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第2話

 鼻血が落ち着くと、公爵の提案どおりスピネルと図書室へ向かうことになった。ふたりで並んで廊下を歩きながら、ぼくは物思いに耽っていた。  スピネル・フォン・オズワルド。スピネル・フォン・オズワルド……。心の中で隣にいる少年の名前を繰り返しながら、やっぱり勘違いなどではなく確かにどこかで聞いたのだと確信する。しばらく記憶を探っていたぼくは、唐突にその名前の持ち主について思い出した。 「っあ」 「どうかされました?」 「い、いいえ、なんでも。としょしつはもうすぐですか? ぼくのうちのものよりも広いときいたので、とてもたのしみです」 「あと少しですね。もしとちゅうでどこか調子がわるくなったら、えんりょせずおしえてくださいね」 「おきづかいありがとうございます。さっきはおどろかせてしまって、もうしわけありませんでした」 「いいえ。すぐに落ちついてよかったです……」  あああもおおお本当に天使すぎるうう。スピネルかわいい、かわいいかわいすぎる。だけどこんなにかわいいスピネルが、昔読んだ漫画《恋ロン》に出てくる悪役と同姓同名だというのだから、驚きだ。  恋ロン――正式なタイトルは《恋する乙女の輪舞》。ぼくがまだここに来る以前に学生だった頃、クラスで流行っていた漫画だ。貴族令嬢のヒロインが王立学園で王子と出会い恋に落ちる所謂恋愛漫画で、スピネル・フォン・オズワルドはヒロインの婚約者として登場する。ヒロインに酷く執着していたスピネルは王子とヒロインの仲に嫉妬し、密かに王子の命を狙ったり、ヒロインを攫い監禁しようとしたりするんだ。  そうそう、確か恋ロンのスピネルも公爵家の人間で、プラチナブロンドにアイスブルーの瞳を持つ物凄い美形だったっけ。こんな偶然があるんだななんて呑気にしていられたのは数秒ほどで、すぐに全身から血の気が引いていった。  ――そういえばこの国の王子様の中に、恋ロンのヒーローと同じ名前の方がいらしたような……? いや? でもそんな、まさかな。信じられない仮定が頭の中に思い浮かび、廊下の真ん中で足を止める。 「れいそく?」  すっかり動揺しているとスピネルが不審そうにこちらを振り返る。  まさか、まさか――まさか本当にこのスピネルがあのスピネル? こんなにかわいくて優しいスピネルが物語の悪役? う、嘘だだろう? 「……っ」  そもそもスピネルはどうして悪役になってしまったんだっけ。思い出せ。思い出せ。  確かはじまりは公爵夫人の死だ。スピネルが十のときに公爵夫人が流行り病で亡くなってしまう。最愛の夫人を失って悲しみに暮れた公爵は、次第に酒に溺れていき、スピネルのことも使用人に任せきりになっていく。そうして両親からの愛情を失った彼の前に現れるのが、婚約者であるヒロイン。ヒロインの明るさに救われ恋をしたスピネルは、少しずつ彼女への執着を強くしていくんだ。だけど王立学園に入学したヒロインは、スピネルではなく王子と恋仲になってしまう。嫉妬に狂ったスピネルは、ヒロインを自分だけのものにするために手段を選ばなくなる。  曖昧なところもあるけど、概ねこういう流れだったと思う。もし本当にこのスピネルがあのスピネルなら、これから彼にはつらい未来が待ち受けている。 「スピネルさま!」 「っ? はい」 「あの……あの、ぼく、スピネルさまとなかよくなりたいんです。だからこれからなかよくしていただけませんか?」 「え……?」  唐突すぎたか? 鳩が豆鉄砲をくらったような表情をしているスピネルに不安になる。だけどこれからのことを考えたら、いてもたってもいられなくなってしまった。物語には名前も出てこないぼくのような人間がスピネルを救えるとは思えない。だけど少しでも支えになりたかった。 「はい、よろこんで。アスター」 「!」  初めて名前を呼んでもらえたことと、照れたように頬を染めるスピネルにぼくは胸を撃ち抜かれる。  図書室に到着すると、互いに好きな本を選んでのんびりと読書をした。そこでなんと、ぼくのお気に入りの小説をスピネルも好んで読んでいることが判明する。その物語の話で大いに話が盛り上がった。 「スピネルさま、それではこんどぼくのおすすめの本をおもちしますねっ」 「はい。たのしみにしています」  だいぶ打ち解けてくれたのか、無防備に笑うスピネルにきゅんとする。スピネルを知れば知るほどぼくはどんどん彼にのめり込んでいった。漫画を読んでいるときはスピネルに良い感情なんてまったくなかったのに、不思議なものである。  ほっこりしていると唐突に恋ロンのストーリーについて思い出し、一瞬のうちに血の気が引いていく。そういえばヒロインに拒絶されたスピネルは最後、絶望のなかで自死するんじゃなかったっけ。ということはこのままストーリーどおりに進めば、スピネルは死んでしまう……?  ぞっとして急いで首を左右に振る。そんな展開は絶対に許すわけにいかない。できれば支えになりたいなんて、そんな消極的なことを考えている場合じゃなかった。 「スピネルさま。スピネルさまのことはぼくがかならずしあわせにしますっ!」 「えっ?」 「やくそくしてください。かなしいことがあったときはひとりでかかえこまず、ぼくをたよってくださると」  もしスピネルが孤独に耐えているとき、ヒロイン以外に彼に寄り添う存在があれば未来は変わるかもしれない。ぼくがスピネルを守るんだ。 「……はい、わかりました。やくそくですね」  まあるいお餅のような頬をうっすらと染めて、スピネルが頬笑む。いきなりあなたを幸せにしますなんて突拍子もない宣言をしたぼくに、スピネルは引くわけでもなく嬉しそうに頷いてくれた。こんな天使のような子が成長すると悪役になるなんて、本当に信じられない。絶対絶対未来を変えるんだ。  そう固く決意をしたぼくは、この日からスピネルと親友になったのであった。  

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