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第28話

それからホッチナーは宣言通り、湯を張ってあったバスタブに動けないリードを座らせ、髪を洗ってやった。 そして洗面台の前に置いておいた椅子にリードを座らせ髪を乾かした。 リードが洗面を済ます間は、リードの身体を後ろから支えていた。 全てが終わるとホッチナーはバスローブ姿のリードをまた抱き上げて、ダイニングに向かった。 ホッチナーが手作りした焼き立てのホットケーキを二人で食べる。 リードは食欲が無いと思っていたが、苺やベリーが散りばめられたホットケーキを一口食べると、自分が空腹だったことに気が付いた。 ホットケーキをペロリと完食してフレッシュオレンジジュースを飲んでニコニコしているリードを見て、ホッチナーも笑顔だ。 食事が終わるとホッチナーはまたもやリードを抱き上げて、リビングのソファに座らせた。 それからコーヒーの入ったマグカップを持って来て、リードの前に置くと言った。 「悪いが仕事の電話を掛けて来る。 お前の着替えはそこに畳んであるから、着替えられるようなら着替えてろ。 身体が動かないなら、電話の後に手伝ってやるから無理はするなよ」 リードは両手でマグカップを持つと、はにかんだ様に笑って頷いた。 ホッチナーは書斎に入るとドアに鍵を掛ける。 まずスマホを取り出し、ニ言三言葉を交わすと電話を切る。 それから衛星電話の短縮ボタンを押す。 衛星電話からは元気なガルシアの声が響く。 『はいは〜い! 何なりと!』 「ガルシア、不審な着信はあったか?」 『ホッチもご自分のスマホとパソコンを見て貰えれば分かりますけど、相変わらず犯人は沈黙状態です! 不気味〜!』 「ああ、それは確認した。 それ以外に何か無いか?」 『ありません! リードのスマホの電話帳に乗っている番号やアドレスからも無いですね。 リードはメールやメッセージが好きじゃないから、親しい人は用事があれば直接電話を掛けるし、連絡が無いのは週末だからじゃないでしょうか? リードのスマホは鳴ってないでしょ?』 「君の言う通りだ。 何処からも着信は無い。 それからリードの母親の施設でも異常は無い。 今、確認した」 『良かった! じゃあストーカーはリードを諦めたんでしょうか?』 「それはまだ分からない。 13回電話した後に46回も立て続けに電話をして来るようなヤツだからな。 リードの裸の画像を撮る事に成功して、自信を増したところにリードが消えて連絡も取れなくなった。 この犯人は異常にプライドが高く粘着気質で野心家だ。 そのプライドが傷付けられてもリードを追うか、リードに似た人間に怒りをぶつけるか…。 今は五分五分といったところだな」 『それじゃあリードは明日からどうやって生活するんですか? 休暇を取らせるとか?』 「いや基本的な生活パターンは変えない。 もしストーキングが続いていたら、生活パターンを変えたリードに犯人は勝ったと思うだろう。 この週末で傷付いたプライドを取り戻すどころか、自信も取り戻し以前よりも自信を増す。 リードは当分俺の家に住まわせる。 出退勤も一緒に行動する。 仕事は普段通り続けさせる。 これならもしストーキングが続いていても、リードは警戒はしているがストーカーに屈していないというメッセージになる。 それとリードの母親が入所している施設の監視は今夜午前0時をもって解除する。 リードと連絡が取れなくなっても、犯人はリードの母親を利用するどころか近付けさえ出来なかった。 母親の方は完全に諦めただろう。 君には当分今のままの体制で、リードのスマホの監視と記録を頼む。 それと留守番電話のメッセージを元の声に戻せないか試してくれ」 『分かりました! でも…』 「何だ?」 『リードに何て言ってホッチと同居させるんですか?』 「漏電の原因がリードの部屋に近く、復旧に一ヶ月は掛かると言う。 大家さんにもストーカーの件を話して、口裏を合わせてくれるように頼んである。 着替え等の必要品は俺が取りに行く」 『成程〜! 流石パーフェクトボス!』 「それと、これから別荘を出発する。 君のアパートにリードの仕事用の鞄と出張バッグの中身があるだろう? 遅くとも三時間後には着くから纏めておいてくれ。 手数を掛けて申し訳無いが、君のアパートに着いたら連絡するから車まで持って来てくれないか? リードを一人、車には置いておけないから」 『アイアイサー! それと手数を掛けて申し訳無いなんて、二度と言わないで下さいね! じゃあまた後で〜!』 ガルシアからの通話がブチッと切れた衛星電話に向って、ホッチナーは「ありがとう」と呟いた。 ホッチナーがリビングに戻るとリードは着替えを終えていた。 キャラクター物のパーカーにジーンズ姿のリードは学生にしか見えない。 