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第2話
リードは逃げ出したい気分で開け放たれているホッチナーのオフィスのドアをノックした。
なぜならいつも空いているブラインドが全て下りていたからだ。
ノックの音にホッチナーが顔を上げる。
「やっと来たか。
ドアを閉めろ」
「……はい」
リードがそーっとドアを閉める。
するとホッチナーが立ち上がり、スタスタとリードの元にやって来て鍵を閉めた。
ガチャリという微かな音がリードの耳に大きく響く。
リードは緊張の余り早口で話し出す。
「僕は見たものは全部記憶出来る。
それはホッチも知ってるよね?
でもこんなふうに怒られるような失敗をした記憶が無いんだ。
だから謝りたいけど謝れない。
でも僕が覚えていないだけでホッチが失敗と判断する可能性はゼロじゃないしヒントを与えてくれれば」
「リード」
「はいっ!」
「お前を怒る為に呼んだと思っているのなら、間違いだ」
リードが目を見開きホッとしたように笑う。
「な〜んだ!
じゃあ何?」
ホッチナーがじっとリードの顔を見つめる。
余りの迫力ある眼光にリードが一歩下がるが、背中はドアに当たった。
ホッチナーがふうっと軽くため息をつくと、リードに背を向けて数歩歩いて振り向く。
「もっと部屋の中央に来い」
「…う、うん…」
怒ってないなら何なの〜!?とリードが混乱しつつも足を踏み出すと、リードの身体が浮いた。
ホッチナーがリードの細い腰を両手で掴んでリードを持ち上げ、自分の前に立たせたからだ。
「ホホホホッチ…!?
な、なに!?」
「動くな。
確認したいだけだ」
動くも何もホッチナーは片手でリードの腰を掴み直し、顎まで片手で固定しているので、リードは動けずホッチナーを見上げるしか無い。
するとまたじっとリードの顔を見つめていたホッチナーが安心した様に言った。
「これなら額の傷は残らないな」
「…へ?傷…?
あ、おでこの傷!?」
「そうだ。
怪我をした時、見た目より派手に血が出てたんだぞ。
今朝もステリーテープの下が赤かったから心配していたんだ」
ホッチナーの言葉に、リードの身体から力が抜ける。
リードは思わず笑顔になった。
「あ、そうなんだ!
ありがと!
でも僕は平気!」
「俺が平気じゃない」
真剣にそう言われてリードは気が付いた。
ホッチナーと自分が密着していることに。
「あの…ホッチ…傷を心配してくれて、確認までしてくれて感謝してるよ。
でも…近すぎかな〜なんて…」
「近くなければ出来ないことがある」
「な…なに…?」
ホッチナーがリードの腰に回した手に力を加える。
今やリードのか細い身体は、ホッチナーに抱きしめられているのと変わらない。
ホッチナーの顔がリードの顔に近づく。
リードの顎を支えている手に力がこもる。
そしてホッチナーの唇がリードの額の傷に触れた。
真っ白な顔を首まで真っ赤に染めているリードにホッチナーが囁く。
「リード、今のはお前の傷が完璧に治るおまじないだ」
「おまじない…?」
驚き過ぎて頭が回らないリードに、ホッチナーが続ける。
「そうだ。
これでお前の肌に傷は残らない。
だがなリード。
おまじないは秘密にすることによって完成する。
分かるか?」
「……うん。
子供が良くやるよね」
「そうだ。
だからこれは俺とお前のおまじないで秘密だ。
いいな?」
リードが無邪気に答える。
「分かったよ、ホッチ。
僕、誰にも言わない。
ホッチは僕の為におまじないしてくれたんだし、秘密にするのも理解出来る。
じゃあもういい?
離して」
「ああ」
ホッチナーは短く答えると、リードの腰を掴んでいた手と、顎を支えていた手を離した。
リードがうーんと伸びをする。
すると突然リードはホッチナーに文字通り抱きしめられた。
「ホッチ?
どうしたの?」
ホッチナーはか細いリードの身体をかき抱きたいのを必死で我慢する。
ホッチナーがパッとリードから離れる。
そして冷静に「おまじないの駄目押しだ」と言った。
「あっ!
コラ!また私の薬食べてる!」
エミリーが大きな瓶に手を入れて、ボリボリと胃薬の錠剤を噛んでいるリードに言う。
「だって美味しいんだもん」とリードは一向に気にする様子も無い。
エミリーが「まあ良いけど」と言ってデスクに着くと、声を落とし、「それでホッチに何を怒られたの?」と訊いた。
リードはアッサリ「怒られて無いよ」と答える。
だがエミリーがビシッと言い返す。
「嘘。
あんた変な顔してる」
「変な顔…」
リードは胃薬を食べるのを止めると、エミリーを上目遣いで見た。
「ねえ、エミリー。
胸がドキドキして止まらないって、やっぱり心筋梗塞の前触れとかかなあ?」
「はあ!?
