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第16話
ホッチナーが厳しい視線でトラヴィス・アルマンを見たまま鋭い声を出す。
「リード、こちらに来るな。
今すぐ仕事に戻れ」
「で、でも…ホッチに迷惑…」
「JJ、いるか?」
「はい」
「リードを連れて本部に戻れ。
リードに仕事の続きをさせろ」
「分かりました」
ホッチナーの後ろでJJの「ほらスペンス行くよ」と言う声と「…うん…」というリードの声がする。
二人の気配が消えるとホッチナーが言った。
「アルマンさん。
ドクター・リードに御用なら私が伺います。
それとこの茶番はあなたが仕掛けた事ですか?」
トラヴィスが苦笑する。
「茶番だなんて…。
違います。
この姉の執事のビルを止めに来たんです」
ホッチナーは表情一つ変えず、「と言うと?」とだけ言う。
トラヴィスが一つため息をつくと話し出す。
「つい先程姉から電話がありました。
このエメラルドのカフスボタンを自分が傷付けたかもしれないと。
ドクター・リードからお聞きになったかも知れませんが、姉は悲しいことや悔しいことがあった時に悪酔いすると、手近にある物…例えば皿やグラスを割ったりする癖があるんです。
昨夜もそうだったらしい。
らしいと言うのは私は離席していて、姉の愚行を目にしていませんが、ダイニングルームに戻った時、床に割れた皿が散乱していたので。
ドクター・リードは酔って眠ってしまっていました。
それで今朝姉がドクター・リードに謝りたいと言い出したんです。
折角食事会に来て下さったのに嫌な思いをさせただろうと。
酔わせてしまったこともそうですし、皿を割るなんて行為を見せて不愉快な思いをさせてしまったからと。
それで、あの時ドクター・リードは皿の破片で怪我をしていなかったかと私に確認してきました。
私が見たところではドクター・リードは怪我はしていないと答えましたが、姉は凄く気にしていて。
それとドクター・リードにお貸ししたカフスボタンも傷付けてしまったかも知れないと言い出して。
エメラルドは傷つきやすし割れやすい。
だから姉はビルに、ドクター・リードの怪我とエメラルドの傷の確認に市警に行かせたと言いました。
自分は具合が悪くて動けないからと言って。
それで私が来たんです。
ビルは姉の執事としては完璧ですが、外部の人間には少々回りくどいので、警察のお邪魔になっていないかと心配になったんです」
「でもあなたは執事を止めるより先に、ドクター・リードに呼び掛けましたね。
何故です?」
「それはドクター・リードの姿が見えたからですよ。
こんなカフスボタンの傷なんかより、ドクター・リードの怪我の方が心配ですから」
「そうですか。
ですがドクター・リードはかすり傷一つ負っていません。
どうぞ執事を連れてお帰り下さい。
私達は今、殺人事件の捜査中なんです」
トラヴィスが済まなそうに微笑むと言った。
「お忙しい中お騒がせして、本当に申し訳ありませんでした」
JJが呆れたように、「それでトラヴィス・アルマンと執事のビルは帰ったんですか?」とホッチナーに訊く。
ホッチナーは「ああ」と短く答えると、電話をスピーカーにして「ガルシア、調べて欲しい」と言った。
ガルシアが「何なりと!」と答える。
「シャーロット・アルマンが弁護士を辞めてモデル事務所を開くまでの期間はどの位だ?」
「およそ1年です」
「その間、何処かの矯正施設に入っていないか?
例えばアルコール依存症などの」
「えーと…無いですね。
あ!でも…待って下さい!
半年程スイスに行ってますね。
滞在先はホテルですが」
「ホテルの側に矯正施設は無いか?」
「ちょっとお待ちを…有りませんね。
でも病院があります!
うわー!世界中のセレブが集まる病院です!
殆ど全ての一流専門医が揃ってます!
脳外科から心臓外科から美容整形外科まで!
全身治療出来ます!
精神科医やカウンセラーも各種専門医が揃ってます!」
「だが半年も海外にいて、その後の半年でモデル事務所を開業出来るか?」
「えーと…やっぱり!
アルマン家のスーパーヒーロー、トラヴィスくんが、シャーロットがスイスに行く前からモデル事務所開業の為に動いています!
超忙しい外科部長時代にですよ!?
父親も金銭面で全面的に応援していますが」
「シャーロットがスイスに行く前に、ストレス要因になる様な出来事は無かったか?」
「昨日調べた経歴では特に有りませんでしたけど、深堀りしてみます!
少々お時間頂きます!
では!」
ブチッとガルシアの通話が切れる。
JJがガラス扉の向こう側で書類に没頭しているリードを見ながら、「シャーロット・アンマンが何か?」と訊く。
ホッチナーが厳しい声で答える。
「リードへの執着が普通じゃない。
もしリードに会えて、トラヴィスが来なかったら、シャーロットから託された何らかのメッセージを、執事がリードに伝えていたかも知れない。
それにトラヴィスの話によると、シャーロットはアルコールの問題を抱えている様だ」
「でもトラヴィスはそれこそ一流の医者ですよ?
