で(ないがし)ろにされたことに、不満を残しているようだ。そのひとことは意趣返しのつもりだろうが、宝だってそのまえに云われていた彼女の云い草をまだ根にもっていた。 「宝が弱虫の泣き虫の甘ったれって云うことよ」 「なっ⁉」  胸を反らして偉そうに云った結城に、宝はむっと尖らせていた唇を開けた。なにか云い返してやろうとしたが、しかし彼女のほうが上手だ。 「あたしがいなくてもしっかりプラウダについて歩くのよっ」と捨て台詞を吐くと、隣りの女を「お待たせ、さぁいきましょう!」と笑顔で促し、さっさと食堂のなかに消えたのだ。 「なっ、なっ」 (云い逃げされたっ)  口をぱくぱくと開閉する宝に、ドンと通りすがりの誰かがぶつかる。食堂の出入り口で立ち止まている宝は、みんなの邪魔になっていた。 「ふふふふ。宝、もう外に出ましょう。ここじゃみなさんの迷惑になるわよ」 プラウダにそう云われてしまっては、これ以上みっともない姿を見せられない。 「う、うん」  祭祀が終わったこの時間は回廊だけではなく、祭壇のある広間にも多くのひとが自由に行き来していた。そんなひとごみのなかをトレイで両手を塞がれた宝は、心の拳をぎゅっと握りしめ呪いの言葉をこっそり吐きながら歩いた。 (くぅぅ! くやしい。結城のやつぅ……。この世のなかに悪人さえいなけりゃ、おまえがいないほうが俺にはよっぽど安全なんだっ!)  宝には危険人物として、暗殺者のつぎに結城の名まえをあげることができる。さっきは出てこなかった悪態がいまになってふつふつといくらでも湧いてきた。 (だいたい泣き虫ってなんだっ‼)  それは宝が一番云われたくない言葉だ。ひとは図星を突かれるとたいそう腹が立つ。

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