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第4話
髪を耳にかけ、甘いにおいをさせている。
勉強なんかおいて休憩しようとベッドに誘った。麗香はそうなることが当然だったかのように、ブラウスのボタンを外す。白いレースのブラジャーが見えた。
「私が全部してあげる」
そういって、ベッドの上で横になっている仁志のベルトを外し、スラックスの前をくつろげると、下着に手をかけた。
白魚のような手で、性器を握る。
「……麗香さん」
「なに?」
名前を呼び、顔を上げたところをスマホのカメラで撮影した。
AV女優のようなポーズで萎えたちんこを握っている画像は、何となく間抜けで、笑いを誘う。
「え……仁志くん、どうして撮ったの……?」
「未成年と淫行の現場」
麗香の顔色が変わる。
「それは、そうなっちゃうけど……。でも、お母様も公認で私たち」
「付き合ってるって? 気持ち悪いこというなよ」
「え、でも」
「写真、大学に送られたくなかったら、この仕事をさ、やめてもらえる?」
きれいな顔を歪め、一瞬、鬼のようにも見えた。その後、軽蔑や、嫌悪という感情をぐちゃぐちゃにまぜた目で仁志を睨む。
この女の素の感情を初めて見た気がした。ベッドの上で身なりを整え、何も言わずに部屋を出ていった。
彼女にこんなことをすれば後々、面倒になるのはわかっている。わかっていても、麗香の声が、匂いが、今日はどうにも我慢ならなかった。
白崎の、笑った顔。初恋とはそんなに特別なのだろうか。大人になって思い出しても、嬉しくなるものなのだろうか。
ならば、自分はどうすればいい。大人になった時、こんな苦い記憶を思い出したくはない。女の下心に吐きそうになり、男の教師に恋をして。
「白崎……白崎、礼二……」
名前を唱えてみる。相手が教師だとか、そんなことはどうでもよく、白崎相手にはっきりと芽生えたしまったもののせいで、この先、男しか好きになれないのだろうかという疑問に胸が重くなる。
それにしても、なぜ白崎なんかに劣情を抱いたのかわからない。同じクラスには懐いている同級生もいる。そっちに惚れてしまうならわかるが、どうして煙草を吸う白崎に惹かれてしまったのだろう。
いや、わかっている。この答えは理解している。
あの家庭教師の男と、白崎が被ってしまったせいだ。
禁煙の張り紙や、注意書が目立つようになってきたこの頃、身の回りで煙草を吸う男なんて白崎以外にいなかった。
あの火。
「ん」
火のついた煙草を持つ、細いが、男らしくごつごつした指。
冷たい自分の手で腹を撫で、麗香がくつろげたままのスラックスの上から性器を揉む。
「は……ぁ」
目を閉じて、白崎がベッドのところで煙草を吸っていると妄想をする。
男を好きな仁志に馬鹿にしたような、哀れむような目を向けてくる。
下着の中に直接手を入れ、硬くなり始めた性器を弄り、頭の中の白崎に台詞を与える。だが、どれもしっくり来ない。それでも、煙草の煙を燻らせながら冷たい目でこっちを見る白崎の妄想だけで、性器は硬く濡れ、スラックスと下着を下げてしごくと、ぬちゃぬちゃと音がした。
「ん……は、ぁ……っ」
汚ない無精髭。曇った眼鏡。蛇のような瞳。
頭の中の白崎が笑う。煙草の火を近づけてくる。
――変態め。
無意識に言わせたその台詞がよく似合っていて、射精した後もぞわぞわと興奮が治まらなかった。
汚れた手をティッシュで拭き、制服の上着からシガレットケースを出し、煙草に火をつけた。
手が震える。一口、大きく吸って、煙草の火をへその脇にぐりっと押しつけた。
「あっ……ぅ」
煙の匂い。
痛みより、じわりと頭の奥が痺れたような快感が勝り、性器がぴくぴく頭を振っている。
「んぁ、あっ」
消えた煙草を床に捨てて、たった今焼けた小さい傷を左手で引っ掻く。ぬるっと爪が滑る。痛い。尖った痛みが傷から広がる。そうしながら、右手で性器を握った。
「いっ、あ……っ、ん、んは……ぁ」
二度めの絶頂は一度めより深く、傷の痛みと重なって、しばらく火照りが続いた。
自慰の興奮が落ち着くと、じくじくと腹の傷が痛みだし、弄っていた左手を見ると血で汚れていた。爪の間には皮膚片が入り込んでいる。
血も精液も全部ティッシュで拭い、傷を絆創膏で覆い服に血がつかないように始末する。傷はそれほど大きくはなく、引っ掻いたせいで火傷というより裂傷に近くなっていた。深く弄ったつもりはなかったが、想像以上に血が出てきて、結局その後、二回絆創膏を替えた。
傷を見ると物足りないような後を引く興奮を覚えて、つい替えたばかりの絆創膏の上から傷をなぞった。
「腹が痛いのか?」
放課後の教室。
「あ、いや……」