精神科医でもある。
そんな彼が姉のアルコール問題を放っておくでしょうか?」
「問題はそこだ。
普段はトラヴィスがシャーロットのアルコール問題をきちんと管理出来ていた。
シャーロットも自分をコントロール出来ていた筈だ。
でなければ社長として成功し続ける事など出来ない。
それに昨夜酒を飲むことをトラヴィスが止めなかったのは、シャーロットが普段からも酒を口にしても大丈夫だと、医者のトラヴィスも確信を持っていたからだ。
ところがリードに出会って、シャーロットは理性を失う程動揺した。
ランディに似ているリードを前にしてそこまで動揺するということは、ランディはシャーロットにとって本当に特別な存在だったのだろう。
そしてそこまで特別な存在ならば、ランディが失踪するまでの生活の細部を知っている。
シャーロットにランディに関する全ての情報を引き出させるには、こちらも切り札が必要だ」
「そうですね」
JJが深く頷いた。
リードの居る個室のガラス扉がノックされる。
リードは書類から顔も上げず「どうぞ」と言うと、扉がバタンと開いて閉まり、リードは小さな頭をガシッと掴まれ、顔を扉の方に向かされる。
リードが驚いて目を見開くと、ホッチナーがリードを睨んでいた。
リードがキョトンとして「ホッチ…?なに?」と訊く。
途端にホッチナーの厳しい声が響く。
「なに?じゃない!
お前、さっき制服警官がお前を呼びに来た時も、そうやって誰か確認もせずにこの部屋に入れただろう?
何故きちんと確認しない?」
「で、でもここは警察の中でしかもBAUの本部でしかも個室だし…うちの人間か警察の人間しか来ないから…」
「それで制服警官に言われるがままに受付まで来たと言うのか?」
「それは…アルマン家の執事が僕に会わせろって言っててホッチが困ってるって聞かされて…」
「お前のボスは誰だ?」
「……ホッチ、です…」
「俺は、俺が呼ぶまで、この部屋で書類の精査をしていろと命じた。
それを簡単に破るとはな…!」
ホッチナーがリードの頭から手を離すと、腕を組んで深く息を吐く。
リードが小さく「すみませんでした」と言って俯く。
リードのふわふわの髪が揺れて、リードの表情を隠す。
ホッチナーが厳しい声で続ける。
「お前は天才プロファイラーだろ?
自分が危険だと何故分からない?
お前は被害者達に似すぎている。
だから一番安全な此処で仕事をしろと俺は命じた。
お前ならそう言われれば全てを理解出来る筈だ。
それなのに」
「だって!」
リードがホッチナーの言葉を遮る。
俯いたままで。
「僕が原因でホッチに迷惑掛けたく無かったし、アルマン家の執事が僕を襲うとは思えなかったから!」
「だがシャーロットの執事だ。
何かの策略とは考えなかったのか!?」
「考えたよ!
でもホッチが…」
そこまで言うとリードは黙った。
ホッチナーが間髪入れずに、「俺が何だ?」と訊く。
リードは答えない。
ホッチナーが厳しい声のままで、「リード、顔を上げろ。俺の目を見て答えろ」と言う。
リードがゆっくりと顔を上げる。
リードとホッチナーの目と目が合う。
そしてリードは一言、言った。
「ホッチが…心配だった…」
リードの瞳から涙が一粒零れて落ちる。
ホッチナーの胸がズキリと痛む。
その痛みはホッチナーの犯罪とは無関係な、やさしく柔らかな心の場所を、いとも簡単に射抜く。
「…迷惑掛けてすみません…命令に背いたことも…すみませんでした…」
リードが小さな声で謝罪する。
違う
違う
違う
こんなことを言わせたいんじゃない
俺はただ…
「俺はただ…お前が心配なんだ。
分かるか?」
リードが「…分かります…」と小さな声で答える。
そしてまた俯くと、デスクの上のファイルの束をホッチナーに向かって押した。
「全部精査しました。
レナード・ダインの経営する美容サロンの契約に不審な点や法を搔い潜る様な抜け道を使っている形跡は有りません。
ただキャッシュをチャージするカードの発行は簡単に出来ます。
社員に対するマニュアルによると、カード発行時にキャッシュで100ドル入金すれば、運転免許証などの提示があればIDの確認もいりません。
モデルを集めたパーティなどに、モデル達にチップ代わりに渡したり出来るように、パーティのホスト側が一括購入することも出来ます。
次は10年間の納税記録と雇用記録を精査しますか?」
「そうだ。
JJに資料を持ってこさせよう。
このファイルは俺が持って行く」
「はい」
リードはホッチナーが個室を出て行くまで一度も顔を上げなかった。
昼前にロッシとエミリーが本部に戻って来た。
JJが「お帰りなさい。二人とも食事は?」と笑顔で訊く。
ロッシがわははと笑って持っていた紙袋を掲げてみせる。
「行列が出来てたキッチンカーがあって買ってみたよ。
エミリーが美味しそう美味しそうって繰り返すもんでな」
エミリーがパシッと紙袋をロッシから奪う。
「何言ってるんですか!
