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第50話

 折よく女中がお茶を運んできた。彼女たちが音もたてずに手際よくテーブルにカップや菓子を並べていくのを、宝は興味深く眺めた。 「昨日は結局夕食をいっしょにできなくて悪かったな。こっちに帰ったあと立てこんでしまってな、神殿に戻る時間がとれなかったんだ」  ギアメンツはそう云って謝ってくれたが、あれからのことを考えるとギアメンツが来られなくてかえって良かったと、思ってしまう。 「いいえ。お仕事ですから気にしないでください」 「それでな。昨日、約束したものを揃えてもらったよ。どうぞ召し上がれ」  女中が引き上げたあとには、本格的なアフタヌーンティの準備ができていた。一般庶民の自分がよもや本物のお城で王子さまやお姫さまとお茶をするだなんて、まるで夢のようだ。  テーブルにはちゃんと木の実のパンとチャイが用意されている。案の定、木の実の入ったパンを手にとるイアンをみて、やっぱり彼はこれが好きなんだと宝はうれしくなった。  チャイもおいしいし、大きなガラス窓から太陽の降り注ぐギアメンツの部屋はとても明るく、気持ちが晴れやかになる。この国にきて、こんなにおだやかな時間を過ごせたのははじめてだった。  しかし「ところで――」と、お茶で口を湿らせたギアメンツが口にした話題に、宝は一気に血の気が引くのを感じた。 「イアスソッン、話は昨夜のうちにロカイに聞いたが、昨日お前は神殿に戻ったあと大変だったらしいな。腹をぐっさり刺されたんだって?」  ギアメンツはそんなことは大したことがないとでもいうように云ったが、そのときのことを思だして持っていたフォークを落とした宝は、蒼ざめてちいさく嘔吐(えづ)きだした。 「宝? 宝、大丈夫か?」  すぐに気づいたイアンが席をたって、傍ににきてくれる。 「ギアメンツさま」  名まえを呼んでを皇太子を(たしな)めたイアンは、座っていた宝を腹のあたりにひき寄せて、肩を抱いてくれた。 「お兄さま、宝は繊細なの。すこし気をつかってあげてください」 「あ、ああ。悪かった。結城やロカイには訊いていたが、これほどだとは思わなかったよ。宝、すまないね」  どんな話を聞いたんだと宝は気になったが、それに首を振って「いいえ」と答えて、そっとイアンの身体を押し返した。 「イアン、もう大丈夫だよ」  これくらいで、弱っていたらいけない、と宝は思ったのだ。  昨日プラウダの云ったことが真実で、自分が過去の失敗から勇気がないどころか、極端の怖がりになってしまったんだとしたならば、昨日瀕死のイアンに手を差しだすことができた自分はもうその問題を乗り越えられたのではないか。だったら自分は大きく成長できたのかもしれないと宝は思うのだ。  すこしはイアンに近づけたかもしれない。そう思うだけで宝はちいさなでも胸も張れるし、もうちょっと頑張ってみようという気にもなれた。もっと立派な人間になりたい。自分のためにだけではなく、イアンのためにもだ。そして彼と堂々と肩を並べて立てるようになりたかった。 「無理はするな。身体もつらんじゃないのか?」  耳もとで囁かれて、つい寝間での淫靡な時間を思いだしてしまった宝は、こんどは顔を赤くして顔をあげた。 「だ、大丈夫!」 「イアスソッンは宝に過保護だな。同じ顔をしている僕のことは、平気であの暴動さなかの王宮まえに放りだしていったのに」  肩を竦めながら云ったギアメンツはあくまでも軽い調子だったが、その内容は深刻なものだ。決して笑っていいものではない。昨日自分のために仕事を放棄するという失態を犯したイアンが罰せられるのではないかという心配に、宝は弱い声でイアンの名まえを呼んだ。 「大変もうしわけありませんでした、皇太子」  イアンがギアメンツのほうに向きなおり謝罪の言葉を口にする。 「いや、そういう意味で云ったんじゃないよ。お前もわかっているのだろ?」  ギアメンツは右手で払うような仕草をしてみせると、「嫌味なやつだな」と(うそぶ)いていた。 (い、いいの? ほんとに?) 「イアン。いつも云っているだろう? ここでは無礼で結構。ギアメンツさまだとか皇太子だとかで呼ぶな、気色悪い」 「わかりました」  そう答えると、イアンは親指で宝の頬をいちどやさしく擦ってから席に戻った。 「宝もそう不安げな顔をしなくてもいい。僕はこのとおり無事だし、イアンもいい働きをしたと報告を受けている。なんの処分もないよ」  ギアメンツは胸を(わだかま)らせていた宝に、的確に答えてくれた。昨日のことといい彼のこの勘のよさには、驚いてしまう。もしかしてギアメンツは他人(ひと)の心が読めるのではないだろうか。 「で、昨日お前を刺したヤツってのは、その前の夜にも『泉の湧く神仙の神殿』で宝とプラウダを襲っていたそうだな。彼はずっと君たちを追っていたので、神官長がすでに懺悔していたことも知らなかったようだ。なも知らないで罪をひとつ増やすはめになった彼に、ぼくは多少は同情するよ。アモンに神殿の厩が荒らされたって話を聞いたときに、ピンをくればよかったんだがな。あの暗殺者はライラックで都に戻ってきて王宮内を偵察したあと、神殿に移って厩で一晩過ごしたそうだ」  確かにアモンに厩のことを聞いた時点であの暗殺者の存在に気づいていたら、イアンが刺されるという事態は起きなかったのかもしれない。でも、プラウダは云っていた。克服して前進するために、これは起きているのだと――。  彼女の云ったことが本当なら、昨日のことが起きなかったとしても、イアンはいつか自分のまえで腹を刺されることになったのだろう。 「彼に(めい)を下したのは、神官長のアランジだったのですか?」 「いいや、昨日アランジが話したとおり、彼は噂を撒いて(いも)なる川に毒を流そうとしただけだよ。ロカイが云うにはどうやら彼の伯父にあたるコウシンの侯爵が関係しているようだ。それで詳しく話を聞こうと思って、昨日のうちに伯父に会いにいくというアランジに頼んで侯爵と子爵をここに呼びだしている」  コウシンと王都は箱馬車で半日の距離だそうだ。 「タイミングよく宝とプラウダを襲ったという男たちが、今朝、粛正台(しゅくせいだい)に自首してきた。侯爵たちが到着次第、彼らを雇ったのが本当に子爵なのか対面させて確認をとる予定だ」  

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