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第21話

(いったい、いつからだ?)  記憶の糸を古いところまで手繰ってみる。両親の仲が悪くなったあたりだろうか。そうだ。理性も、責任も忘れてお互いを罵りあうことで盲目になったあのひとたちを、心底あさましいと思いはじめたころだ。  決して自分がいい人間だと思われたいのではない。恭介はただ彼らと同系列の人間にはなりたくなかっただけだ。そして周囲にも彼らと自分が同じだと思われたくなかった。だから自分は誰にも隙は与えられないのだ。  恭介は意地だけはって生きていた。 (……ホント、俺ってしょうもない)  たばこを口もとに寄せるのと、寝そべっていた奈緒紀が上体を起こすのは同時だった。 「ねぇ、ひとくちちょうだい」  恭介はたばこの箱の口を奈緒紀に向けると、軽く上下に揺すってやった。箱のなかから数本が頭をだしたが、しかし奈緒紀はそれを無視して恭介に顔を寄せる。 「んーん。ほんとにひとくち、だけ」  周囲は薄暗くなっていたが、ほのかな明かりが奈緒紀の顔を照らしだしていた。彼の長いまつ毛が白い頬に影を落としている。近づいた奈緒紀の体温と匂いが、恭介の胸を騒がせた。  狼狽える恭介におかまいなしの奈緒紀は、咥えたたばこを挟んだ恭介の指を掴むと、自分の口へと持っていき、そしてそのままひとくちだけ吸いこむ。  胸の奥深くにうまそうに流しみ、煙をふぅっと吐きだした奈緒紀は、にこっと笑って首を(かたむ)けた。 「ごちそうさま」  たばこは彼の指から、恭介の唇にあっけなく戻ってきた。 「……」  奈緒紀は悪戯が成功したかのように満足げだ。弓なりに口角をあげた唇が、あざとい。  恭介にはいまの奈緒紀の一連の所作がすべて艶っぽくうつり、低く囁かれた「ごちそうさま」のひとことは、耳に官能的に響いた。 「先輩? どったの? 固まっちゃてるよ?」 (こいつは、なんてことをしてくれんだ)  恭介は彼から自分の顔が逆光になっていることを、心底感謝した。動揺する自分の姿も赤くなった顔も、彼には絶対に悟られたくない。  恭介は不甲斐ない自分を誤魔化すのに失敗して、不貞腐れてしまった。  仏頂面の恭介とは反対に、手の届く距離で体育座りをしている奈緒紀は、とても楽しそうに身体を前後に揺らしている。 「ねぇ考えごと? えっとねぇ、先輩。なんか話したいことあったら俺に云ってね。育己にいちゃんみたいには立派にできないけど、愚痴の聞き役くらいはできるかもだし……」 「――っ」  奈緒紀のその、まるで見透かしたようなもの云いは、恭介の神経を逆なでした。生意気なことを云った彼をぎゃふんとさせたいが、いまはなにを云っても自分の情けなさを曝けだしそうだ。恭介は憤懣遣るかたない思いで、強く舌を打った。  奈緒紀は恭介の嫉妬や怒りや情欲の渦巻く胸の裡を気づかない。きっと自分がどんな顔をしているのかさえもだ。  もしこのとき奈緒紀が劣情に歪む恭介の顔に気づいたのなら、すぐさま自分のもとから逃げだしたのではないだろうか。  恭介は(おもむ)に残り僅かなたばこを灰皿に押しこむと、それをポケットのなかに戻した。 「先輩? もう帰える?」  彼は一ミリも警戒などせず、無防備にそのあどけない姿態を晒したままそこにいて、恭介にいきなり肩を掴まれても、きょとんとしただけだった。 「先輩……? どうしたの?」  しかし恭介に強引に芝生のうえに押し倒されると、暢気な彼もやっと恭介の異変に気づいたようだ。 「なに?」と顔を(しか)める奈緒紀の両手首を掴んだ恭介は、まとめたその手を彼の頭より高い位置に縫いとめるようにして押さえつけた。 「ちょっと、先輩っ。なにすんのっ⁉」  驚愕に見開いた奈緒紀の瞳にすこし溜飲が下がった恭介は、自分が彼にできる報復はこれなんだと確信する。  そしてつぎの一瞬後には、恭介は彼から奪えるだろうものに期待して、いっきに気持ちと身体を昂らせたのだ。   恭介は同性に対して沸き起こった気の高ぶりと情欲に戸惑いながらも、それを一切気取られないように乱暴に振舞った。腰から下にぴったりと身体を添わすようにして、奈緒紀に体重をかけると、身の軽い彼ではもう恭介を跳ねのけることは不可能だ。  疼いていた股間は奈緒紀の下腹部に押しつけることによって甘く痺れ、恭介の喉から熱い吐息を漏らさせた。 「ちょっと! どういうつもりだよ⁉」  下肢と腕を押さえこまれた奈緒紀が身体を(よじ)ってあがいても、自由になるのは腰から胸にかけてだけだ。奈緒紀の腰が反り返り、胸部が大きく弾むさまは、さらに恭介を煽情していった。  触れ合ったところから直に伝わってくる彼の動きと体温が、恭介の脳の奥深くに微弱な電流が走らせていく。  彼に齧りつきたい。舐め上げたい。自分のものを突っ込んで存分にかき混ぜてしまいたい。  激しい動悸を押しとどめるかのようにして、恭介はその華奢な身体に自分の胸部をぐっと()しつけた。 「先輩ってっ」 「奈緒紀、お前ちょっと黙ってろ」  色情に駆られた低い声で唸ると、耳もとで彼が小さく息を呑むのが聞こえた。

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