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第20話 

 一瞬目を(みは)った奈緒紀は「なに、先輩? もしかして雰囲気に流されちゃった?」と、笑う。恭介はそれにはなにも答えなかった。 「先輩、暫くここでゆっくりして行こ?」 「別にいいけど、ヘンなのに絡まれないか?」 「この真下の道はコンテナ専用道路だからよしとして、さっききた道はどうだろうね。週末なら暴走族がパラリラパラリラしてそう。先輩ちゃんとバイク見えにくいように置いてきた?」 「いや、あんなフェンスしかないようなところ、どう停めたって丸見えだろ? ヘンなの来たら、お前なんて外見だけでケンカ売られそうだな」 「おう。上等だ。返り討ちにしてやる」  奈緒紀が曲げた細い腕の筋肉を、ペチっと叩いてみせた。 「そんなちびっ子なのに?」 「なにおーっ。ちびっ子云うな! 実はこのちびっ子は強いんだぞ」  あからさまに眉を寄せて云うと、奈緒紀が憤慨してそう返したので恭介は笑った。 「まぁでも、俺、軽いから、足もと掬われてあの海に放りこまれたら終わりか。ポッチャン!って。うまく泳げるかなぁ?」  物騒なことを云って「あはは」と笑った奈緒紀は、斜面に滑りおりて芝生に腰を下ろした。「先輩も座ろ」と自分の横をポンポン叩く。 「ここで、日が沈むのを眺めてから帰ろうよ、ね? ほらほら座れってばさ」 「はいはい。ってか、俺昨夜(ゆうべ)あんまり寝てないんだよ。腰おろすとうっかり寝てしまいそう」 「いいよ。ちょっと寝たら、ちゃんと起こしてあげるってば」  そんなことを云っていて、いつのまにかこいつも一緒に寝てそうだよな、とまったく信用することはしないで、「絶対だぞ?」と口にする。 「はい。絶対、絶対。任せて、任せて」  こんな調子のいいヤツに頼んだら、冗談ではなく目が覚めたら朝でしたってことになっていそうだ、と恭介は苦笑いした。  眠いと云いながらも、野外で寝るつもりなどない。恭介は奈緒紀の隣に座ると、パーカーのポケットからたばこを取りだし、一本咥えて火をつけた。  大きな太陽は水平線に尻をつけ、海はますますオレンジに染まっていく。  長いあいだ黙りこんで波の音だけを聞いていた恭介は、吸い終わったたばこを携帯灰皿に捩じいれると、重たい口を開いた。 「なぁ」 「うん?」  奈緒紀は組んだ腕を枕にして、芝生の斜面に寝転んでいる。 「お前このあいだ、育己さんに余計なこと云ってないよな?」 「なんで?」 「……いいや。なんでもない」  よくよく思い返すと、あのとき奈緒紀はずっと恭介といたのだ。恭介が育己とマンションを出るまでずっと自分の(かたわ)らにいた彼が、恭介の家庭の事情を兄にチクる隙なんてなかった。  あの日、育己が恭介の両親に謝罪という形をとった進言をしたのは、やはり彼の判断でしたことなのだろう。  結果としてあれから両親の口ゲンカの声はちいさくなり、頻度も減ってきた。すごく助かっているので育己には感謝している。  ただこんな歳になって誰かにかばってもらうなんてことをしたので、とても気恥ずかしい思いをしていて、あの夜のことを思いだすたびに、恭介は未だに照れていた。  しかしもしもあれが育己の機転ではなくて、彼が奈緒紀に吹きこまれてしたことだったのならば、自分はどう感じるのだろう。  自分はいまと同じように育己に素直に感謝できるのだろうか。それともプライドが損なわれと憤慨し、奈緒紀を逆恨みするのだろうか。 (それともこいつなら、俺は許せるのか?) 「だから、なんだよぉ。ひとの顔じっと見て」 「なんでもないよ」  恭介は二本目のたばこに火をつける。  太陽はもう、ほとんど水平線のなかに隠れてしまっていた。  さっきまで目立っていなかったたばこの火も、薄暗くなった今ではとても明るく見える。 「先輩さ。学校でさぁ、俺といるの……ほんとはイヤなんでしょ?」 「んー。んー、まぁ、そっかなぁ。お前派手だもん。クラスメイトとかに、いちいちお前とのこと訊かれんのウザい」  奈緒紀が「ふん」と鼻で笑った。 「それってさ、先輩がわざわざひとりひとりに丁寧につくり笑顔作って答えているからでしょ?」  放たれた苦言に、恭介は咥えていたたばこをいちど唇から離した。表面に浮かびあがりかけた動揺に気づかれないように、細心の注意を払う。  立てた片膝に乗せた腕のさきであがる紫煙を見つめながら、恭介は(いきどお)りにすこし乱れた呼吸を整えていった。 (こいつほんと容赦ないよな……) 「……仮面優等生」  恭介がたばこを咥えなおすのを見ていた奈緒紀が、ぽそっと呟いた。  日はすっかり落ちてしまった。  街灯もないこんな場所では、奈緒紀がどんな表情をしているのかだなんて、どうせわからない。それをいい訳にして恭介は彼を見ることはしなかった。  それでも彼が自分にあきれていることは容易に想像できる。 (べつに優等生、目指してるわけじゃないんだけどなぁ……)  恭介は苦いだけのたばこの煙を、ぷかっと吐きだした。  恭介は別に優等生でありたいと思ったことなど、いちどもなかった。いつからかはわからないが、気がついたら他人(ひと)のまえで自分を作るようになっていただけだ。  

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