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第6話 ベタ
もう夜遅い時間だけど、家の明かりはついていない。いつもなら、母親は帰っていてもいい時間だけど、最近、帰りが遅い。隣は空屋だから一階、全体が暗い。どうしようか、そう思う前に「今日、来る?」と吉野は微笑んだ。
それが、武市を憐れんでいなくて、迷惑になんて露にも思っていなさそうで、まるで、親友みたいな感じで。
武市は無言でうなづいた。
昨日の残りといって、野菜炒めと、焼き魚の干物が出たのでいただいた。
食べてる間は雑談していたけど、吉野が絵を描き始めてからは、武市は吉野に見えていないみたいだった。自分の家にいるときは、母親から武市は見えていないと感じていたけれど、この居心地の違いは何だろう。自分がいてもいいって受け入れられていて心地いい。
休憩に入ったのか吉野がコーヒーを入れた。武市もコーヒーを受け取る。コーヒーをあまり飲んだことがなく苦いイメージだったけど、ミルクがたっぷり入ってるからかおいしく飲めた。顔を上げると吉野は俺を眺めていた。
「蓮君ってさ、見た目派手なのに存在は静かだよね」
「けんかうってる?」
見た目派手というかヤンキーな感じに似合うように不機嫌に返してみた。
「ベタみたい。いつでもおいでよ」
吉野はご機嫌に笑って、また絵を描き始める。
携帯電話でベタを調べるとド派手な熱帯魚だった。飼育法方を見ると一匹で飼わないとけんかするから、よくないそうだ。
吉野から見ると、自分はベタでペットみたいなのだろうか。俺はこんなペット嫌だけど。
「最近、つきあいわるくねぇ?」
「金がないんだよ」
バイトがある風に友人に言い逃げして、学校から帰る。いつもならバイトがなければ、誰かの家か、公園か、コンビニなんかで寄り道して、えんえんと時間をつぶすところだけど、最近はまっすぐむかうところがあった。
自宅までの道を最短距離で帰って、武市は自宅をチラ見して通り過ぎる。
「ただいま」
そう言ったところで、帰ってくる返事がない。吉野は今日はまだ仕事中らしい。曜日でだいぶ変則的な働き方をしてるので、昼から家にいることもあれば夜遅くまでいないこともあった。でも家に入れるのは鍵の場所を教えて貰ったからだ。吉野は持ち物をよくなくすタイプみたいで、鍵をなくすと困るから、郵便受けに鍵を入れている。
不用心極まりないけど、貧乏だから盗めるものなんてないというのが吉野の言い分だった。
部屋に入ってもういつもの場所になったベッドの横に座る。基本的には開きっぱなしのふすまからは、吉野の描く姿がよく見えた。
ベッドを背にしてゲームを起動させる。
屋根があっていつでも寝れる場所があるって最高だ。
もうにおいには完全になれてしまって、気を付けないと服が汚れるとか、家の多くを絵が占める状況にも慣れてしまった。
「ただいま」
吉野が帰ってきた。
「お帰り」
寝転びながら返事をする。
「来てたの、なんか食べる?」
「食べる」
吉野は鼻歌交じりにさっさと野菜炒めを作ったので、一緒に食べた。
ご飯を食べたあと吉野はいつも音楽を聴きながら絵を描く。たくさんレコードを持っていて、それは決まって人が歌ってない音楽だった。夕飯を食べた後はすることもなく、寝転びながら携帯をみていた。レコードの音と、吉野の絵を描く音と、たまに吉野が大きな独り言を話す。最初はびっくりしたけどもうなれてBGMとかした。
音楽が終わったのでレコードをひっくり返して針を落とした。最初に針を落とした時は、吉野に見本を見してもらったけど、緊張して、ゆっくりと落ちる針と、いきなり始まった普段聞く音楽よりすこし緩んだような音がしたときは感激して、武市のそのようすがおかしかったのか、吉野は笑っていた。だけど、もうレコードをかけるのには慣れた。
吉野は武市がレコードを反転したのに気づいていない。これも、最初に勝手にレコードを変えたり交換したりするのも、邪魔にならないかと顔を伺ったけど、気にされたことがない。
吉野は絵を描いてる時はあまり周りが見えていないに違いない。絵描きって神経質なイメージがあったけど、いつもにこやかだし、怒ってるところも見たことがない。
吉野はすっと筆を滑らしている。横顔の輪郭がいいからか、それは様になっていて、優雅で、外の世界の喧騒とか、そういうものがわからなくなる。吉野の描く世界にも人はいなくて、誰もいない世界にただ一人吉野が歌いながら歩いてる風景じゃないかと武市は思った。静かな世界で一人きりなのに、口笛ふいて歩くようなそういうひょうひょうさが吉野にはあった。この世界における、自分はなんだろう。たぶん、ネズミだ。道を横切る濡れたネズミ。
「そろそろ帰れ」
日が変わりそうになるころ、吉野は大きくのびをして、決まってそういう。泊めてくれたのは最初の晩だけだ。未成年を何日も返さないとそれは誘拐とか犯罪になるからだそうだ。
「えーー」
抵抗を試みるけど、本当に怒られて、来ることを禁止されると困るので、そこそこの抵抗で武市は吉野の家を出た。自分の家には一瞬で着く。
この時間になると母親はもう帰ってきていているけど、ふすまの奥で寝ていて、顔を合わさない。自分の荷物はリビングに大概あるので吉野も無理に母親と顔を合わそうとしない。そっと風呂に入って、布団に横になる。吉野の家ならこの位置はいつも吉野が座って絵を描いてる位置だ。
吉野はもう寝ているだろうけど、二つ隣の部屋にあの空間があると思うと、すっと武市も眠ることが出来た。
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