胸が苦しいの?
そんなに酷く怒られたの?
一体何をしたのよ!?」
「昨日怪我した」
「それは知ってる!
そうじゃ無くて、ホッチは何を怒ってるの?」
「怒って無いよ。
ただ…」
「ただ?」
「ごめん。
秘密なんだ」
「秘密…機密性が高いのね…?」
「そう」
「そっか…。
じゃあ緊張してドキドキしてるんじゃない?」
「そうかなあ?」
唇に人差し指を当ててうーんと考えるリードにエミリーが微笑む。
「私達にアクセス権限が無いような機密性の高い情報を突然開示されれば、流石のあんただって緊張するって!
それでホッチはブラインドも全部下ろしてたのね。
納得!
意見を求められたの?」
「意見…」
またうーんと考え込むリードにエミリーが明るく言った。
「ごめん、ごめん。
無神経だったね。
話せる訳無いもんね。
はい、この話はおしまい!」
「…うん」
リードがふうっと一息ついて書類に向かう。
エミリーはデスクの下でスマホにメッセージを打っていた。
リードが定時で上がろうとしてバッグを肩から掛けると、「よっ!プリティボーイ!」とモーガンの声がしてポンっと肩を叩かれた。
振り返るとモーガンとガルシアとJJがずらりと揃って立っていて、エミリーも自分の席でバッグを片手に立ち上がっている。
「みんなどうしたの?」
不思議顔のリードに、JJがやさしく「おいでスペンス」と言って両手を広げられる。
リードが「…えーと…JJどうしたの?」と言いながらJJに近付くと、ぎゅっと抱きしめられる。
そしてJJがリードの頭をよしよしと撫でて、「私は行けないけどみんなと食事でもしてストレス解消して来なよ」と言う。
「ストレス?」
「分かるよ、スペンス。
私だって皆にも言えない情報を見たり聞いたりする。
私は慣れてるけどあんたは繊細だし、こんな事態初めてなんでしょ?
そういう時は本を読んだりするより、人と会話した方が溜め込まなくて良いから」
そう言うとJJはリードから離れ、にっこり笑った。
キョトンとしているリードに、今度はモーガンが笑顔で言う。
「そう言うこと!
今夜は下っ端皆で美味いモンでも食ってさ、くだらねーハナシで盛り上がろうぜ!」
ガルシアもニコニコしてリードの手を取る。
「JJとデレクの言う通り!
今夜は箸の使わない店にしてあげるから!」
リード以外の皆がどっと笑う。
リードはまだキョトンとしたままだったが、別に食事に行くのは嫌では無かったので「分かった。行くよ」と答えた。
JJがモーガンとガルシアとエミリーに向かって「じゃあスペンスをよろしく!」と笑顔で言って、BAUのオフィスのガラス張りのドアに向かう。
モーガンが親指を立ててJJの向かった方向を差す。
「じゃあ俺達も行こうぜ!
リード、何食いたい?」
「う〜ん…何だろ…?」
「甘いデザートがある所、でしょ?」と、エミリーが言った時だった。
「おい、リード。ちょっといいか?」とデヴィット・ロッシの声がした。
ロッシが自分のオフィスの前に立っている。
リードが振り返る。
「はい、何ですか?」
「ちょっとな、ドクターの知恵を借りたいんだよ。
ラテン語は読めるか?」
「はい」
「じゃあすまないけど残業してくれ」
モーガンが「それって何時間くらい掛かりますか?」と訊く。
ロッシが即答する。
「さあな。
ただ500ページはあると言っておく」
「マジかよ…。
ロッシ、それ明日じゃ駄目ですか?
俺達これからメシに行こうって盛り上がってて」
「すまんな。
国家安全保障局から頼まれてる。
メシなら今度俺が奢ろう」
モーガンがフーッと息を吐く。
「国家安全保障局かよ…。
仕方ねぇな。
リード、お前大丈夫か?」
「え?うん」
ガルシアが握っていた手にぎゅっ力を込める。
「あんたが天才だから凄い仕事を頼まれる!
だから自信を持ちな!
ロッシに奢らせる店は、あたしとエミリーがちゃーんとリサーチしとくから」
エミリーもポンとリードの肩を叩くと笑顔で言った。
「そういうこと!
それとロッシにはお金を出して貰うだけにするから!
