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第16話
ケンカと云ってもふたりはモノを投げたり、暴力をふるったりまではしないのだ。口だけでわいわい云っているだけなのなら、自分はそれを一種のコミュニケーションだと捉えて、聞き流しておけばいいのかもしれない。
実際に今晩ふたりは、育己のまえに出てきたときには肩を寄せあっていたし、気まずそうにでも互いに顔を見合わせることだってしていたのだ。なんだそれは、だ。
「ってか、もう好きにしてくれ。犬も食わないってやつだ」
本音を云えば。このまま夫婦仲が改善してくれたらいいと思う。そうしたら恭介はもっと家でリラックスできてありがたいのだが……。
それよりも今は、だ。
「あー……。どうしてだ」
恭介はベッドのうえで顔を赤くして頭を抱えた。
今晩の育己の行動がとても気になってしかたないのだ。
どうして彼は恭介のストレスであった、夫婦ゲンカのことを彼らに進言したのだろうか。
確かにそれで助けられたのだが、恭介はひとの手を借りたことに、不甲斐なさを感じていた。そして彼が自主的に自分の援護にまわってくれたのだろうか、それとも奈緒紀になにか云われていたのか。そのことが気がかりで落着けずにいる。
もし奈緒紀に気をまわされていたのだとしたら、悶絶ものだ。
(あいつが育己さんに、余計なことしゃべたのか?)
恭介は今日、口が盛大に滑りまくって、奈緒紀に余計なことを話しすぎていた。
家庭の愚痴を云っただけだが、いま思い返すとあれはぜんぶ自分の弱音だ。それに決して恭介の本意ではなく、それらはすべて奈緒紀の巧みな誘導で引きだされたものだった。
「くっそ。俺なにべらべらしゃべってるんだよ。あほかっ」
しかも今だからわかる。恭介が彼に語ったすべては、自分が幼稚で怠慢だったからこその、不満だったのだ。
それをうまい相づちをいれながら聞いていた奈緒紀は、俺のことをどう思っていた?
(あぁ。今日の俺、超かっこ悪い。奈緒紀のヤツめっ)
この夜、恭介は彼にしゃべった繰 り言 を思い返しては羞恥に震え、朝まで悶々とベッドのうえで眠れずに過ごしたのだった。
*
あれから奈緒紀は、学校でもよく恭介に絡んでくるようになった。
彼は遠くからでも自分を見つけるとすぐに駆け寄ってくる。
自宅でなら彼に毎晩会ったっていい。しかし誰かに見られる校内だけは、暫くのあいだは勘弁してほしかった。
ひと目をひくヒヨコ頭の奈緒紀は、両耳にピアスホールだって無数にあいていて、見るからに素行が悪そうだ。
そんな彼が教室移動中や学食などで恭介を見つけるたびに「せんぱーい」と親しげに声を掛けてくるものだから、そのたびに恭介といっしょにいるクラスメイトがぎょっとした顔をする。
そさらにそのすこしまえからは遊び人認定されている神田も、ちょくちょく恭介に絡んでくるようになっていた。
恭介が彼らといるところを見た友人たちは、意外な組み合わせに興味をもって彼らのとをよく訊いてくる。なかには「つきあう相手を選んだほうがいいのではないか?」と、忠告してくるものまで出てきだした。
そういうことを云ってくるのは、恭介のことを優等生だと思っている連中だ。
正直、自分がだれとどうつきあおうがそんなことは放っておいてくれと思う。でも波風は立てたくない。もともと恭介はすぎるくらいに外面がよいのだ。
だからそんな輩 には、毎度にっこり笑って「心配してくれてありがとう」と返すようにしていた。
しかしこのやりとりが続いているうちに、恭介は徐々に鬱憤を募らせていったのだ。
そのせいもあってここ数日は、学校では奈緒紀に会いたくないとまで思うようになっている。
特に今日なんて、絶対にだ。家でだって彼には会えそうにない。
(今日は絶対に絶対に、奈緒紀が来ませんように……!)
思わず手をあわせてしまう恭介だった。なぜならば、今日の機嫌が最悪だったから。
このあいだの育己に送ってもらった夜から、なぜか父が頻繁に家に帰ってくるようになった。
日曜日の昨日もなにを考えてか、父はいきなり昼過ぎになって顔をだしたのだ。そして夜には母とで大喧嘩が勃発だ。原因はどうも父が母の家事にケチをつけたことらしいのだが……。
恭介は両親が寝静まった深夜に、やっと階下におりることができた。自分のために用意されていた出前の中華料理を食べて入浴して眠ったのは、一時を過ぎたころだっただろうか。
父は機嫌の悪いまま今朝早くに赴任先に帰って行ったのあが、その時にわざわざ寝ていた恭介を起こして挨拶して行った。朝の四時にだ。
あの父はなんてことをしてくれたのだ。おかげで恭介は朝から欠伸が止まらない。
学校に来たら来たで、担任と落合に都合よくつかわれる日々が続いていて、今もクラスの人数ぶんのノートを抱えて職員室に向かっている最中だった。
テスト期間も近いのに、気軽に受験生を顎で使うなと怒りが湧いている。
こんな状態で奈緒紀といっしょにいるところを誰かに咎められるようなことがあれば、恭介はキレてしまいそうだったし、それに恭介自身がまた彼に愚痴やひがみを口にして、あとでまた悔いるハメになりそうだった。
恭介はもうこれ以上、奈緒紀には自分の弱いところを曝 け出したくはなかった。
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