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第39話 

(お前らがいつも俺を泣かしているんだろうが!)  まいど結城と晶が宝を家から引っ張り出しては、いろんな場所でとんでもないハプニングに巻きこむのだ。  痛すぎたり怖すぎたら誰だって泣くだろうが。その痛みも恐怖も、全部彼女たちが自分に与えているのだ。 (あいつら、いつまで俺の人生にまとわりついてくるんだ?)  そういえば、結城と晶がうざいくらいに自分の手をひっぱりだしたのはいつごろからだったかと、プラウダについて歩きながら記憶の糸を手繰(たぐ)っていく。  宝が両親に学習机やランドセルを買ってもらったくらいのときに、両隣の家にふたりは生まれてきた。  そのときはまだ妹の直子は保育園に通っていなかったはずだ。あの時期は大好きな母の腕のなかにはいつも直子がいて、自分はなかなか母に抱きしめてもらうことが叶わなかった。まだまだ母に甘えたい年頃だった宝は、毎日悔しい思いをして過ごしていたのだ。  それなのにただでさえ遠いと感じていた母の膝のうえに、生まれたての新参者たちはいとも簡単にするっと納まった。  ――宝、赤ちゃんかわいいわねぇ。  いくら大好きな母に云われたとしても、憧れてやまない彼女の膝のうえに乗った赤子を、宝に(いと)おしめるはずがない。宝にとってはあのときから、結城も晶も気に喰わない存在だった。  その後も宝は彼女たちをあやすこともなければ、よちよちと追いかけてきた彼女たちに足を止めてやることすらしてこなかった。  それなのに、あんなにつっけんどんに接してきたふたりは、いつの間にかこんなに宝に懐き、なにかと云っては傍に寄ってくる。 「ほら、宝。ロカイと晶があそこにいるわよ」  プラウダの指さすほうを見れば、広間の中央を縦断する水路の傍らにふたりが立っている。  神殿の出口に近づくほど戸口や窓のから差しこんでくる光により、水路の水がきらめいてきれいだ。晶はそれに夢中になっていて、隣でなにやら話しかけているロカイには頷きもしていなかった。  周りのざわめきと距離のせいで、ロカイがなにを晶に云っているのかは聞こえてこないが、おそらく彼にも問題があるのだろう。 (昨日の小屋でのことは、侵入者を欺くための芝居じゃなかったのか? いったいロカイはどういうつもりで、晶にちょっかいを出しているんだ?)  ロカイの思わくがさっぱりわからず首を捻った宝は、閃いた答えにはっとした。 (もしかして、ロカイってロリコン!?)  結城にくらべると身体の発達が未熟な晶は幼い雰囲気がむんむんだ。その面差しも幼少のころからあまり変わっていない。  昔から晶はツンとしていてちょっと生意気だった。宝の話もまともに取り合うこともしないのに、それでもそんな彼女もなぜか宝のそばだけはウロウロしているのだが……。 (本当になんでこのふたりは俺にかまってくるんだろう)  なにかきっかけがあったっけと首を捻って考えるが、いかんせんなにも思い当たらない。たださっきの食堂で「どこにいたのよ」と自分を責めたときに見せた結城の表情が、宝のなかにひっかかっていた。  するとふと顔をあげた晶がこちらを見て、ぎょっと目を見開いた。 「?――なに?」  彼女が自分に向かってなにかを云おうと口を開いたのと、後ろで結城が自分を呼んだのは同時だったろうか。 「――っ‼」  声がしたほうに振り返った宝は、すぐ近くに俊敏にこちらに走りこんでくる男の姿を視界に捉え驚愕した。プラウダめがけて向かってくるその男は、腹のあたりでしっかり短剣を握りしめていたのだ。しかしもうプラウダを押しのける間さえなかった。 「プラウダっ!」  食器を放った宝はプラウダの首に腕をまわし、とっさに男から庇うように彼女を抱きしめた。  ドンッ‼ ドン! 衝撃は二度あった。 「うっ」 「きゃっ」  食器が床に散らかる音、肉がぶつかりあう音、周囲の叫び声、低い呻き声。さまざまな音が飛び交うなか、背中に大きな打撃をうけた宝はプラウダごと吹っ飛ばされて床に転がっていた。 「痛っ――……」  打ちつけた背中も彼女の頭を庇って下敷きにした両手もひどく痛む。それでもぐずぐずはしていられない。奇しくも自分に剣は刺さっていなかったが、自分の背中にはまだ何者かの重みがある。暴漢か? 急いで起きようとする宝に、さらに結城が急かしてきた。 「またお前かぁぁっ‼」  恨みの籠る怒声が周囲に響いた。 「ふたりとも早く立って! 早くっ‼」  いち早く結城が宝の背後に覆いかぶさる男を引き剥がすと、プラウダも顔色を変えて「宝、大丈夫ならすぐに退いて!」と宝の下から抜けだした。 「イアンっ、大丈夫⁉ プラウダっ、早くイアンを助けてあげて!」   男と取っ組みあう結城が、こちらに金切り声をあげる。思いもよらない名まえに、宝は血相をかえた。自分のうえからまだひとつ残っていた重みが、ずるりと滑り落ちていく。まさか。 「イアンッ!?」  腹に短剣の突き立てて転がるイアンを目のあたりにして宝は、一瞬で凍りついた。 「やっ やぁっ、イアン、 イアン、 嘘だ……」  宝がすぐ触れられる場所に、イアンはぐったりと手足を伸ばして横たわっていた。短剣の刺さる傷口からは大量に血が溢れだしている。あっというまに衣服を真紅に染めた鮮血は、床に(したた)り落ちて血溜まりをつくりはじめていた。 「イアンっ、やめてよ……やだ……」  床に落ちる血の雫からは、ポタリポタリと音が聞こえてきそうだ。 (痛い? 痛いよね? 痛いよね?)  ポタリ、ポタリ、ポタリ。  血だまりはどんどん広がっていく。  キィ――ッ!  ふいに宝の身体のなかで響きわたったのは、ゴムの滑るような甲高い摩擦音だ。  視覚はイアンの腹一面に血が広がっていくのを捉えているのに、外部の音が一切遮断された宝の頭のなかではつぎに『バンッ‼』という大きな破壊音と、それに重なるガラスの砕け散る音がつづいた。 「あっ、あっ、やっ」  大きくなっていくひとだかり、ざわめく人々の声。近づくサイレンの音。実際に聞こえているそれらは、すべてよその世界のことのようで、自分の目のまえには人形のように横たわる血まみれの――、さっきまで自分のとなりで笑っていた母がいて。

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