6 / 38
第3話 END
(先生は育己 にいちゃんよりちょっとだけ身体が大きいかんじ?)
立花と会話をはさみながら、にこにこと料理を食べてくれる彼を、じっくりと観察する。
育己は智の一番上の兄で、子どもだけで住む上条家では大黒柱のような存在だ。智はその兄のことをだれよりも尊敬し、かっこいいと思っていた。
(にいちゃんより、ちょっと年上かな?)
目の前に座る先生のことを、大好きな長兄とついつい比べてしまう。兄は今二十歳だ。だとしたら彼は二十二、三だろうか。関係上彼より立場が下になるらしい年嵩 の立花や、年下の智にたいしても謙虚に接してくれていて、とても好ましい。
(箸使いがきれいだな。あ、パイナップルから食べてる。ほんとに好きなんだ)
「先生この麻婆豆腐絶品ですよ。智くん実は買ってきたんじゃないの?」
「この酢豚、花梨のより僕の好みだ。智くん、おいしいよ。ありがとう」
また先生の目じりに、やさしげな皺がよった。ふたりの言葉に智は黙って頷いておく。
家族も花梨の酢豚より智のつくる酢豚を好むので、彼らが云っていることもきっとお世辞ではないのだろう。日ごろから家族は智のつくるものはぜんぶおいしいと云って、とても喜んでくれているが、たまにはこうやって他人に褒めてもらうのもいいなと、智は思った。
(なんか、ここ、のんびりできる)
ひとが少ないからだろうか。それともこの先生のもつ雰囲気が、自分にそう思わせるのだろうか。
学校と家事とでいそがしく、大家族で騒がしい毎日のなかでは、静かでゆったりとした時間なんてものはない。自分に丁寧に接してくれるおとなも育己ぐらいだ。
だから智はいまのこの時間には、とても価値があるな、と考えた。
「ねぇ、智くん」
「……はい」
箸を揃えておいた先生が、顔をあげた。
「よかったら、またこんなふうにおかずを作ってきてくれないかな? 材料費とおこづかいはちゃんと出すから」
(このひとは、中学生相手に本気でそんなことを云っているのだろうか?)
彼の顔はビールのせいで少し赤くなっていて、そんな彼が云うことに智は考えを巡らせた。
もしこれが酔っぱらいのたわごとではなく本当の気持ちで云っているのだとしたら、正直、まだアルバイトできる年齢ではない智にとっては、ありがたい話だ。
それに彼が自分の作ったものをおいしそうに食べてくれるところを想像すると、心がほっこりしてくる。
(なんでかな? 俺このひとのこと、育己にいちゃんくらい好きかも)
智のなかで育己とおなじくらいと云えば、最上級の好きになる。だからその申し出を受けたいなと思った。
「……いいけど」
「それは助かるよ。ありがとう」
(うわぁ。やばい)
皺を寄せてにっこり笑った彼に、ドキンと胸が高鳴った。これはブラコンの弊害の極みだろうか。智は背中を丸めると机に隠れた位置でこっそりと胸のあたりを押さえた。
年頃の性少年だというのに年上の男なんぞにときめいてしまった智は、このあと暫くのあいだ打ちひしがれて日々を過ごすことになる。
*
それからいうもの、智はこの先生の家にすっかり居ついていた。
先生の名まえは二宮隆 といった。
隆は漫画家だった。『忠衛 ロイ』というペンネ―ムで、一部の青年漫画ファンには人気があるそうだ。
この家はアシスタントを雇うときにはひとの出入りが多くなったが、それでも七人で住む智の家よりは静かだ。だから食事を届ける以外でも自宅の用事をすべて終えて妹たちが寝静まった夜になると、智は勉強道具を持ってきてはここで寛がせてもらうようになっていた。家族のことは大好きだが、智にだってすこしは自分の時間が欲しいのだ。
隆には家事手伝いをしたあとはこの家で好きに過ごしていいと云われていたので、学校のない日にも甘えさせてもらってたびたびやってきていた。
日曜日のこの日。家事の合間にこの部屋にやってきていた智は、座敷に寝転がって本を読んでいた。すると、隣りのリビングから隆が自分を呼んだ。
「なに?」
座敷をでて顔をだすと、彼が菓子箱を持って立っていた。仕事が一段落ついて書斎からでてきたらしい。
「智くん。アシスタントさんがお茶菓子をもってきてくれたんだよ。今からみんなで食べようか?」
にこっと笑みを向けられて、胸がきゅんとする。
智はこの部屋のことを静かでとても気にいっていた。でもそれよりもなによりも智を惹きつけてやまないのは、こうやってやさしげに笑ってくれる彼の存在だ。
どうやらこのひとが自分の『初恋のひと』になるようだとひそやかに思いつつ、智はこくりと黙って頷いた。
END
ともだちにシェアしよう!