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第5話

 父の隆一は弁護士だった。界隈では敏腕で知られ、隆一の父も腕の立つ弁護士だったらしい。その話を、母の舞は自分の手柄のように話す。  だが、仁志と隆一には血の繋がりがなく、十二歳の時に急に父子の仲にさせられた挙げ句、ほとんど家に戻らない隆一はいつまで経っても「お父さん」ではなく「隆一さん」だった。本人は気にしていないし、そもそも、舞との結婚も家同士の取り決めが大きかったのだろう。  家に時たま隆一が帰ってきていても、舞との関係は夫婦には見えない。  そして、あまり感情を顔に出さない男なので、何を考えているのかわからない。  ただ、わかるのは。 「……誰に似たのか」  仁志の実父を疎んじていること。それだけは言葉の端々から感じた。  成績表を見て感想はそれだけ。誉めてほしいわけではないが、もう少し喜んでくれてもいいだろうと思う。  血の繋がりはなくても、自分の後継者となる息子の非の打ち所のない成績表だというのに、無感動というのは、人として心か頭が壊れているのではないかと思う。  そして、同じように白崎もどこか壊れている。  手当てを受け、射精させられてから、何となく家では自慰をする気が起きず、もう四日が経過していた。普通どれだけの頻度で自慰をするのか知らないが、ほぼ毎日自慰で発散していた仁志にしてみれば、かなりの禁欲だった。  四日していないにも関わらず、家では少しも反応しない。朝硬くなっても、微睡みから覚めると落ち着いてしまう。  ただ、唯一いてもたってもいられなくなるのが、白崎が請け負う数学の時間だった。白崎の声だけで、授業なんてどうでもよくなる。頭が勝手に保健室で白崎にされたことを何度も何度も反芻して、数式なんて一つも頭に入ってこない。  具合が悪いと嘘をつき、教室を抜け出す。科学室へ向かい、馬鹿になっている鍵を針金で抉じ開けた。この技は一年の時に先輩がやっているのを見て覚えたが、ここまで頻繁に使うようになるとは思っていなかった。  鍵をかけ、始業の鐘が鳴ってから少し教室の中で待っていると、解錠する音が聞こえた。白崎が当たり前のように煙草片手に入ってくる。 「あ?」  先客の仁志を見つけた白崎の顔が怪訝そうに歪む。 「おい。……全く、お前どうやって毎回ここに入ってるんだ」 「そんなのどうでもいいだろ。どうせ説教なんてしないんだから」 「強気だな」  白崎は煙草をジャージのズボンのポケットに入れた。 「それで? 何の用だ。まさか、俺の授業中に勃起してた話か?」  明け透けな物言いに顔が熱を持つ。やる気のない声で小テストの解説をする白崎を見ながら、頭の中はあられもない妄想で一杯だった。それを見透かされた気がして、今すぐこの場から消えてしまいたくなった。  だが、ここで引けばそれで終わってしまう。  保健室での一件もそうだった。思い返せば、喫煙が発覚した時から、先に逃げ出してその後はなかったことされた。ここでまた白崎に背を向ければ、担任と生徒の関係に押し戻されてしまう。  小馬鹿にしたような態度の白崎を睨み付けた。 「なんだ、その目? そもそも、俺みたいな冴えない男の何がよくて教室の真ん中で勃起するんだ?」 「……別に、あんたが特別なわけじゃない」  一呼吸置き、自分にそう言い聞かせた。全てはタイミングでしかない、と。  きっと、あの時この教室で煙草を吸っていたのが他の教師なら、その教師に劣情を抱いたに違いない。  まともに向き合うだけで背に汗をかくような。 「こんなの、偶然だ」 「その偶然を特別って呼ぶんだ。恋愛なんてそんなもんだぞ。そもそもな、そうやってあれこれ否定してる段階で、お察しというやつだ」  白崎にさらりと否定され、ぐっと胸が詰まる。 