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第18話 そう約束した。
「母さん」
「連」
振り返った母親は眉間に寄せていた眉を吉野を見てほどいた。
「どなた?」
「はじめまして、二件隣の吉野です」
吉野はにこやかに母親に対応してる。母親はねめつけるように吉野をみるが、今日の吉野はたまたま見た目がいい。
「蓮君とは仲良くさせていただいて、よく遊びに来てもらっているんですよ」
どう考えても武市が仲良くしてもらって、遊びに行かせてもらってるのだけど、吉野の物言いは優しい。
「そうなの。大の大人が子供と遊ばしてもらってるの。まぁ、素行の悪い子達と遊ぶよりかはいいかしら」
失礼なものいいの母親に言い返しそうになったけど、吉野が武市の背中を叩いてくれたので、衝動をおさえた。
「まぁ、子供は元気なものですから、どんな子と遊んでも元気ならいいじゃないですか?」
「本当にそう思ってる? 子供って言っても高校生はもう大人でしょう? この年になって出歩いてる子はろくなことになりませんよ」
「そうはいっても家に帰れない事情がある子もいますし?」
少し上ずるようなつっかかりがある口調で吉野が言う。
「追い出される事情があるんでしょう?」
母親にはそんな嫌みは聞かず、薄く微笑んで言った。
武市はしまったと思った。なにか言わないと母親は、俺を閉めだした理由を言い出してしまう。それだけは吉野に聞かせたくないと思ったのに、何も制止の言葉が出てこない。口だけを動かしてる間に母親は早口でまくし立てる。
「その子だって、成績も悪いし、昔から手のやく子だった。それでも、家に居させてやったのに、その子、家のお金を盗んだの。何回も何回もお金を取っては無駄づかいして、怒ったらすねて帰らないようになったから、私も私のいないときに自衛のためには家に上げない。あなたも盗まれないように、しっかり見張っとかないとだめよ」
吉野の顔を見れなかった。それは吉野に一番知られたくなかったこと。武市は中学の時、一回じゃなく、何回も家からお金を盗んでいた。
「今はバイトばかりして本当にがめつい。お金が好きな子」
「ちがう」
何か言い返したいけど、言い返せなかった。
自分で口内の皮膚を噛んでいたらしく、口に鉄の味が広がる。そのままここにいるのが、吉野に目を向けられることが怖くて、わけもわからずそのまま走り出す。
しばらく走る。知られたくなかった。吉野の家にいりびたってるいま、そんなことを知られたら、家に入れて貰えないかもしれない。なにより、いまは、吉野に軽蔑されるのがつらかった。
今は見てくれはそんなによくないが、人の家でお金なんて盗むわけないし、なにか悪い行いをしようなんて思ってない。ただ自分の居場所がほしいだけだ。
過去の自分を怒りたい、それでも、自分はあの時に戻れば同じことをする。もし下手になにもしなければ、あの寂しい家に帰れてしまう。吉野と出会うことはできなかったと思うと恐ろしく、そう思う自分が浅ましい。
過去の盗みを完全に自分で否定することが出来ない。
気持ちの置き所をどうにもできないままで、あたまがぐちゃぐちゃになる。
知ってる道も知らない道もなく曲がり角を見つけたら曲がるようにひたすら走った。もう寒い季節なのに額から汗が流れて目が痛くてそこら辺の壁にもたれた。
もうどこにも帰れない。ここは知らない場所で、知らない場所だけど知った場所でも帰るところなんて自分にはないのだ。
「蓮」
後ろを振り向くと息を切らす吉野がいた。
「さすが十代、めっちゃ走るね。俺走るの遅いって言ったのにさ」
いつもの笑顔で吉野は武市に話しかけた。また逃げようとしたのに、吉野と目が合って石になったように動けない。
「逃げないで、連の話が聞きたい」
「俺の話も一緒だよ」
吉野は武市のすぐそばまで来て、武市の頭を撫でた。
「どんな話も見方を違えば違うことがあるよ。同じ林檎でも画家によって別物になるみたいに。落ち着いて、どんな理由があっても、今の連を嫌いになったりしない。いつでもおいでっていっただろ?」
吉野は買い物袋を揺らした。
なんでこの人はこんなに優しいんだろう?
吉野は買い物袋を持っていてその中には武市の好きな豆腐が入ってる。いつも炒めものだけど今日は寒いから鍋にしようと、吉野は武市のリクエストに応えて湯豆腐をつくってくれる。そう約束した。
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