言葉を濁す。
治りが遅い傷が、じんじんと疼くように痛んだ。今朝より昼、昼より放課後になった今の方が痛い。触ると熱を持っているような気もする。さすがによくない気がしてきたが、どうしてこんな傷ができたのかと聞かれても答えに困る。
最初に自慰で煙草の火を押しつけて弄った日から、もう十日以上経過していた。
一度はかさぶたになったものの、すぐに煙草の火を当て、自慰のたびに傷を弄っていたせいでなかなか治らない上に、素人目に見ても化膿してきているのは明らかだった。
放課後、帰る気になれずに、いつもの連中とだらだらと教室に残っていると、無意識のうちに腹を擦っていたらしい。手を膝に戻す。
「仁志が放課後残ってるの珍しいよな」
「そういえば確かに」
余計なことに気づく形だけの友人たちに曖昧に笑って返す。
傷が痛むから動きたくない、それ以外にも学校に残っていたのは、母親の舞のせいだ。
彼女はお気に入りの麗香がいきなり家庭教師を辞めたいと言い出したことで大騒ぎしている。何とか戻ってくれないかと頼んでいるらしいが、電話口で叫ぶ姿はヒステリックそのもので、例え麗香に家庭教師として戻る気があっても、あんな叫びまくる女の義理の娘になりたいとは思わないだろう。
舞の押しに負けて麗香が戻ったとしても、もう彼女には仁志とどうこうなろうなんて気は起きないに違いない。
「ん? 誰か電話じゃね?」
スマホが鞄の中で鳴っていたが無視する。
「仁志のスマホだろ、いいのか無視して」
指摘され、これ以上突っ込まれるのも嫌でスマホの電源を落とす。
舞は麗香に連絡するのと同じだけ仁志にもかけてきていた。家庭教師がいなくてもちゃんと勉強するように、学校の授業だけでは足りない内容はどうのこうの、父親に恥はかかせられない云々。
どうせ帰れば吐きつけられる言葉だ。電話を無視しても変わらない。
考えるだけで頭が痛くなる。
「なあ、コンビニいかね? 小腹空いた」
「あ、行く行く」
「じゃあ、俺も。仁志は?」
話を振られて考える。コンビニは家と反対方向。
傷が気になって家に帰るのも億劫だったというのに、コンビニになんか行きたくなかった。ガーゼで覆っていても歩けば擦れて疼くのが我慢できない。
だが、断って理由を聞かれたら困る。一瞬、一緒に行くことも考えたが、無理だ。
「俺はパスかな」
コンビニ行こうと立ち上がる面々に断りを入れた。
団体行動から外れたことをして、鼻につくと思われないか不安だったが「そうか」と軽い返事だけだった。
「じゃあ、また明日な」
考えすぎだったらしい。
教室を出ていく連中に手を振り、足音が聞こえなくなってから立ち上がる。
「っ……ぅ」
傷が脈を打っているようだった。
家にある薬箱に入っていて、使えそうなものはガーゼとテープくらいしかない。流石に保健室なら何かあるだろう、養護教諭はおっとりした若い女性だし、面倒なことを聞かれても答えなければいい話だ。
何とか階段を下り、保健室に到着した。扉に手をかけて、ガツンという手応えに苛立つ。鍵がかかっている。
よくよく見てみれば扉に『放課後は職員室へ』と紙が張られていた。
「何だよ……」
つい苛立ちを声に出すと「怪我?」と少ししゃがれた女性の声がした。
振り向くと、丸眼鏡をかけた背の低い女性教諭が通りかかったところだった。彼女の顔は知っている。隣のクラスの担任だった。
「ああ、白崎先生の生徒さんね。怪我……じゃなくて、具合が悪いのかな? 待っていてね、鍵持ってくるから」
「いや、あの」
「体調が悪いなら放課後でも先生がいるから大丈夫」
ニコニコと手本のような笑顔を残して、足早に職員室へ行ってしまった。
具合が悪いように見えるほど、顔色が悪かったのだろうか。まあいいかと壁に寄りかかって待っていると、鍵束の音をさせて足音が近づいてきた。その足音に顔を上げてぎょっとする。
「何だ、お前か」
白崎だった。面倒くさそうな顔でこっちを見る。
「何であんたなんだよ」
「教師に向かってあんたってなあ……。養護の増田先生は放課後いないんだよ。職員室へって書いてあるだろ」
他の教員を呼べという意味だったとは知らなかった。
保健室の鍵をあけながら「どうしたんだ?」と問われる。
「別に……怪我」
「どこ」
「鍵だけあけてくれたら後は自分でするから」
「そんなことできないってわかるだろ」
扉を開けながらため息をつき、入るよう促される。
どうしたものか。逃げても白崎は追いかけてこないだろうが、この傷を放置して家に帰ればまた悪化を待つだけになる。傷が傷だけに、病院には行けない。
「ほら、見せてみろ」
救急箱を出してきた白崎にそういわれ、不承不承、保健室の中に入り、スラックスからシャツを引っ張り出す。
