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第17話

 ()てしてそういう時に限ってこそ、思わくとは逆のことが起きるものだ。  担任に面倒ごとを押しつけられて、――と云っても、ひとつ返事で引き受けたのは、いい恰好しいの恭介なのだが――職員室に入った恭介は、さっそくそこに奈緒紀を発見しまったのだ。 (うわぁ。校内けっこう広いのに、なんで会うかな?)  恭介はあちゃーと顔を顰めた。教師に説教をされている最中の彼もすぐこっちに気づいたらしい。恭介に向かって、腰のあたりでちいさく手を振った彼は、そっこう教師に見つかりその手を抓られている。 (あほか)  用を終えた恭介は、彼とかちあわないようにさっさと職員室をあとにしたのだが、すこし遅かったようで、教師に開放された奈緒紀にすぐに廊下で捕まってしまった。 「先輩。はやいって。ちょっと止まってちょうだいよ」 「悪い、悪い、お前と俺じゃコンパスが違ったよな」 「へ? コンパス? なんで算数?」   奈緒紀はきょとんとした顔で、恭介の横に並んできた。 「わからないならいい。で、なんだ? なんか用か?」 「あぁ、うん。先輩さぁ。神田くんの隣のクラスでしょ? これ神田くんに渡してほしいんだ」 「なんだ、これ?」  奈緒紀に手渡されたのはちいさな包みだった。 「昨日ゲーセンで取れたぬいぐるみ。神田くんが好きって云ってたキャラだったから、あげようって思って」 「ふうん。お前ら仲いいんだな」 「なに? 先輩神田くんに妬いているの? だったらもっと俺のこと大切にしてよ。そんなツレない態度とってないでさ」  奈緒紀がふざけて云うのに、恭介はむっとした。 「誰が妬くんだよ? アホなこと云うな。それにつれないってなんなんだ?」 「だってそうじゃん。さっきだって、俺、バイバイってしたのに、先輩手ぇ振り返してくれないし」 「当たりまえだろうが。お前説教されてたんだぞ? 空気読めよ。あれに手ぇ振り返したら、俺まで叱られるだろうが」  こいつはなにをバカなこと云っているんだと、呆れかえって答えると、奈緒紀は「むっ」と眉を顰めてこちらを見上げてきた。 「それにさ、いまだってさっさと逃げようとしたでしょ? 待っててくれてもいいのに」  奈緒紀が口を尖らした。  彼の肌色が薄いせいか、艶やかなピンクの唇に視線が誘導されてしまった恭介は、とっさに視線を逸らして誤魔化すようにぼやく。 「逃げてないって……」 「いいや。先輩、学校では俺のこと避けてるもんね」 「そんなことない」 「そんなことありますぅ。だから、俺、これでも遠慮してあげてるんだよ? 優等生の先輩の名に傷がつかないようにね」 「あっ、馬鹿っ、なにすんだっ」  いきなり奈緒紀に眼鏡を奪わて、恭介はそれを取り返そうと彼へ手を伸ばした。しかし眼鏡は恭介の手が届くまえに、すっと奈緒紀の顔に納まってしまう。 「ふん。やっぱり伊達だ」  眼鏡は奈緒紀にとても似合っていたが、そんなことはわざわざ云うことはしないで、恭介はそっと彼から眼鏡を取りあげた。 「お前がそんな気をまわさなくていいよ」  図星を刺され気まずいという気持ちと、彼が自分と距離を取ろうとしていたことを知って沸き起こった不愉快な気持ちが胸のなかで綯い交ぜになる。  その疚しさは恭介のなかで次第に苛立ちに変わっていった。  たしかに奈緒紀の云うとおり、恭介ははじめのうちは校内で彼に声をかけられることを煩わしいと思っていた。顔が合うと思わず「げっ」と思い、踵を返したことだってある。しかし、それは本当にはじめのうちだけだ。  今ではたとえ周囲の反応や、奈緒紀のちょっとした我儘を面倒だと思うことはあっても、本心では彼に絡まれるのが嫌だなんてことはない。  むしろその逆で、校舎のどこかで彼と出会うと嬉しかったりもする。  確かに今は彼を避けたい気持ちもあったが、その気持ちの変化もここ二、三日まえにはじまったばかりのことで、たったいまだけ、数日やり過ごしたらまたもとに戻れるような、ささいなものだった。  奈緒紀は恭介の普段の素行を知っている。だから恭介は彼には今更取り繕う必要がない。そりゃ、弱みだけは見せたくはないが、それにしたってほぼ素の自分でいられるので、つるんでいてとてもラクな相手だった。  そしてそれとはまた違う意味でも、恭介は奈緒紀といたいと思っている。  奈緒紀は、我儘を云ったり無茶なことをしでかしはするが、それ以上に恭介のストレスの緩衝材になってくれる存在なのだ。  彼といるときの自分が、とてもリラックスできているということに、恭介はとうに気づいていた。  恭介は彼といると呼吸がラクだった。  だから避けるどころか、むしろ奈緒紀とはずっと一緒に過ごしていたい。 (本人には口が裂けても云えないけどな)  ただ今は本当に極度にイラついていて、こんな状態で奈緒紀とはいっしょにいたくない。  彼に八つ当たりをするかもしれないし、自分はまた彼に甘ったれてしまうかもしれない。これ以上、奈緒紀に自分の醜態をみせたくはない。  恭介は神経質に眉を寄せて、ちいさく舌打ちをした。

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