下っ端の楽しみを奪わせないよ」
ガルシアが「いいね〜!」と言って笑うと、モーガンも「エミリーなら絶対実行するぜ」と笑う。
するとロッシが「そろそろいいか?」と言った。
リードがロッシのオフィスに入ると、ロッシが暫くドアの外に立ってからオフィスに入って来た。
ロッシは立ったままデスクの上の黄色い封筒を手に取った。
封筒には赤いスタンプで『極秘』と押されているだけで、他には何も書かれていない。
ロッシはリードにその封筒を差し出した。
「これを持ってこの建物の屋上に行ってくれ。
ホッチが待ってる」
リードの胸がドキッと鳴る。
だがリードはどうせエミリーが言った様に『仕事の緊張』だと思い、確かに500ページはありそうな重みの封筒を胸に抱えると、「ここで解読しないんですか?それに屋上に出るには暗証番号がいるんじゃ?」と普段通りに訊く。
ロッシが微笑んで答える。
「行けば分かる。
後はホッチに聞いてくれ」
「分かりました」
くるっと振り返ってロッシのオフィスを慌てて出て行くリードの後ろ姿を見ながら、ロッシが「ホッチ、上手くやれよ」と呟いた。
リードがエレベーターに乗っている間にホッチナーから暗証番号のメッセージがスマホに届いた。
リードは普段メールもしないし、仕事でもタブレット類も使わないが、これも仕事の一部だと割り切り『OK』と二文字だけ打った。
そうこうしている内にエレベーターは最上階に到着した。
ここからは階段を登る。
そして扉の前のキーパットに暗証番号を入力すると、扉がカチリと微かな音を立てて開いた。
リードは屋上に出るとまず夜空に目を奪われた。
冬の夜空はくっきりと細いナイフの様な三日月と星を煌めかせている。
リードは30秒程夜空に見蕩れていたが、仕事しなきゃと我に返り、「ホッチ」と呼んでみた。
すると案外近くで「ここだ」とホッチナーの声がした。
リードが声のする方に向かって言った。
「ホッチ、ここで解読するの?
暗くない?
でもオフィスでも開けない程、重要書類なんだね」
するとふわりと後ろからリードは抱きしめられた。
「ホッチ?」
「すまない。
でももう気付いてしまったから。
我慢するのが上司として当然だと思う。
だがどうやら俺は、自分で思うよりお前が好きらしい」
「僕だってホッチが好きだよ?」
ホッチナーがフッと笑う。
「お前の好きと俺の好きは違う」
ホッチナーの苦しそうな声に、リードはホッチナーの腕の中でくるりと振り返った。
「ホッチ…違うってなに?」
ホッチナーはリードから目を逸らす。
「ホッチ…それに仕事は良いの?
僕、変なんだ。
昼間から胸がドキドキしてて…書類仕事で緊張したこと無いのに。
今もすっごくドキドキしてる。
だから早く仕事を終わらせてドキドキを止めないと、僕、心筋梗塞を起こしちゃうかもしれないよ」
早口でまくし立てるリードにホッチナーが深いため息をつく。
そして可笑しそうに「全くお前は…」と言うと、「封筒を開けてみろ」と続けた。
リードが封筒の上部をビリビリと破る。
そして大きなクリップで止められた紙の束を取り出した。
だがその紙の束の一番上のページは真っ白で、中央に一行だけ印字されていた。
『im 'in caritate』と。
「リード、意味は?」
「私は恋しています…こんな暗号あったっけ?
もしかしてアナグラムかなあ…」
「違う。
俺の気持ちだ」
「ホッチの気持ちっと……へ!?
ホホホホッチの気持ち!?
誰かに恋してるの!?
ていうか何で僕に教えるの!?」
ボンッと赤くなるリードの顔をホッチナーがやさしく両手で包む。
「お前が好きだから」
「……僕?」
「…!
そんなかわいい顔をするな!
俺を煽ってばかりだな、お前は!」
「煽ってなんかないよ!」
「煽ってるだろ!
昼間からドキドキしてるなんて言ったり!
そんな顔したり!」
「そんな顔なんて分かんないし、ドキドキはホッチが僕の傷におまじないを掛けたから!」
ホッチナーがまじまじとリードの顔を見る。
「……本当に?」
リードが口を尖らす。
「そうとしか思えないもん。
ドキドキが始まったのは、ホッチがおでこの傷にキスしてくれてからだから。
正確に言うと今から6時間17分前!」
「…リード!」
ホッチナーがリードの顔を包む手を引き寄せる。
リードが瞳を伏せる間も無く、二人の唇が重なる。
リードの手から落ちた『書類』の束が地面に落ちる。
クリップが弾けて飛ぶ。
真っ白な紙は花びらのように二人の周りに散っていた。
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