「違う」  否定の声は我ながらなんとも弱々しい。 「数式聞いて勃起してりゃあそう思いたくもなるか。優男の優等生の皮の下は、ドMの変態だもんな」 「うるさいっ……」 「どうせまた硬くしてるんだろ。見せてみろよ」  そう指摘される前から気づいていた。下腹部に血が集まっていく感覚。馬鹿にされて、惨めに興奮する体。鳥肌が立つほど感じている自分が不愉快だった。  膨らんだ股間を手で隠すと、白崎が「本当に勃起してやんの」と呟く。ポケットにしまった煙草を出し、マッチで火をつけて、白い息を吐いた。  苦い匂いに頭が痺れる。 「ところで、腹の傷はよくなったのか?」 「なに」 「見せてみろ」  逃げるなら今だと思った。嫌だ、ふざけるな、と。ここを出ていく。  そう思いながら、スラックスからシャツを引っ張り出し、ベルトを緩めて前をくつろげた。 「出ていかないのか?」 「うるさい」  手が震える。片手でシャツをめくり、もう片方の手で下着を下げた。まだ、傷は治りきっていないが、ガーゼが必要なほどではなく、ガサガサした瘡蓋が薄くできていた。 「なんだ、触ってないのか」 「当たり前だろ」 「でも傷弄ってオナってたんだよな? 俺に触られて自分じゃ物足りなくなったのか?」 「っそんなじゃない。気分じゃなかっただけで」 「へえ、授業中に勃起するほど溜めておきながら気分じゃないときたもんだ。……で?」  耳を塞ぎたくなるようなことばかり指摘してくる白崎がすっと目を細め、下着を押し上げているものを見つめた。 「……これ。今はその気ってことだよな。俺にまた触ってほしいんだろ?」  そうだ、とは言えなかったが、顔を背けると白崎がすぐそばまできて、顔を覗き込んできた。目に、嫌な光が宿るように見えた。人を弄することで、喜びを感じるような。  その目に間違いなく興奮している自分がいる。 「なあ、仁志」  耳元で声がして、ぎゅうっと目をつむった。  そばに来ると白崎の背が高かったことを思い知らされる。普段は猫背のせいでわからないが、そばに来ると威圧感があり、触れられたわけでもないのに押されるようによろけて、ついテーブルに寄りかかった。  心臓はやかましく、口から飛び出そうなほど暴れまわり、顔が火照る。お前はこの男が好きなのだと、要らない世話を焼く体が知らせてくる。 「耳が真っ赤だぞ」 「っ……ぁ」  耳たぶが熱い。煙の匂いが濃くなる。煙草の火が近づけられたのだろう。 「やめ……」 「こういうのがいいんだろ。萎えねえし」 「ん!」  膝で股間を押され、痛いような快感が走る。 「あぁっ……」 「おい、声出すなって。これ吸ってろ」  手で口を塞ぐように、白崎の吸い差しを咥えさせられる。勢いで吸ってしまって、げっと思う。普段とは違う味のきつさに思わず噎せた。 「か、辛い……」 「吸ってると癖になる。そもそもガキの癖に味に文句いうな」  白崎は仁志の口を押さえるようにして煙草を咥えさせた。反対の手が仁志の下着を下げて性器を出す。ゆるりと握ってしごき始めた。 「けほっ、んっ……ふ……」  目の前にいるのは教師のはずなのに、まったく知らない人に思えてくる。 「自分で持て」  灰を落とした吸い差しを預けられ、自分で吸った。吸いなれない味。教室や廊下で白崎とすれ違うと、何か香水とは違う匂いがしたが、この煙草の残り香だったのだろうか。  気持ちいい。 「んっ……ふ、ぅ……」  にちゃにちゃと先走りで音が出る。科学室のすみのテーブル。白崎に性器をしごかれ、あっという間に登り詰める。 「出るっ……ぁ……っ」  いつもより断然長い射精。吐き出した快感の強さに力が抜け、崩れそうになったところを白崎に支えられた。 「ちゃんと立て」 「あ」  煙草を奪われ、ステンレスの台に押し付けられて火が消された。  まだ胸がドキドキしている。