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第11話
「もうっ。ゆなちゃん! お教室では走らない。いい?」
由那を追ってやってきた女の先生は、彼女のらしい荷物を抱えている。
「ほら、ゆん、謝れ。もう走っちゃだめだぞ? お友だちとぶつかるとみんな痛いでしょ?」
メッと顰めっ面をつくった奈緒紀は、妹を先生のほうに向けると、そのちいさな頭に手を乗せてぐいと下げさせた。
「ごめんなちゃぁい」
「お前その笑顔、まったく反省してないな。ねぇまひろ先生?」
「もうっ。奈緒くん。もっとちゃんと叱ってね。はいこれ、鞄とお帽子。今日はゆんちゃん給食を二回おかわりして、そのあとお友だちの残していたパンを奪って食べちゃいました」
「その子は大丈夫だったん?」
「えぇ。問題ないわよ。それより、ちょっと食べすぎていると思から、間食の量を調整してあげてください」
「うん。わかった。センセーありがと。じゃぁ失礼しまっす。さようなら」
奈緒紀はもう一度、妹の頭を無理やり下げさせる。
「しゃようなら」
恭介は邪魔にならないように半歩下がって待っていた。
「先輩、お待たせ。さぁ帰ろう」
「お前ん家 か?」
「そだよ。ゆん、今日はにいちゃんのお友だちが遊びにきたよ? 先輩だよ?」
落ち着きのない由那は、彼の腕のなかで手足をばたつかせると、後ろをついて歩く恭介の肩をガシッと掴んだ。
「いてっ。うわっ。おい、マジか⁉」
そのまま幼児とは思えない力で、奈緒紀の腕から逃れて、恭介のもとに移ってくる。
「えぇ。ゆんちゃん、先輩がいいの? 奈緒ちゃん寂しなぁ」
嘘くさく口調だけで寂しがった奈緒紀は、これ幸いとでもいうようにちいさなリュックだけをもって、身軽にどんどんさきへと歩いて行った。
「おい、ちょっと待てよ! これっ。俺いつまで、こいつ持っとかないといけないんだ?」
勝手に自分の胸にすっぽりと収まった厚かましい幼児を、恭介は持て余してしまう。
「せんぱぁい。なに云ってるの? 大人はね、幼い子にはご奉仕を! の精神だよ? 感謝しながら抱っこさせてもらいなね。――はぁ、らくちん、らくちん」
「詭弁だっ。おいっ、代れっ」
「先輩も将来親になるなら、いまのうちにゆんに練習させてもらっときな。ゆんの相手ができたらパパ中級上位クラスだよ」
「お前がラクしたいだけだろ……いっ、いてっ」
胸にしがみつく十キロあまりの塊は落ち着きがなく、恭介はなんども腕から落としそうになった。しかしそのたびに彼女のほうからガシッと恭介の腕の肉を掴んで抱きつきなおしてくる。その抓るような掴みかたに、恭介はしばしば悲鳴をあげさせられる。
結局、延々と恭介のTシャツにデザインされている鳥を突いていた幼児は、道のり十分ほどの彼の自宅に着くまで、いちども恭介の腕から下りようとはしなかった。
「ほら、そこのマンション」
「お、やっと着いた?」
「うん、ここの一階ね。先輩もうちょっとだからがんば!」
「つ、疲れた――。腕が、ヤバい」
いくら成長期半ばを過ぎた男子であっても、日常生活で使わない筋肉なんてまだまだ非力なものだ。とにかく幼児を下ろして、恭介ははやくゆっくりしたいと思った。
ふいに恭介は奈緒紀の細いクセにうっすらと筋肉がついていた腕を思いだす。
(こいつ、このチビを毎日抱いているのか? じゃぁ、俺ってコイツに腕力負けているかもしれないのか?)
それは、ちょっと気に喰わない。
いや、そもそも奈緒紀のほうが力があるなら、なおさら彼が自分で妹を抱えて歩くべきだ。
「ってか、こいつ歩かせればいいんじゃないのか?」
「だめだめ。ゆんはチョロキューだからね。危なくてそんなことさせられないよ」
チョロキュー……。奇しくもそれは恭介が奈緒紀をはじめて見たときの感想といっしょだった。さすが兄妹。しかもこのふたりは遺伝が濃いそうだ。
よくよく見ると腕のなかの女の子は、すこし垂れ目ぎみなところと、へらへらよく笑うところが奈緒紀とそっくりだ。
(見てろよ。玄関に辿りついたらソッコーこいつを放りだしてやる)
内心ほくそ笑んでいた恭介だったが、玄関が開くなりこの幼児が自分の胸ぐらを蹴って飛びだしていくだなんて思ってもいない。
このあと恭介は由那を放り出すどころか、自分のほうが廊下に無様に尻もちをつくはめになったのだ。
*
「うちは母がキッチンに立つことなんていよ。金は用意してくれているから、好きな物を好きなときに食べればいいってかんじ」
「それで先輩いつも学食なんだ。俺、金ないからめったに行かないけど、学食の味噌汁おいしいよねぇ。あーお金ほしー。先輩はバイトとかしてるん?」
「いや、してない。金だけは大目に置いてってくれてるから困らない。親も子もお互い好き勝手やってる」
「そうなん? じゃあ先輩のおかーさんのびのびできていいね」
「のびのびしすぎだよ。うちはさ、両親ともロクでもなくて、ふたりで顔をあわせるとすぐケンカはじめてさ、うるさいんだよ。こっちは受験生だって云うのに、勉強に集中できない」
「へぇ。そりゃ気ぃつかってほしいもんだね」
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