シャツをめくって気づいたが、ガーゼはベルトがある位置より下だった。前を開けなければならない。それでもテープの端はちらりと見えていて、白崎が怪訝そうに眉を動かす。
「何でそんなところって……聞いたところで素直に答えないよな。まあ、いいから見せろ」
立ったままベルトを外してスラックスと下着を軽く下げ、ヘソの周りが見えるようにした。ガーゼに傷から出た膿のようなものがしみて黄色くなっている。
白崎は黙ってテープを剥がし、ガーゼを取った。
「いっ……」
「お前これ」
白崎が言葉を失う。
明るい部屋でまともに見ると確かに酷い。
「……寒気とか、熱はないか」
「ないと思うけど」
「軽く膿んでる。これだけ弄ったらきれいには治らないぞ」
「別にいい」
「……全く、お前……。一回、拭いたら薬塗ってやる。痛いから嫌だとかいうなよ」
白崎は棚からタオルを出し、水道で濡らして軽く絞った。そのタオルを何の躊躇もなく傷に当てられ、肩が跳ねる。
「ちょ……」
「我慢しろ」
さすがに擦られることはなかったが、冷たいタオルで無遠慮に傷に触られるのは逃げたくなるほど痛かった。それに。
「っあ、待て……待って、って」
白崎の肩を掴む。シャツが落ちた。
「こら、シャツを持ってろ」
「い、痛くて無理に決まってるだろ……!」
「自分でやったくせに馬鹿いうな。それとも、もっと痛い方が好みか?」
何を言われてのか。頭が追いつくより先に、腰がビリビリと痺れた。白崎がスラックスのファスナーの上をカリカリ引っ掻いている。たったそれだけなのに膝から崩れそうになるほど気持ちよかった。
「ひ……ぅ」
どうして白崎がこんなことを。妄想の延長のような現実に思考が麻痺する。
「これだけ傷を悪化させておきながら、ちんぽおっ勃てやがって。きれいな顔に似合わずとんでもねえ野郎だな」
「ぅあ、あっ……!」
強めに揉まれて声が出る。
「おい、馬鹿。声がでかいっつの……まったく。これ咥えておけ」
白崎がシャツを口元に近づけてくる。
胸が高鳴るというのはこういうことをいうのだろうか。
いわれた通り口を開け、たくしあげられた自分のシャツを噛む。緊張と期待で鳥肌が断つ。夢や妄想の中でなら、こんな光景もあり得たはずだ。だが、これは現実だ。しかも、鍵もかかっていない保健室でシャツを咥え、両手で白崎の肩を掴み、自傷の手当てを受けている。
それだけで目眩がするほど興奮しているのに、傷を拭いながら、白崎の手が下着の中に入ってきて硬くなった仁志の性器に触れている。
皮の硬い手。ざらりとしていて、先っぽを弄られると手の皮が引っかかって痛い。痛くて気持ちいい。
興奮しすぎて頭がぐらぐらする。あっという間に追い立てられ、白崎の肩を支えに、立ったまま絶頂を向かえた。
まともに顔を見ることもできず、唾液で濡れたシャツを咥えたままそっぽを向く。
だが白崎は何かいうわけでもなく、汚れた手をタオルで拭いた。淡々と片付けをすませようとする白崎に居心地が悪くなる。咥えていたシャツを手で持ち、そっぽを向くのはやめて、手当ての様子を見ることにした。
ガーゼにチューブの薬を塗り、それを傷に張り付け、テープでとめた。
「何の薬なんだ」
「膿に効くやつだよ。煙草買う金があるなら薬局でステロイド系の軟膏買え。で、二、三日は風呂に入ったらちゃんと洗って、薬塗ってからガーゼしろ」
「……それだけ?」
手当てされて、興奮した。それは普通とはいえないし、本来なら気まずい以外の何ものでもないはずだ。処置した側だって、他人の、それも生徒の勃起は見てみないふりをするものではないか。
目の前で興奮されたからといって、普通は抜いたりしない。
「な……何で、触ったんだよ。何で、そんな、普通みたいな態度なんだよ!」
「嫌だったのか?」
けろっとした顔で問われ、顔が熱くなる。
「俺が嫌かどうかの話じゃないっ」
「好きな男に触ってもらえて嬉しかったんじゃねえのか?」
横っ面を殴られたような衝撃に襲われ、足元がふらついた。
「ち、違う」
「へえ、そうか? まあ、それならそれでいいけどな」
煙に巻くような話し方に調子が乱される。
むきになって突っかかったところで、いいように転がされて終わりだろう。
服装を整えながら、保健室を出る。
「お前、かわいいよ」
廊下に出たところで、背に投げつけられた台詞。
「かわいそうで、かわいい」
馬鹿にしたような響きのある言い方に、かっとなって乱暴に扉を閉めた。引戸のレールから扉が外れたような気がしたが、無視して教室に走った。
傷の痛みは不思議とずいぶん和らいでいた。
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