吐息に甘えたような声がまざり、自分の耳に不快だった。  仁志がテーブルに手をついて体を支えると、白崎は汚れた手でもう一度、仁志の性器を握って緩く刺激し始める。 「な……なんで……っ」 「いかにも『足りません』って顔してるから、もう一回かと思って」 「そんな、こっ……う、ぁ……」  ぬるぬると先端を刺激され、思わずのけ反って腰をつき出す。 「おいおい、品のない格好するんじゃねえよ」 「くっ……ぁ、ん」  太ももを叩かれて頭の奥が痺れる。ほとんど痛みを感じないほど軽くだというのに、叩かれたという事実に尋常ではないほど気持ちが高ぶる。  こんなの異常だとわかっていても、上がった体温は下がらず、四日ぶりにまともに刺激された性器はまるで、よだれを垂らした我慢の利かない犬のように情けない。  プライドなんて、多分、ティッシュと一緒に丸めて捨ててしまった。 「っあ、ぁ……出る、出る……っ」  腰が揺れる。白崎の手の中に二度目の射精をぶつけ、テーブルにもたれながら、床にへたりこんだ。  自慰の時よりも射精の余韻が濃く、ふわふわとした気持ちよさに頭が痺れている。 「ちんぽしまえよ」  水道の蛇口を開く音がして振り向くと、白崎が手を洗っていた。  ポケットに手を入れ、ティッシュケースを引っ張り出すと、違うものも出てきて床に落ちた。シガレットケースだった。  革製で、スタイリッシュ。安くない品だとはわかっているが、あの男に返す気にはならない。叩かれたり、罵られたりする妄想で抜いていても、あの家庭教師には会いたくないという気持ちの方が強かった。  そもそも、専ら、仁志を叱りつける役はスーツの白崎と決まっている。あの男が入る余地はない。 「……煙草吸うにしたって、お前、何でそんなもんて持ってるんだ?」 「家庭教師の忘れもの」 「それを中身もろともパクったってことか」  ポケットティッシュで性器を拭って、服装を整えている間に白崎がシガレットケースを拾っていた。 「返せよ」 「没収だ。禁煙しろ、ガキ」 「はあ?」  禁煙と利いて目が覚める。  シガレットケースを持つ白崎の手を掴んだ。 「さっきは吸わせた癖に勝手なこと言うなよ」 「それなら、吸いたくなったらここに来い」  あまりの横暴に呆然とする。手を振りほどき、白崎は先に出ていってしまった。  扉が閉まると、ほとんど同時に授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。  吸いたくなったら。  白崎の言葉を頭の中で繰り返す。 「あいつ、本当に教師かよ……」  確かに期待はしていた。何か起きるのではないか。何か、起きてくれたらいい、と。  妄想の中の白崎は、仁志のことを憎からず思っていてくれる。言葉にすると笑えてくるが、叩くのも、叱るのも、罵ることさえ、愛があった。あの家庭教師のように自分の機嫌で罰を下すことはせず、頭の中では白崎と恋人のような関係でいるつもりだった。  現実は、違う。白崎のあの目つきに、恋愛感情は欠片もない。ただの、物珍しさによる興味。そして、仁志自身も玩具にされているとわかりながら、愛なんてものが与えられなくても興奮し、発情する。  白崎は未だにマッチで煙草を吸っている。この前見た昔の恋の話をする嬉しげな顔は、演技ではない。あの無感動極まりない白崎に、あんな顔をさせる人がかつていた。  子どもと、大人。その年齢差、子どもだった白崎が大人になるまでの間に何があったのか想像もできないが、どう頑張っても、そもそも玩具にされた段階で、仁志はもう 、その二人の関係には到達できない気がしていた。  狭い部屋で煙草を吸う二人を想像し、羨ましいと感じる自分の惨めさに、ため息が震えた。

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