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第2話

   そしてタロウも実家の畑の水やりの手伝いが理由で、毎日遅刻が続いていた。  このジョウアンが豊富な水資源と気候のよさを利用した農業大国であったぶん、朝の雨が降らなくなった事態は、このさきこの国に大きな損害を生じさせていくだろう。  すでに国では民からの不安の声が聞こえていて、宮廷内でも文官や有力な領主たちが不満をぶつけに、連日王のもと押しかけていたらしい。  そしてついに先日、側近のものを連れて王が姿を消したのだ。  そのような状況のなかで、それこそ左大臣に睨まれている皇太子による発案で、実験的に散水設備を設置していた農園だけが、水やりに難儀することのない、安寧な毎日を送っているという。  この一週間、多くの農家が悲鳴をあげるなか、それらの農家たちは皇太子の先見(せんけん)(めい)と実行力に舌を巻いているそうだ。 (まぁ、それがまた左大臣や官僚たちと対立する原因になっているんだが――。そんなことよりも、まずはこいつのことだ)  忌まわしげに目を眇めていたイアンは、キユイカにじゃれつかれているタロウに視線を移した。 「雨が降らなくなってもう一週間たつが、お前のご両親はなにか対策を考えているのか?」 「さぁ?」  タロウは幼い子どものように、首を傾げて云った。 「さぁって……。お前の家の状況が変わらないのなら、俺が部署の移動を上司に掛けあってやるが。いつまでもこの調子だったら、いずれ団長に目をつけられてお前が働きにくくなるぞ?」 「そうだぞ、タロウ。イアンがいるから、お前はいまはまだこいつの影になっていて、あのパネラさまに叱られないですんでいるんだ」  キユイカに額をつつかれて、タロウが口を尖らした。 「でもさ、なぁんでパネラさまは、俺じゃなくてイアンさんを怒鳴るんだ?」 「直属の上司だから、お前の遅刻は俺の責任でもあるんだよ、タロウ」 「そもそも俺は、イアン部隊長の部下であるまえに、お前の部下だっつうの。俺の管理を出来ていないのはお前だ、くそパネラ」 「タロウ、お前もイアンに迷惑かけてんなら、ちっとは謙虚になれや」 「だってぇ」  つま先で地面を蹴り、不満を顕わにする未熟な騎士の肩に、キユイカが腕をまわした。 「はじめはな、団長もイアンにそんなに酷いあたりはしていなかったんだよ。どちらかと云うと俺なんかよりも優秀なイアンのことを、目に掛けていたぐらいだ。それがだな――」  先輩として、そして第一部隊長として真摯な顔をしたキユイカが「いいかタロウ、教えてやる」と話しだした昔話に、イアンは顔を(しか)めた。 「そんな話をこいつにするな。そしてキユイカ、お前もはやく忘れてしまえ」  また余計なことをと、イアンはキユイカの口を塞ぎたくなったが、ひとのことにはとかく口だしをしたくないので、放っておく。 「ある日イアンが第三騎士団に入るまえに、第一皇女のバリッラエルさまが、コイツを宮廷騎士団の幹部に推薦していたってことが、団長の耳にはいっちまって――」 「幹部!? まじっすか! イアンさんすごいですぅ」  目をきらきらさせたタロウが、ぐるんと首をこちらに向けて見上げてくる。 「で、それからというもの嫉妬に狂った団長は、なにかにつけてイアンを目の敵にするようになったんだ」 「ぎゃー。最低ですね。あの顔で、そんなんだからモテないんですよ。ってことはなんですかぁ? 皇女さまはイアンさんに、ホの字ってことなんですねっ」 「こいつはモテるからなぁ。性格は面白味に欠けるが、顔、絶大によし! 都どころか近隣の領土にもファンクラブがあるそうだ」 「なにを云っているんだ…‥」 (しかも性格が面白くないって……。俺ってそうなのか?)  キユイカの広げた大風呂敷に呆れながらも、少々傷ついたイアンは額に手をやった。 「せめて能力に嫉妬しているとでも云ってくれ。そんなんじゃ、こいつのせいで朝から怒鳴られた俺が浮かばれないだろ」 「えー。イアンさん女にもてるほうが断然いいじゃないですか。まったく神さまは不平等なんだから~。雨だってちゃんと降らしてくれないと、農家は困るんですよ?」 「なんだ、お前いい歳して神様だよりか?」 「うちは信仰心厚いですよ? 両親ともお祈りばっか。なのに報われないなんて。生き神様の王を蔑ろにした天罰だって父が云っています」  彼らの話を聞きながら、イアンは空を見上げた。  今日は気温も安定していて風もない、この分じゃ明日の朝も雨は降らないだろう。そして最近空のあちこちによく見かけるようになった雲が、今までよりも心なしか厚みがあることに気づく。 「神がどうだかは知らないが、この天候の変化の直接の原因は、ウォルト国の鉱山がまるまるひとつなくなったせいだよ、タロウ」 「え? 隣の国の? そんなのが関係あるんですか?」 「山脈ひとつで海からの風が流れが変わる。その影響で朝の雨が降らなくなったんだ。かわりにほら……」  イアンは雲のなかの稲光を指さした。早朝の雨が降らなくなってからは、雷がよく発生するようになっていた。しかも今日は今までにまして、稲光の量が多い。 「アレ、俺のところに落ちてきたりしませんよね?」 「お前馬鹿だな。何のために国中にチスイ石が設置されていると思っているんだ?」  キユイカのセリフに「はてなんのため?」と呟いたタロウは、チスイ石が雷を吸収する性質をもつ鉱物だと思い当たったらしい。ハッとした顔になると、イアンにしがみついてきた。 「イアン部隊長~! 俺にその耳飾りについたチスイ石くださいよっ。そしたら俺、感電しなくてすみますぅ」 「そしてお前、あつかましいな」 「だってイアンさん、チスイ石、耳に二個も着けているじゃないですかっ」  キユイカに羽交い絞めにされながらも、懸命に身を乗りだし手を突き出してくるタロウの額を、イアンはコツンと叩いた。こいつはよく他人(ひと)の耳飾りなんて見ているものだと感心しつつ、「仕方がないな」と、輪っかタイプのイヤーカフをひとつはずす。

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