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第30話
「先輩、いま目つきがヤバくなてるから、俺はさっさと外にでたいなぁ……」
「うん、わかった。じゃあ行こう!」
恭介は簡単に奈緒紀の薄い身体を羽交い絞めにすると、叫んで嫌がる彼を引きづるようにしてキッチンをでた。そのまま階段を上がっていく。
「ちょっ、先輩、なんで? なんで? どこ行くの? って、どこでそのエプロン使う気なのかな?」
「俺の部屋」
ぎゃぁぎゃぁ叫んで暴れる奈緒紀を落とさないように気をつけて、恭介は自室のドアを開けた。
「あんた、頭いいけど、ほんとは馬鹿だろっ!」
「いや、俺、馬鹿だよ? 最近気づいたけど世間知らずってやつ?」
身の軽い奈緒紀は、持ち運びもベッドに放り投げるのも簡単なのだった。恭介はベッドでバウンドした奈緒紀の腹のうえにぽんとフリルのエプロンを落とすと、にっこり笑った。
「なにその開き直り。こらっ、放せっ。ツーリングはっ⁉ 俺やったらそのあと運転できないよ⁉」
恭介のバイクで奈緒紀のマンションに行き、そしてそこで彼の兄のバイクを借りてふたりで出かける予定だったのだ。
「もうこのままタンデムで出かけたらいいじゃないか」
「やだよっ。自分で運転して、ちゃんと練習したいもんっ!」
「バイクの練習も料理の練習もいいけど、俺たちにいま一番必要なのは、こっちの練習だ」
乗り上げた奈緒紀に縋りつき、彼の胸にうりうりと額を擦りつける。
「あほかーっ! なんの練習だっ⁉ そしてタンデム解禁は免許とってから一年後だっ」
「はいはい」
「はいはいじゃなあぁ――⁉」
つるりとズボンを脱がすといっしょに下着までついてきて、奈緒紀の可憐なお尻がぷるりと晒された。
「ぎゃーーっ‼」
跨った彼のうえでいそいそとフリルのエプロンを広げた恭介は、ふと思いついて、これは忘れてはいけないと、手をぴたりと合わせる。
「いただきます」
ぺこりとお辞儀すると、「せっ、先輩のおバカーーっ!」と叫んだ奈緒紀に、ガツンと一発頭を殴られた。
カレー作りのあとは、恭介は部屋で奈緒紀とたっぷりラブタイムを愉しんだ。結果、時間が足りなくなり、腰痛やらなんやらでバイクを運転できなくなってしまった奈緒紀を後ろに乗せて、近くのファストフードで昼食をとったあと、彼のリクエストで三の宮まで出かけた。
ベッドで過ごした時間が長すぎせいで、せっかくの中華街もぶらつく時間など残っておらず、老祥記 の肉まんと、やたらとかわいいパンダや子豚の顔の形をした肉まんをたくさん土産に買って帰ったのだ。
お金は恭介がすべて出した。なぜならばやはり恋人の家族とはうまくやっていきたいからだ。将を射んと欲すれば先ず馬を射よというではないか。
恭介の容姿や成績は奈緒紀には無価値で、しかも情けないところは全て彼にバレてしまっている。自分が彼に好かれる要素はまったく思い当たらない。しかも彼を無理やりに抱いてしまった自分にはもうあとはないだろう。
だから恭介は奈緒紀に告白するまえに、しっかり外堀を埋めておくつもりなのだ。とくにあのちびっこふたりに気に入られれば、奈緒紀はそうそう自分のことを無下にはしないはずだった――。
そこで今日は保育園で由那をピックアップしたあとは、そのまま奈緒紀の家に寄って、あの子どもたちにせいぜいご奉仕させてもらうつもりだった。
*
「……あれ?」
七時ごろ奈緒紀の家から帰ってきた恭介は、玄関の扉を開けるなり、くんと匂いを吸いこんだ。とてもいい匂いがしている。 昼に奈緒紀が作ってくれたカレーの香りが、玄関先まで届いていたのだ。
冷えたカレーが、これほど匂うものなのだろうかと首を傾げた恭介だったが、でもいまは、そんなことよりも、足もとに父の靴が揃えておいてあることのほうが、問題だった。
(マジ勘弁してくれよ…‥)
彼が金曜の夜に帰ってくるということは、この週末を自宅で過ごすつもりなのだろうか。恭介は上がり框 に座りこむと、がっくりと項垂れた。
両親が顔を突き合わすとなると、恭介はまた自分の部屋に籠らなければならない。せっかく試験が終わったので、リビングで録りためたテレビ番組でも見ようかと思っていたのに、残念だ。
(そのわりには、家のなかが静かだな‥‥‥? じゃあ、母さんがまだ帰ってきていないのか?)
母が帰宅していないのならば、いっそのこと父が寝静まるまで帰ってこなければ、静かでいい。
このまま部屋にあがろうと、靴を脱いでヘルメット片手に階段の手すりを握ったが、ひどく鼻腔を刺激するスパイスの香りを訝しがった恭介は、引き返してリビングの扉を開けて驚いた。
なんとあの父と母がダイニングテーブルで向かい合って、奈緒紀の作ったカレーを食べていたのだ。
しかもふたり揃って同時にこちらを見るものだから、たまらず恭介は噴きだしてしまった。
あはははと、腹を抱えて笑いだした息子に、母の顔が真っ赤に染まってくのがさらに可笑しい。ツボにはいってしまった恭介は、なかなか笑いを治めることができなかった。
「な、なによう…‥」
母はあからさまにむっとして口を尖らしていたが、その向かいに座った父の機嫌が良さそうに見えたのは、たぶん恭介の気のせいではない。
奈緒紀と出会ってから恭介のなかにあったあらゆる観念が、ゆるやかに変化していった。その変化はとてもいい方向に向かっていて、これからの恭介の人生をきっと豊かにしてくれるのだろう。
あの日、不機嫌を笑顔で繕 いながら校門の前に立っていた恭介のもとに、ヒヨコ色の髪をした少年が降ってきた。
朝日を浴びて、さながら光の環 を乗せた天使のようにきらきら輝いていた奈緒紀は、もしかしたら本当に自分だけの天使なのかもしれない。
彼との出会いに、恭介はいまとても感謝している。
END
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