美味そうだから並ぼうって言ったのロッシじゃないですか!」
「奢ったんだからこれくらい良いだろう?」
「もう!
それとこれとは無関係!」
エミリーがプンプンしながらテーブルに紙袋の中身を並べていると、ホッチナーがやって来た。
「お帰りなさい。
その表情だと良い情報を掴んだみたいですね」
ロッシが「まあな」と言ってニンマリ笑うと椅子に座り、テイクアウトして来たコーヒーを一口飲む。
「レナード・ダインの家には入れなかったが、ヤツとは美容サロンの本社の社長室で会えたよ。
社長室はなんていうか…稼いでますアピールが凄い部屋と言うか…現代美術から古典まであらゆるコレクションを壁一杯に飾っていたな。
本人は40手前だってのにチャラチャラしてて、とても社長には見えんがそれが売りらしい。
だが性格は悪い男じゃない。
美容サロンのキャッシュをチャージするカードが殺人事件に利用されているかも知れないと言ったら、何でも協力すると言ってくれた」
「リードがカード発行の書類を精査したところ、免許証などの提示があればID確認は要らないとの事でしたが。
それにパーティなどで呼んだモデルにチップ代わりに使われる事も有り、一度に大量に一括購入する客もいると」
「それだよ」
ロッシがエミリーに視線を送る。
エミリーが頷き、話し出す。
「それなんですが、ダインが言うには、それは単なる建て前で、来店してキャッシュカードで支払いする客はそれだけで身元確認になるし、サロン専用のカードとキャッシュカードを紐付けしておけば、ポイントが自動的に溜まるシステムから、殆どの客はサロン専用カードを紐付けするそうです。
ところがサロン専用のカードに現金でチャージすると申し出て、その場で現金をチャージする客の身元確認は特にしないそうなんです。
つまり自己申告でサロンの会員になれる。
もし偽名だったら?と私達が聞いたら、それでもカードにチャージされた金はサロンの金になってるから問題無いと、あっけらかんと答えてました。
それに大量に一括購入する客も、キャッシュでカードにチャージさえしてくれれば、特に身元確認はしないそうです」
「それで今迄悪質な客は居なかったのか?」
「特にいないそうです。
でも考えてみればそれもそうですよね。
だってカードにチャージしているお金はダインのサロンでしか使えない。
だったらサロンで使うでしょうし。
それに客はカードナンバーで管理出来ます。
それとダインは抜け目が無くて、サロンで施術をしてもらう前に客の要求するコースの総額がカード内のキャッシュを越えている場合、その場でキャッシュをチャージするか、もしくはキャッシュカード払いに変更しなければ、コースを減額するように客の要望を変更させて、カードにチャージされている金額内で必ず支払わさせています。
そうしない客には帰ってもらっているそうです。
受付の一番の仕事はこれですよ、と笑っていました」
「一度にキャッシュでチャージ出来る金額は?」
「100ドルから2000ドルまでです」
ホッチナーが頷く。
「2000ドルは凄いな。
それだけチャージしたカードを渡されれば、被害者達が自分を磨くには十分だろう。
だが2000ドルもチャージをする客がいれば目立つ。
高額のキャッシュをチャージしたプロファイルに当てはまる客に覚えは?」
ロッシがふうっと息を吐く。
「それが結構居るんだよ。
結婚記念日、誕生日プレゼント、愛人に秘密のプレゼント…無数に存在する『プレゼント』に喜ばれているとダインは自慢していた。
うちのチャージされたカードなら喜ばない女性は…いや男性もいないってな。
それに高額なキャッシュを支払う者が身元確認されないと知ったら、わざわざ自分から身元を明かして会員にはならないだろう。
なるならカードをプレゼントされて、キャッシュを使い切ってダインのサロンを気に入った方だ。
犯人がダインのサロンのカードを利用しているなら、絶対に身元を明かさないしな」
「そうですね」
「つまりこの手のカードを使っているサロンは、ダインのサロンと同じ様な仕組みだと言える。
なんたって一番効率的にキャッシュを集められる。
そこから犯人を見つけ出すのは至難の技だぞ」
ホッチナーの目がギラリと光る。
「それでダインとアルマン家との関係は?」
ロッシが「ちよっといいか?」と言って立ち上がった。
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