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第42話
「でも俺はちゃんと知っている。お前は弱者や怪我人にたいして慈しみの心をもつ、とてもやさしい人間だ。それにちゃんと俺はいまこうして生きている。これもお前のお陰だよ」
「ううぅ……」
顔を包まれてもういちど仰のかされると、「愛しているよ」と瞼にキスされた。背中をとんとん叩いてあやされているうちにやっと呼吸が整ってくる。
すんと鼻を鳴らしてここはどこだと周りを見渡してみれば、プラウダの部屋だった。ふたりの身体のどこにも血はついておらず、着ていたシャツやジーパンからこちらの世界のラフな貫頭衣に着替えさせられている。誰にここに運んでもらい、着替えさせてもらったのかはなんとなく見当がついた。
「ちょっとは落着いたか?」
宝はこくんと頷いた。そんな宝の髪を梳きながらイアンがクスっと笑って云う。
「どうやら俺はお前のことになると、仕事を放ってでもなんでもできるようだ」
「……それ、どういうこと?」
とてもうれしいことを云われているのだが、もうすこし具体的に教えてもらいと思った。あれほど君主に忠実な彼が仕事を放ってとはどういうことだろう。
宝が見上げると彼は困った顔をしていた。云いたくなさそうではあったが、涙目でじっと見つめていると、イアンは溜息を吐いてから話しはじめた。
「皇太子を、置いて来てしまった……」
「……どこへ?」
ぽけっとして訊ねた宝だったが、事の重大さに気づいて「ギアメンツ、危ないの⁉」と慌てふためいた。イアンの胸のなかから飛び出しかると、ぎゅっと頭を押さえつけられて、胸に顔を埋められる。
「宝、落ち着け。ギアメンツさまは大丈夫だそうだ。さっき宮廷から派遣された騎士にそう報告されている」
「そ、うなの? よかった」
ほっとして全身の力が抜けた宝に、「お前は本当にやさしいな」と笑ったイアンが、いちから説明してくれた。
「ギアメンツさまと王宮に向かっただろう? 門前には民衆が大勢集まっていたよ。どうやら王に引きつづき皇太子まで蔑 ろにしたと、――官僚に対する不満を持ったものたちが集まって抗議しているらしかった」
「じゃあ、ギアメンツはみんなにちゃんと必要とされているってこと? 左大臣は捕まる?」
「そんな雰囲気だったがな。それでもその場が安全かどうかはまた別の話だ。それなのに、俺は皇太子をその場にひとりにしてここに帰ってきた」
「……どうして?」
帰って来なければ、宝は死んでいたかもしれないが、イアンはあんな危険な目にあわなくてすんだのにと、顔色を暗くする。
「ライラックがいたんだよ」
「ライラックって、イアンが向こうの神殿に置いてきた?」
「そうだ。門のなかにはいれず、ひとだかりから離れたところで草を食んでた。アイツが自分でここに帰ってくるとしたらもっと日にちがかかるはずなんだ。それなのにあそこにいたってことは、あの神殿から誰かが乗って都まで来たことなる」
思い当たった人物に宝は「あっ」と小さく叫んだ。
「神殿のナイフの男!?」
さっき神殿でイアンを刺した男は、昨日の夜自分たちを襲った犯人と同一人物だったのか。
「そうだ。馬を世話してた女が云っていただろう? 厩が荒らされていたと――」
「うん」
「ヤツはきっとここでふたりを待ち伏せするつもりだったんだろう」
あの男はあれだけで諦めずに、虎視眈々と皇太子と姫巫女の命を狙っていたのだ。もし昨日あのまま小屋で一夜を明かしたり、この神殿に移動していたとしたら寝こみを襲われていたのかもしれない。
想像した宝はぞっとした。昨夜 、奇跡的に晶の放った光線であの神殿と晶の家が繋がった。そしてみんなで晶の家に泊まれたことは幸いだ。まるで奇跡だ。でもそのこともプラウダに云わせれば、奇跡ではなくて必然ってことなのだろうか。
宝を抱くイアンの腕に力がこめられた。
「ライラックを見つけたとたん、俺はすぐここに向かって馬を走らせたよ。お前にもしものことがあったらと思うとぞっとした。あんなに恐怖を感じたのは生まれてはじめてだ」
「プラウダや皇太子じゃなくて?」
「ああ。お前だよ」
「……俺もう、皇太子じゃない。ギアメンツじゃないよ? それなのに俺を?」
「さっきはちゃんと宝だと知っていて、助けにはいったんだが?」
「イアン……」
「お前が無事で本当によかった。馬を走らせているあいだ、生きた心地がしなかった」
うん、と宝は頷いた。その気持ちは痛いほどわかる。宝も彼の背中にまわした腕に力をこめた。
「俺も、自分を庇ってイアンが刺されたって気づいたとき、死んじゃいそうな気持ちになった。イアンがこうして生きてくれていてうれしい。もう俺、死んでもいいくらいだ」
「それじゃ、だめだろ、宝」
「……ん」
「本当ならまずは皇太子、そして皇妹のプラウダさまを守らないといけないんだけどな。任務ではなく、無償で自分の命と引き換えてでも救いたいと思ったのはお前だけだよ、宝」
「……ん」
(うれしい)
耳もとで囁かれつづけているうちに、宝はすっかり口説かれているような気分だ。心臓がバクバク脈打ち、胸はきゅんきゅんとときめいていた。
「あ、あの。でも。イアン。イアンは絶対に死なないで……」
「あぁ。死なないよ」
熟れた顔を上向かされると恥ずしくて、彼の顔を直視できず目を逸らした。火照る身体はひとりでにもじもじと揺れる。
「こんなに泣き虫のお前を置いて逝きはしない。それに……」
イアンはクスクス笑う。
「いい加減に知ってくれ。お前の世界ではどうだか知らないが、この世界ではめったにひとは死なない。本人が選ぶなら話はまた別だがな」
「そうなの?」
そういえば神殿でイアンが死にかけていたとき、集まってきていた神官たちは騒ぎこそすれ慌ててはいなかったような気がする。
虫の息だったイアンも、短剣が抜かれたあとはプラウダの力であっという間に回復したそうだ。『泉の湧く神仙の神殿』に籠ったあとの彼女がさらに祭壇のまえで治癒を行ったものだから、その威力は絶大なものだったらしい。イアンが目を覚ましたとき、周囲は彼女の力に歓声をあげてひどく興奮していたそうだ。
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