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第18話

「神田くんさ、この間まで校門で挨拶運動していたんだよ。先輩は見なかった?」 「さぁ」  見るもなにも遅刻した神田の名まえを記帳し、彼に罰則の挨拶当番の案内プリントを渡したのが自分なのだ。そんなのは今更だった。  それでも奈緒紀が神田の話をするのがなんとなく面白くなくて、恭介はしょうもない嘘をつく。 「んで、登校んときにあっちが町田くんの工場にいた俺のこと覚えてくれていて、声かけてきたの。びっくりした。だから俺ついこのあいだまでは神田くんとおなじ学校だってことも知らなかったぐらいだよ? そんくらい今まで話すこともなかった」  奈緒紀は大きな瞳で恭介を見上げて「俺的には、先輩とのほうが仲がいいつもりなんだけど?」と呟いた。  恭介はその言葉に自分の気分がすこし浮上したことに気づいてすこしくやしくなる。 「別にそんなこと、聞いていない」 「はいはい。ところで先輩。きょう俺ん()来ない?」 「んー……」  誘われて嬉しい気持ちはあるが、なにせ今日はダメだ。恭介は気分が治まるまでは、断固彼とは距離をおくつもりでいて、その決意は固い。  だいたいいまの状態であの家にいくと、恭介はきっと吐くだいじゃすまないだろう。うっかりぶちキレて舞子と良和のケンカに参戦している自分を想像して、恭介はげんなりした。 「無理。やめとく。今日はそんな気分じゃない」 「じゃあさ、どっか遊びにでかけよ?」 (だから、今日は‥‥…) 「また今度」と告げようとした恭介は、じっと見つめてくる奈緒紀の瞳に、そのさきが云えなくなってしまった。 「どうかな?」と誘ってくるピンクの唇に、弱い意志が簡単に溶解していく。 「それなら、いいけど……」 「じゃあ、放課後、昇降口でオッケー?」 「ああ、うん。でもお前由那(ゆな)の迎えは?」 「そんなの誰かに頼む――、って、ほら、みてみて。ナイスタイミング」  嘘のように都合よく前方から歩いてくるのは、彼の兄の良和だった。 「先輩行こう」と云って恭介の袖口を引っ張った奈緒紀は、やっと立ち話で止まっていた場所から動きだす。    そして彼はすれ違おうとした良和の袖を掴むと、ぎょっとする兄に一方的に告げたのだ。 「うわっ、びっくりしたっ」 「よっしー、今日、ゆんのお迎えお願いね」  すかさず、奈緒紀は良和のポケットに保護者カードを捩じりこんだ。 「げえっ! 奈緒紀、待てって。俺じゃアイツは無理だって! おいっこらっ‼」 「大丈夫、大丈夫!」  奈緒紀は茶目っ気たっぷりに笑いながら兄に云うと、恭介の手を握って彼から逃げるために走りだした。  背後で「おいっこらっ逃げんな!」と、でかい声で叫ぶ良和の声に、すかさず叱責する教師の声がかぶる。 「おい、いいのか?」 「いいのいいの。じゃあ先輩、それよろしくね」  お互いの教室に向かうための分岐路で、奈緒紀はソレと恭介が手に持っていた包みを示しながら云うと、恭介の手を放して階段を駆けあがっていく。  そして姿が見えなくなる寸前に一度だけ振り返って、「先輩っ、忘れないでね、校門だよ!」と叫んだ彼に、恭介はなんとも複雑な表情で「ああ」とだけ返した。                   *  放課後、奈緒紀と待ち合わせて、一度恭介の家に帰ったふたりは、着替えるとバイクに跨った。  タンデムシートに乗りこんだ奈緒紀がぎゅっと恭介の身体にしがみつく心地に満足を覚え、恭介は今日は彼の好きなようにつきあってやってもいいと思った。  試験場以外でふたりで出かけるのははじめてになるが、奈緒紀はいったいどんなところで、なにがしたいのだろう。そう思って恭介がリクエストを訊いてみると、奈緒紀は天気がいいから六甲山に登りたいと答えた。  てっきり繁華街のアミューズメント施設の名まえをあげるかと思っていたので、恭介は六甲山と聞くと、顎を引いて目を丸くしたのだ。  爽快に走りだしたバイクは住宅街を抜けていき、二十分も走れば山への登り口を通過した。ケーブル下駅からケーブルを使えば十分で山頂の展望台へ到着するが、そのケーブルカーが出発するのを待つあいだにバイクで充分、上の展望台へ到着してしまえる。  だから展望台までバイクで充分だ。  それにバイクでの移動はとても気持ちいい。ギアを上げて加速させたり、カーブを曲がるときの一体感がたまらなく自分を自由な存在だと、感じさせてくれる。  あいにく辿りついた山頂展望台からの景色は、奈緒紀の期待を裏切り芳しくなかった。  確かによく晴れていたが、そのぶんガスがかかっていて、市街地まではよく見渡せたが、遥か大阪湾に浮かぶ空港や和泉山脈あたりはまったく見えない状態だ。  奈緒紀は見下ろした景色に「うーん」と難しい顔をしていたが、それでもすぐに気分を変えたらしく、途中で買いこんだお菓子をベンチに広げはじめた。 「せーんぱい。食べよ」  トントンと彼が叩いた座面に腰を下ろすと、その密接した距離がまるでカップルのようだと感じて、恭介は自分にげんなりしてしまった。

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