ホッチナーを見るとリードはニコッと笑ったが、直ぐにぷいっと横を向いた。 ホッチナーは気にせずスタスタとリードの座るソファに近付く。 するとリードが横を向いたまま、「ストップ!」と言った。 「どうした?」 平然と訊くホッチナーに、リードが今度はホッチナーを見上げて怒鳴る。 「どうした?じゃないよ! 髪を洗ってくれた時、僕の身体も拭いてくれたよね!?」 「今更礼なんていい」 「違う! 何で僕がお礼を言うの!? そうじゃなくて、その時は気付かなかったけど、着替えようとしたら…僕の身体の80パーセント以上がキスマークだらけなんだけど!」 ホッチナーが珍しくクスッと笑う。 「それこそ今更だな。 それは苦情か?」 「そうだよ!」 ホッチナーがソファにドスッと座ると、さっとリードを膝に乗せる。 「ホッチ!?」 「言いたいことは分かった。 じゃあ苦情を取り下げて貰えるように、これからはその80パーセント分、キスマークが付かないところにキスをする。 それでどうだ?」 リードがホッチナーの腕の中で瞳をまん丸く見開く。 「……それって…?」 「お前はキスが好きだろ? 昨夜だってイく時は、キスしてって何度も強請ってきた。 問題無いな?」 ホッチナーは淡々とそう言うと、リードの小さな頭を後ろからがっちりホールドして、顔を近付ける。 リードがホッチナーの口元を手の平で必死で抑える。 「ままま待って! そんなにキスされたら僕の唇が腫れ上がっちゃう! 分かった! 分かりました! 苦情は取り下げます!」 するとホッチナーがリードの手の平をペロッと舐めた。 リードが「ぎゃっ!」と悲鳴を上げて手を引っ込める。 ホッチナーが悪びれる様子も無く、リードの唇にチュッとキスすると、鼻先の触れる距離で言った。 「それなら良い。 じゃあ出発だ。 用意は俺がするからお前は休んでろ」 リードが上目遣いで呟く。 「…僕、休んでばっかり…」 「俺が無理をさせたんだから良いんだよ」 ホッチナーはリードの目元にまたチュッとキスを落とすと、リードを膝から下ろし、リビングを出て行った。 それから。 ホッチナーは全ての帰り支度を一人で済ませると、リードを抱き抱えて車に運んでやった。 リードは自分で歩くと言い張っていたが、ホッチナーにとっては、転ばれる方が怖い。 強引に抱き抱えられたせいか、暫くリードは膨れていたが、ホッチナーが来た時とルートを変えて、昨夜見た湖の側を通ってやると、途端にご機嫌になった。 だが湖を過ぎて数分もすると、リードはベートーヴェンが流れる中、眠ってしまった。 丁度『月光』が流れている時に。 リードの寝顔は美しく、あどけない。 ホッチナーの胸が痛い。 誰かに恋をして胸が痛くなるなんて… ホッチナーは痛みと共に酔っていた。 自分には不釣り合いとも思える幸福に。 ホッチナーが『5分後に着く』とガルシアに電話を入れて、ガルシアの住むアパートにきっかり5分後に着くと、ガルシアはアパートの前で待って居てくれた。 ホッチナーがさっと車から降りると、ガルシアが「はい、これ!」と言ってリードの仕事用の鞄とカラフルな紙袋を差し出した。 ホッチナーが「ありがとう」と言って受け取る。 ガルシアが心配そうに「リードは?」と声を潜めて訊く。 ホッチナーが申し訳無さそうに答える。 「途中の休憩で1回起きたんだが、また眠ってしまって…。 今、起こすよ」 ガルシアが慌てて「いいんです!寝かせてやって!」とホッチナーを止める。 そして助手席側を覗き込むと、ホッチナーに向ってにっこり笑った。 「リード、いつもの三倍増しに子供みたいな寝顔してる。 安心してますね。 幸せそう!」 「だといいが…」 チラリと振り返るホッチナーの両肩を、ガルシアがガシッと掴む。 「ガルシア?」 「休日勤務の埋め合わせは、月曜日にあたしの質問にYESかNOで答えてくれるだけで良いですって言ったの覚えてますか?」 「勿論」 「それ、変えても良いですか?」 「君の働きを考えると感謝しか無い。 勿論良い。 何だ?」 「今、答えて下さい」 「分かった。 質問は?」 「あなたはリードを恋愛対象として好きですか?」 ガルシアの真っ直ぐな視線に、ホッチナーも真っ直ぐ見つめ返して「YES」とキッパリ答える。 ガルシアが途端にニコニコと笑う。 「やっぱり! 良かった! ホッチなら許してあげます! リードの姉の一人として!」 「それはありがとう。 ただこのことは…」 ガルシアがホッチナーの腕をバンバンと叩く。 「分かってますって! まだ秘密、でしょ?」 「そうだ。 君は本当に優秀だな。 それと俺からもいいか?」 「はい?」 「なぜ分かった?」 ガルシアが楽しげにウィンクする。 「それは明日お答えします! 恋はワクワクが大事なんだから! 楽しみは少しずつ!」

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