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      第10話

 パーティの日の翌日。眠そうな藤堂副社長とは違い、七々扇社長はいつもと変わらぬ無表情で出社していた。昨日は当主に挨拶し、御曹司たちとも話し、そのあとすぐに帰ったらしい。もう少し出席したらいいのにと思わなくもないが、したらしたで今日の朝が不機嫌になるんだろうなとふと思った葉琉。仕事は変わらずできるが、不機嫌な社長との仕事は自分の精神に大変悪い。単純に悪い。抑制剤の大量摂取になりかねない事態に、少し溜息を吐きつつも、今日のスケジュールを社長に口頭で伝える。 「今日の夜の予定は?」 「ですから、本日は20時にヒューストン支社とのオンライン会議で終了となります」 「そのあとだ」 「ございません」 「葉琉の予定を聞いてる」 「……」  バカになったのだろうか、この上司。思わず黙り込む葉琉。社長はすでに書類に目を通しており、可決と否決に分けられた書類が少し積まれていた。 「…21時より家族と予定がありますが」 「……そうか」  なんなのだろうか。例えなかったとしても業務後はすぐに帰るぞ。そう思いつつも顔は真顔なあたり、秘書として板についてきたのではないだろうか。黙り込んでしまった社長を横目に、自分の業務にも取り掛かる。いくつかのクライアントが、社長とのアポを求めていたり、海外支社への出張があったり、それに加えて政治的な外遊にも参加しなければならない匂いがするしで、ちょっと朝からイラっとしている葉琉である。 「社長。明日からの出張ですが、2泊でパリ支社への出張を3泊に調整してルクセンブルクにあるご両親のお墓参りに行かれてはいかがですか?丁度出張中が命日ですし、会長も来られるとのことですので」 「葉琉は一緒に行くのか」 「まぁ、はい。出張扱いになりますし」  少し微笑んだような社長の表情。しかし、その微笑みの中に大きな悲しみが見え隠れしていた。  NIIG会長は御歳79にもなるこの社長の祖父で、社長はまだ35歳。孫が社長の椅子に座っているのは息子の出来が悪かったなどという理由ではない。なんなら、NIIGが世界トップクラスの大企業にまで発展したのは前社長である息子のおかげでもあった。  しかし11年前の7月13日。アフリカのインフラ事業を当時社長秘書として同行していた妻と視察していた時、帰りの飛行機が何者かにより墜落してしまった。その後の調査で、そのインフラ事業で自分たちの住んでいる場所が無くなることをちゃんと説明されていなかった現地民の犯行であったことが分かった。そのテロにより乗客乗員544名は即死。当時、海外の別会社の外資系企業で働いていた七々扇社長は直ぐにNIIGに戻り、両親の死後たったの3日で社長就任を果たした。それから11年。世界的大企業に急成長したNIIGをまとめる七々扇社長は、7月13日に両親が生前とても好きだったルクセンブルクの小高い丘に行けずにいた。祖父や従兄弟たちは命日に前社長夫妻の眠っている近くにある別荘に集まっているが、肝心の息子は世界を駆けずり回る生活を続けていたのだ。  葉琉がその事実を知ったのは、前任の九条女史から最後のお願いとして頼まれていたからである。葉琉自身、前社長夫妻と会ったことは無いが、亡くなったと聞いた時の自分の母の涙は覚えているし、告別式にも参列した。七々扇家は家族仲が大変良い。というのは、NIIGの社員だけではなく、ほとんどの人口が知っているのではないかと言うほど有名なものだ。それが嘘ではなく、事実であることも七々扇社長の秘書になって気づいていた。そのため、葉琉は何としても7月13日は社長をルクセンブルクに連れていきたかったのだ。 「日程調整はいくらでも可能です。あとは社長が行くと仰れば」 「……そうだな」  社長の表情は固い。  九条女史が秘書であった時も、数年に1度はルクセンブルクへの日程は取れるようにしていた。しかし、肝心の社長が行かないといい、仕事を入れていたのだ。両親の死を直視したくないというのが社長の思いのひとつであった。 「社長。お墓参りに行かないというのは、故人への冒涜です。例えお辛くても行くべきです」  葉琉の表情に七々扇社長の目が少し見開かれる。これまで葉琉が社長の言動にキレたことはたたあったが、そこに本気の怒りは存在しなかった。しかし、今の葉琉は静かに怒っている。だが、怒りの矛先が自分ではないということに社長も気づいていた。 「…葉琉も墓参りに行かなかったのか」 「………はい。祖母が亡くなって3年ほどですが。でも、今は行きたくても行けません」 「行けない?」 「……諸事情があるのです。それより、今は社長のことでしょう」  視線を社長から外した一瞬、とても悲しげな、それでいて諦めに似た何かを浮かべる葉琉。しかし、社長へと視線を戻した時、それらは霧散していた。  先程の葉琉の辛そうな表情にどこか感化されたような社長は、己の中の感情と葛藤しているようだった。窓の外に視線を移し、虚無を見ようとするその姿はいつも絶対的強者であるDomではなく、まるで子犬のようなSubであった。  社長室は沈黙に包まて、ややあって社長が葉琉へと視線を戻す。その瞳には、覚悟を決めた色があった。

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